睡蓮の書 二、大地の章
ごぼ、と音をたて、刃の先がさらに赤く染まる。セトの瞳が絞られてゆく。
剣の柄を握る自身の両腕はまっすぐに伸ばされ、刃の先は、兄の脇腹をえぐっていた。
セトは浅い呼吸を繰り返す。――こんなことを望んでいたのじゃなかった。この剣を突き出すつもりなどなかった……これは本当に、自分の意志でやったことなのか……?
腕が小刻みに震えだす。引こうとしても、絡みついた蔓がそれを許さない。伸ばされた腕の向こうで、剣がその姿を消し去った。
青い闇のなか、黒々と染まる腹、流れ落ち染め上げる多量の血液。キポルオは杖を支えに立つ。
「セト……。お前が、大地神となったのは……、私が戻らなかったからでは、ない――」
つむがれる言葉の端々に混じる、滴り落ちる音。
セトの体の震えが大きくなる。その身を貫く激しいおののき……その意識を手放したのと、蔓が彼を包むように解かれて地に沈むのはほぼ同時だった。
キポルオの身体もまた、地に崩れる。その身を地に横たえながら、彼は最後まで自分との繋がりを断つことのできなかった弟を見つめた。
ひとときの夢は、もう終わりだ――。
セト……。お前は、私の弟だった。確かに、弟だった。
腕を伸ばせたら。肉体があるうちに、この腕でお前の頭を撫でることができたなら……幸福だった、あの頃のように――
目覚めたらすべて消えてしまうだろう。この夢はあまりにも短く、儚い。
その短い時の間に、お前をどれだけ苦しめたろう。
けれどそれも、幼い日の思い出と共に、消えてしまうことだろう。
――これで、いい……。
キポルオの目が閉じられる。空間を満ちる闇が、低く鳴動した。
黒々と広がる血の池に横たわるその体から、細い葉を連ねた、しなやかな枝のようなものが立ちのぼる。
ゆらめき照らす青の光。その傍らに天から垂れる、枯れた腕のような蔓。
天と地を結んでいたその蔓は、キポルオの身を貫いたセトの剣によって、断ち切られていた。
ぶら下がる蔓の先には、こぶのような膨らみ。……枝葉はすうと伸びて、その膨らみへと向かう。
そうして、つぼみが花と開くように、握った拳を広げるように、その膨らみが裂き開かれると、
そこから、ぼうと灯る、暗い色をしたもの、光とも闇ともつかぬものが、現れる。
天井の闇の鳴動がさらに大きくなる。暗く灯るものは、そこから弾けるように消え失せた。
青の光が照らすのは、いまや、こぶを失くしてぶら下がる枯れ蔓ばかりだった。
二、大地の章・おわり
作品名:睡蓮の書 二、大地の章 作家名:文目ゆうき