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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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「お前たちは、剣のことを何か知らないか」
 シエンは精霊たちに呼びかける。
 精霊は言葉をもたない。けれど精霊たちは、主の言葉を聞くのではなく、意思を感じ取ることができた。
 上位の……つまりより持つエネルギーの強い、特別な姿を与えられた精霊たちが、思い当たることがあったのだろうか、何かを求めるように、それぞれにシエンを見上げた。
(……何か、必要なものがあるのか……?)
 それは“物”だろうか……? 
 シエンは神権を表す細長い杖を手にしてみた。しかし、精霊たちは特に反応を示そうとしない。
 他にも、自身の神格を証明するものはないかと考えをめぐらせ、右上腕に着けている、属長の証の腕輪であろうかと考えた。しかしどうやら、それでもないらしい。けれどそれ以上思い浮かばない。
 その“何か”は、この場にあるのではないだろうか? けれど、探す手がかりもない。すっかり困り果てて、思わず溜め息をもらす。すると、精霊たちのエネルギーの流れが途端に静かになる。まるで主の思いに同調するように。
 精霊たちの様子に、シエンは少しだけ、口元を緩ませた。
(言葉が、話せればな……)
 力の質がその容姿に、力の大きさが身体の大きさに現れるため、精霊たちは姿かたちも、その大小もさまざまだ。動物も植物も、何もかも混沌と入り乱れているのに、彼らは主の下にひとつ。彼らには、善悪という概念がない。ただ主に従うだけ。それは生きるために必要なサイクルに組み込まれたひとつの流れにすぎず、主という引力にただ抗いなく寄せられているだけ。示された道を繰り返しただ通るだけ。彼らにとって、それが生きるということなのだろう。道を誤っているのではないかとか、こっちのほうが近道じゃないかとか、そんな疑問を抱いたりはしない。争いなどはまず起きないだろう。みなが例外なく、同じ流れに沿っているのだから。
 言葉だって……、無ければそのほうが良いのかもしれない。疑ったり、傷つけたりする必要がなくなるだろうに。
(矛盾、してるな)
 浮かぶ考えに苦笑する。とりとめのない思考だ。
 人のいない空間にいると、まったく違うものを意識せざるを得ない。それは普段、無意識にも人を基準に思いをめぐらせている表れなのかもしれない。こうしてつい、思考に入り込んだりしてしまうのは、人の気配が一切ないというこの場所がさせることなのだろう。
 ふと、聖域というこの特別な場に思い当たる。
(……そうだ、もしこの“聖域”が、剣を手にするための条件になるなら)
 シエンは身体を屈め、地に手を付いた。
(セトがあの剣を手に入れたときの様子を、この地が記憶しているかもしれない)
 地についた腕を伝い、彼の意思が、言葉なくイメージとして伝えられる。
 北の大地神セトと、その手にする幅広の黒い刃の、イメージ。そうすると、精霊たちのうちのいくつかが、知っていると応えるようにエネルギーの流れを速める。シエンはそれらを選び取って引き寄せる。集まり、その腕に触れる精霊たちが伝えるイメージ――彼らが見た、この場での出来事の記憶。
 シエンの脳裏で再生されたイメージ。この聖域に現れたセトは、その手に何か黒い、束ねられたものを握っていた。
 そしてセトはおもむろに、それを高く掲げる。
(あれは……髪?)
 細い糸のような束。僅かな光に、鈍い光沢を見せるそれは、髪に違いない。
 はじめは、セト自身の髪かもしれないと考えた。けれどよく見れば、彼の髪にあるような癖は見受けられず、色合いが少し違うようにも感じる。セトのものでなければ、誰のものか? ――最も考えられるのは、同じ地属であった、父のものだろう。血族を重んじる地属のことだ、それは十分ありうる。
(けれど、そうだとしたら……)
 ――自分にはもう、手に入らない。父はもう、いないのだから……。
 もしその通りだとしたら、結局、諦めるしかないのだろうか。シエンは知らず唇を噛む。
 他に可能性はないだろうか。何かヒントを探し出そうと、伝えられるイメージの続きに集中する。
 セトは束ねた髪を手に掲げたまま、何かを唱えていた。と、手にした束に精霊たちが吸い込まれるように集まり、そうしてしばらくすると、髪を掴んでいたはずの彼の手には、黒い石が一塊、握られていた。
 その石はどこかから削り出されたような自然なままの形をした、彼の剣の刃と同じ色合いをしたものだった。――あれが剣の原型に違いない。シエンは思った。
 そのとき、映像を伝えていた精霊たちが、弾け散るようにシエンから離れ去った。周囲の精霊たちもみな落ち着きを失い、音もなくざわざわとそのエネルギーを散らす。いくつかがこの場を離れ、闇の奥に向かう。またいくつかは、向かう途中で引き返す。入り乱れ、ときに衝突さえする精霊たちの混乱は、地響きさえ生んでいた。
 精霊たちが、その引力の核となる主の前で混乱することなどありえない。そう、その核が二つあるという場合を除いては――。
「また俺に会いに来たのか?」
 精霊を引き寄せていたのはやはり、精霊たちのもうひとりの主、セトだった。
 浮かべた嘲笑。さきほど人間界で見たものは別人であったのかと思うほどの、余裕。
「ようやく悟ったか。貴様の存在そのものが、地属の恥であると。……望みどおり殺してくれる」
 シエンは傷を負った左腕をかばうように右肩を前に出すと、無言で聖杖を握る。
 その様子にセトは眉根を寄せ、吐き捨てるように言った。
「どこまでも生き恥をさらすつもりか……? 真実から目を背けようとは、貴様はまったく、父親と同じ、出来損ないだ」
「――真実から目を背けているのはどっちだ? お前は、兄が認めるものを否定し続けている」
 途端にセトの顔色が変わる。
「兄上が、認めている――だと……?」一言ずつに恨み込めるような口調。「太陽神を王として、か? ――バカな。地属の長の血を引く尊きものが、真実を違えるはずはない」
「そうでなければなぜ、キポルオは北に戻ろうとしない?」
「兄上の名を呼ぶな! 貴様ごときが……」
 吼えるように声を上げたセトの瞳がぎらぎらとたぎる。
「貴様は何も知らん。真実を無視し、のうのうと生きるその姿を恥じよ! 事実を覆い隠しながら、臆面なく自らを真の王と称する太陽神の、犯したその罪を、お前たちは幾度くり返す気だ!?」
(太陽神が、真実を覆い隠した……?)
 北神らしい考えだ。いつもは気にも留めないその言葉を、しかし無視できなかった。ケオルが訳したあの書のことが思い出されたためだ。
 戦の始まりのとき、当事者である太陽神と生命神は実の兄弟であったという記述。北の言う、太陽神側が隠す事実とは、まさか――
 僅かな懐疑をシエンの瞳に見出し、セトはその枯葉色の瞳を僅かに細めた。
「言ったろう、貴様は何も知らんのだと」
 優位に立つものがする、ゆったりとした口調で、セトは語る。
「太陽神側に地属の神がつかないのはなぜだ? ……奴は真実を覆い隠した。偽りで塗り固めたものは、われわれの最も忌むべきもの。太陽神の力は、まこと正しくあるべきものを狂わせる。
 事実、太陽神は実の兄をその手で葬り、王座を得たのだからな」