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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

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中・ほんとうの・3、再ビ生キル者



「『アンプ』、お前を、待っていた」
 どこか甘く、温かな響きを持つその声色は、まるで敵に対するそれではない。
 キレスはゆっくりと身体を向け、声の主――生命神ドサム・ハピを、見る。
 ぴちゃ、と血の滴る音が響いた。
(『生命神ハピ』――)
 似ている……そう感じた。千年前を生きたハピ――アンプの義兄――と、どことなく似た感じがする。そう思わせたのは彼の持つ雰囲気のためだろうか。
 待っていた、と言った。
 キレスは思う。自分がここに来た理由は何なのか。何も、確かなものはない。身体が勝手に、と表現しても良かった。ここは確かに懐かしい、千年前を思い起こさせる場所だ。そしてその千年前には、アンプが義兄ハピを慕っていたことも知っている。
 しかし、それだけだ。いま、自分が待たれる理由など、どこにもない。
「さあ、おいで」
 ドサムが言う。争う意思がないことを示すようにか、纏っていた水流は音もなく消え去る。
 そうして、ゆっくりと右腕が差し出された。
 しかしキレスは低く身構え、睨むようにそれを見据える。
(俺は、誰のものにもならない)
 紫水晶が透き通り、内側から光を漏らす。長い黒髪がざわざわと広がる。それはまるで、キレス自身が闇となって空間に満ちているよう。
 ドサムの背後にあった二人の側近は、はっと息を呑んだ。キレスから生じた闇が身体を侵食し、胸のうちを黒く染め上げるような錯覚。それはいいようのない不快感となって押し寄せる。影に灯る二つの紫は見るものの意識を強くひきつけ、ぬかるみの中であえぐような、じわじわとした苦しみに晒す。未知の感覚に身体が恐れを覚え、身動きが取れない――
 そのとき、ドサムは差し出した腕の中に、ひとつの球体を現した。
 紺青の淡い光を灯した、広げた掌ほどの球体。
「!!」
 キレスの瞳が大きく開かれる。その瞬間、さっとかき消すようにして、キレスの力の影響が失われた。――目の前に突きつけられたものが、そうさせたのだった。
 まるで呼吸を忘れたかのように、キレスはその球体に見入る。それは、北の地下にの神聖なる場に、封印された記憶と共に置かれていたもの。ラアがその力を始めに暴走させた瞬間に、そしてキポルオが倒れたその瞬間にも、ただ闇の空間をゆらゆらとその青で照らしていたもの。
 しかしその球体が「何」であるかをキレスが意識する間もなく、「それ」はどこからか湧き出すようにして体中を満たし始めた。
 なんだか分からない、正体不明の――快とも不快ともつかぬもの。生暖かいようなそれは、全身を這い広がり、内側から突き上げるようにして次々と湧いてくる。
「う、あ……」
 ぞくぞくと身体を震わせ、キレスは思わず声を漏らした。身体から何かが染み出しているような気がして、思わず自身の腕を抱く。もちろんその手に何も触れはしなかった。しかし幻と一蹴するにはあまりにも鮮やかなその感覚。
(なに……が……)
 夢神ウェルが自身の過去に触れたときと似たような、けれどあれとはどこか違う感覚。あのときのように、一気に意識が落ちてしまうのとは違う、じわじわと、何かに染め上げられるような、それと同時に、意識が幾重にも袋をかけられて奥に閉じられるような……。
 けれど同じなのは、自分の意思ではどうにもならないということ。
 意識のどこか遠いところで、それが異質なものであると警笛を鳴らしている。けれど、それを払い除ける気力もなく。緩やかに、生暖かい泥に呑まれるような、心地よさに似た抗いようのない感覚の中に、沈む。
 どさりと音を立て、キレスの身体は自らがその活動を絶った再生者たちの肉塊の上に、横たわった。
「……」
 二人の側近は何が起こったのか分からず、ただ生命神が何らかの力――常人には察しえないもの――を用いたのだろうと考えた。今やぴくりとも動こうとしない月神が、しかしその持つ得体の知れない性質のために突然また身を起こし、あの恐ろしい力を用いるかもしれず、すぐに近づこうなどとは考えられなかった。
 そうして彼らが警戒をもって見守る中、主・生命神ドサムは静かに……造作もないことのようにあの月神に近づき、身を屈めた。
 ドサムは紺青の玉を片手に浮かべたまま、もう片方の腕をそっと伸ばし、その指先でキレスの閉じられたまぶたに触れる。まるでその奥に隠された瞳を――月神の力の象徴ともいえる紫水晶の色合いを持つそれを――確かめるように。
 水神デヌタはそのとき、青い光に照らされたドサムの横顔を捉え、眉をひそめた。
 それはまるで、ドサムが彼の愛でる一輪の睡蓮に見せる表情によく似ている。そう感じたからだ。
 睡蓮――生命神ドサムが唯一、心から気にかける「個」。
 多くの命を慈しむ生命神は、生きとし生けるものの父であり母である。命あるものが滅ぶことのないように活力を与える神。ドサムはまた、一度失った命すら再び呼び戻す神であった。
 あまねく行きわたる慈愛。命を尊び、それを守ろうとする意思。――しかし今見えるものはそれとはまた違う、そしておそらくそれらよりもずっと深いもの。
 神としてではなく、個人として。願い、それは深い願いであるがゆえに容易に叶うことはなく、いつでもそのために心を痛め、また同時に、掛け替えのない幸福をもたらすその存在。
 そうしたものに向けるような、表情だった。
「千年前に叶うことのなかった願いを……今こそ」
 ドサムはキレスにささやくように言う。
「お前はそのために、ふたたび生まれた」
 まるでいつもと違う声色で。
 そうして立ち上がったドサムは、力を用いてキレスを透明な膜のようなもので包み込むと、ふわりと、再生者の遺体の山から引き離した。
 向かう場所はひとつ。開かれた冥府の門の下。異界の聖なる樹の根が天井に張り巡らされた、あの場所である。
「ドサム様」
 と、そこへ、場の空気を鋭く裂くようにしてプタハが声を上げた。「これら再生者の亡骸、ここに放置しますか」
 プタハは普段から主神であるドサムに対してもあまり言葉を選ばない。が、今はわざと、そうした言い回しを用いていた。そうでもしなければ事実これらが放置されていたに違いない、そう思えるほど、ドサムの様子はいつもと違っていた。まるで月神と自身しか眼中にないという様子だ。そのことに多少の違和感を覚えていたのもあったろう。彼はその言葉で、目の前の存在が「誰」であるのかを問い、また確かめようとしたのだった。