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海の向こうから

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 サハロフ・ミシューチンは昭和55年に沈没したナジエージタ号に乗船していた。ということは当時日本に来ようとしていたようだが、記事には名前だけで彼が歌手だったとか、同姓同名の別人だったかは分からない。
「でも、こんな偶然って、あるかな?」
「そうなんだ。でも、ナジエージタ号がなぜ日本に向かっていたのかは書かれていないんだ」
 先生の説明では当時ソ連とは定期便はもちろん国交がほとんどなかった。そして沈んだ船は貨客船でもなく、小さな船だったと記事にある。ロシアから来るにはあまりに無謀と思うのは中学生の私でも分かった。

「それと、次の記事」
 先生は別の付箋のページをめくった。この記事にによるとサハロフさんは救助に出た地元の漁船が決死の覚悟で救助したとある。救助隊が来た頃には船は沈み、まさに九死に一生を得た奇跡の救出劇だったようだ。

 ということは、今度はサハロフさんについて調べればいいんだ。ロシア人だから、ロシア人に調べてもらえば何かがわかるに違いない。
「先生」
 私の動きを見て先生はすべてを読んでいるのがわかった。家に来る時もそうで、宿題が十分に出来なかった時なんかは特にだけど、いつも私の動きを手に取るようにわかっている。
「そう来ると思って呼んでるんだけど……、あ、来た来た」
 図書館の窓際の席の方からイリーナさんがこちらに向けて手を振っている。
「松下サン、麻衣子サン。こっちいいですか?」
 イリーナさんはもう片方の手で指を差している。その先にはPCがある。21世紀の現代で調べものをするには絶対に欠かせないアイテムだ。イリーナさんの顔を見ると明らかに進歩があった様子がうかがえる。私もつられて少し嬉しくなった。                                 
「そういうことならインターネットで探してみましょう」
 イリーナさんがデスクに座ると私と先生は後ろに立ち、3人でPCの画面に集中した。
「サハロフさんのホームページありますね」
 手慣れた動きで初老の男性の画像があるページが表示された。ロシアの人のサイトだけにロシア語で書かれている。イリーナさんの説明ではこれがサハロフ・ミシューチンだそうだ。
 だけどこれを正視出来る日本の人っていないんじゃないかと思うくらいひらがな漢字が全くない。横にいる先生もトライしてみるものの、キリル文字の集中攻撃に即撃沈している。普段私たちが見るabcすらない。しかし、レコードの主の人物像がわかっただけでも気分が高まってきた。
「スゴいことが書いてありマス」
 この中で一人、イリーナさんだけはまじまじと画面を見ながら書いてあることを呟きながら頷いている。

   懺悔とお礼の旅行も明日が最終日。
   恩人に会えることになった。

「懺悔の旅行?」
「恩人?」
 それ以上の説明はない。だけどイリーナさんは画面を指差してニコッと笑った。その白い指先にある

  япония(日本)

の文字を見て先生も笑顔に変わった。この字面だけは知っているみたい。
「サハロフ・ミシューチンさん。日本に来てるんだって」
「そうなの?どこに?」
 私が問い直すと、先生は笑みを浮かべて
「この文脈で考えたら、場所はあそこしかないでしょう」
といってさっきの新聞記事をもう一度広げて見せた。
「生き残ったのは助けられたからだ。と言うことは助けた恩人がいる」
「そうか!」
 私は手をパチンと叩くと静かな図書館に音が響いて思わず頭を下げた。それでも、ここにいる3人には次なる目的地がわかった。
「もう一度あの場所に帰ろうよ」
「そうだね、そうしようか」
 私は新聞記事を指差した。明日、サハロフさんという人物は恩人のいるところに戻って来るはずだ。私も先生もイリーナさんも、調査が進んだことに手応えを感じ、ここが図書館であることを忘れて声が少し大きくなっていた――。
   
作品名:海の向こうから 作家名:八馬八朔