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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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 自分がまだ幼いころ、ある儀式が行われたその日に、兄は姿を消した。犠牲を覚悟の上で行われたその儀式で、父は命を落とした。兄は事故に巻き込まれたに違いないと、誰もが信じて疑わなかった。
 しかし、兄はこの通り、生きていた。……一目でそれと確信できた。兄のことを、自分が忘れるはずがない。
 そしてまた、兄はそのとき、確かに自分の名を呼んだのだった。
 ――セト。……大きくなったな。
 その緩やかな口調も、儚げな微笑も、幼いころの記憶そのままだった。
 抱きとめた腕も眼差しも、変わらず温かだった。
 あの日、自分がゲブ=トゥムの剣を得て大地神となったことを、確かに喜んでくれていたはずだ。
(そうだ、この剣のことを教えたのは、父上でなく兄上だった)
 セトの父は、地属の長として神殿内でも特に影響力の強い人物だった。またそれゆえに、僅かなほころびさえ許されぬ立場にあった。
 セトが生まれる前後、父はそのほころびの問題を抱えていた。そこへ、“月の再生”の予言――それを受けた生命神の決断。
 禁忌に臨んだ先代の生命神は、目的を全うすることなく力尽き、それは立ち会った多くの神々が犠牲になる惨事となった。その中に、母も含まれていたのだ。
 生命神亡き後、父はその目的を全うするため奔走した。息子の存在など、気に留める余裕もなかったろう。
 自分は何も知らず、また知ろうともせず、まったく暢気なものだった。父を恨んでなどいない。また、その必要もなかった。――兄が常に、傍にいてくれたからだ。
 頼るものは、兄だけだった。
 兄に見守られ、それに頼ることが当たり前だった。求めずとも常に応えてくれる兄。兄さえいれば、何も不安はなかった。この存在を失う日が来るなど、あのころの自分は、夢にも思わなかった。
 ――大地神になりたいか。
 兄はうなずく自分に、何度も説いて聞かせた。
 ――真の大地神の証は、その剣。偽りを絶ち、まことを切り出す、剣を手にすることだ。
(俺は、剣を手に入れたんだ、兄上)
 それなのに――、
 なぜ、兄はその微笑を消してしまったのか。
 人間界での再会から、セトは何度も兄と接触を試み、そのたびに、北に戻るよう求めた。
 しかし兄は、それを拒み続けた。
(なぜなんだ……)
 ……分からない。問うても、兄は答えようとはしない。
(俺は――兄上のことを、何も知らない……)
 今、気付く。幼いころ自分は、自分以外の何をも見ていなかった。知ろうとしなかったのだ。兄が、自分以外の何を映していたのかを。
 兄はなぜ、弟である自分に、大地神となる意思を確認したりしたのか。地属の神位序列の仕組みを、あの人が理解していなかったはずはない。そんなことにさえ、気付けていなかった。
 いまも、同じだ。
 北へ戻ることを拒んだ兄は、次第に笑顔を消し、ただ繰り返し告げた。
 その剣の意味するところを知れ、己の血が負う責を知れ、と。    
 “偽りを絶ち、まことを切り出す”剣。兄はこの剣で、自分にいったい何を求めるのか……?
 黒い刃を映す、枯葉色の瞳が、そのうちに炎を灯す。憎悪の火、それを向ける相手は、ひとり。
(大地神ゲブ=トゥムが二人だと……? ――ふざけるな)
 あの男が、自分のすべてを狂わせた。兄を奪い去り、父を苦しめた。その父親と同様に。
(そうだシエン、お前だ)
 それは明らかだった。“絶つべき偽り”、“許されざるもの”。
 地属の真の長としての役は、この存在を絶つことに違いない。そして、そうすることで、兄をまことにあるべき場所……北へと、戻すことができる。
(それなのに……兄上はなぜ、やつをかばう……!?)
 なぜ兄は、あの男と共にいるのか。
 ……騙されているに違いない。 
 幼いころ、いつも自分に向けられていた眼差しが失われ、いま兄の目には、ずっと深い影が覆ったままだ。あの再会の日に見せた微笑みは、幻だったのかと思うほどに、暗く沈んでいる。
 兄は変わった。以前の兄ではない。
(兄上を縛るすべてのものを、俺が断ち切ってやる――)
 兄が認める、真の大地神は、自分だけであるはずだ。
 その、証に……。
 セトはその手に彼のゲブ=トゥムの剣を握り、立ち上がる。
 砂礫を運ぶ風がぴたりと止んだ。西の山の陰に日が掛かり、砂漠を赤く染め上げる。
 セトは微動だにしなかった。地を踏みしめたその足元から、彼は感じる。地属のエネルギーが、地下深くに集わされてゆくのを。
 そしてセトは、口の端をゆっくりと持ち上げた。
(今こそ――)