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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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下・花の精霊・4、闇に、灯る



「三人ではない、四人だ」
「なんだと……」
 北の神殿の、中心部に備えられた部屋へと続く、二重に閉じられた重厚な扉の前で、生命神の側近である二神が言葉を交わす。
「どちらにしろ変わらん。おおかたセトが挑発したのだろう。このような時に、人騒がせな」
 側近の一人、火属らしい鋭い瞳をした男、プタハが腕を組んだまま吐き捨てた。
 プタハは以前、人間界で争っていたセトに生命神の言葉を伝えに現れた男だった。神殿の地上部分の南西で争う、地属の大規模な力は、そのとき人間界で争っていたものと同じ。セトの力の用い方は、まるで相手を掻き回し、試しているかのようだ。また一方の敵側も、セトに合わせて同程度の力を示しているにすぎない。命を削る争いではない。
「しかしセトに対峙するものとは別に、東側にもう一組ある。西のものは陽動ではないか……?」
 つややかな、曲ひとつない黒髪を腰の下まで広げたもう一人の側近、デヌタが、用心深く言った。その鮮やかな薄青色の瞳は、彼が水属の長であることを示している。
 デヌタは霧を張り巡らせることによって、物理的に敵の存在を確認していた。敵が神殿の守備範囲を侵しているのだから、通常であれば当然、迎え撃っていただろう。しかし今は、重要な儀式の最中。生命神に報告することはもちろん、側近である彼ら自身がその場を動くことも憚られた。
「では、奴らの目的はなんだというのだ」
 僅かな苛立ちを交えて問うプタハの声に、デヌタは薄青の瞳を細める。
 突然の敵襲。しかしその数は少ないうえ、積極的な攻撃態勢をとらないなど、不気味というほかない。敵の目的が知れないため、こちらの出方も慎重にならざるを得ないのだ。
「この儀式が目的である、とも考えられますわ」
 立ち並ぶ柱の影から若い女神が現れる。側近らの前に歩み出ると、両膝をつき頭を垂れた。
「来たか、レル。お前の知恵を借りたい」
 高く結い上げた黒髪を揺らし、レルと呼ばれた女神が顔を上げる。
「デヌタ様、わたくしも、西のものは陽動と考えます。目的がはっきりとは知れませんが、それが何であれ阻まなくてはなりません。増援が来ぬ間に早々に手を打つのが賢明かと」
「だが今は儀式の最中だ。あまり騒ぎを大きくして、ハピ神のお心を乱してはならない。お前が言うように――まさか考えられぬが、この儀式が目的であるとすれば、あまり多くを割くのは敵の意のままとなるのではないか」
 デヌタは常に行動に慎重だ。それは彼の、水属の性質によるものかもしれない。
「ですが用心なさいませ。……東側のもの、その力の気配を抑えているとはいえ、そのうちひとつは存在さえも捉えがたいとのこと。過去にそのような存在に警戒を促す文書が多数著されております。取るに足らないと考えてはならないと。それはすなわち、月属――」
「『月』!? まさか――」
「月属と申し上げたのです。太陽神側には月属の第一級が絶えることなく存在しております。未だその本質は知られておりません。どのような力を、どこまで及ぼしてくるか……」
「知神であるお前でも、分からぬというのか」
 女神がうなずく。険しい表情を浮かべ、デヌタが唸った。その存在が確かなら、儀式中であるからと軽くあしらうわけにはいかない。
「デヌタ、東は『セクメト』が応戦しているのだな。敵は俺と同位だ、あれではもたんぞ」
 プタハが忠告する。天井を仰ぐ彼の瞳は、地上部で争う力を捉えているのだろう。
「では『風神メンチュ=アメン』を東側へ向かわせるように。彼ならば数を出さずとも期待に応えてくれるだろう。レル、頼んだぞ」
 デヌタの命に頭を垂れ、女神は近くに刻まれた魔法陣のひとつを杖で突くと、その場から姿を消した。

      *

 北の神殿の南西部で繰り広げられるセトとシエンの戦いは、北の側近らが感じ取ったとおり、セトの力をシエンが防ぐか抑制するといったことの繰り返しだった。
 シエンがセトと争うようになったのは、シエンが成神した三年前からだった。セトはそれまでも人間界に力を及ぼしていたようだが、、同じ神位を得たシエンの存在を知るや、その影響を強め、力を誇示するようになった。まるで、自分の力がより勝ると、主張するように。
 二重の称号のために現れた、北と南の「大地神ゲブ=トゥム」。どちらがより正当であるかを争うことは、避けられないことかもしれない。
 だが――同じ大地神でありながら、地の平穏を乱す北の大地神……地に生きるものを脅かし、その力を威圧と暴力に用いる者。たとえ地属の長が代々北に現れていようとも、こんなものが、大地の長であることが許されるのか。ふつふつと湧き上がる怒りに、シエンは思わず拳を握る。
「くく……笑えるな」
 その様子に、セトが声を漏らした。
「お前はこの神聖なる地を踏むことになんの躊躇もないのか」
 見下す眼。嘲笑。シエンは眉をひそめた。
「大地の血を汚す裏切り者め――お前ごときが大地神『ゲブ=トゥム』を語る資格などあろうはずもない」
 裏切り者――セトの口から、何度聞かされたか知れない。
 地属は全属性のうち最も血族意識が高い。その性質が血によって継がれる性質ゆえだろう。そしてこの属性は、北神に多く、太陽神側には少ない。――その理由は、この戦の始まりのときにあった。
 「生命神ハピ」が地と水の力を強く持つため、血族意識の高い地属は、これを同属として認め、支持したという。ただし、太陽神側にも少ないとはいえ存在しているという事実は、初期のころ太陽神側を支持した地属神もあったという証だろう。
 血族意識から外れたもの。それをセトは、「裏切り」と呼ぶ。……それは確かに、地属らしい感覚なのだろう。だがそれは、単に北の常識であるにすぎない。
 何よりも重要なのは、地属の長としてのあり方であるはず。大いなる守りとして、この地を、そして地に住まうあらゆるものを守る、その役を担うもの。この男は、明らかにその役から外れているのだ。
 これらの行為が権威欲のために成されているとすれば、彼は自ら「大地神ゲブ=トゥム」の権威を棄てているのと同じ。――認めるわけにはいかない。
 シエンの鮮やかな翠緑の瞳が、まっすぐセトに向けられる。
 すると、冷ややかに見下ろすセトの瞳は僅かに細められ、その枯葉色にはっきりと侮蔑を浮かべた。
「お前は何も知らんのだ」
 つぶやき漏らすような低い声。
 たったそれだけの言葉が、かぎ針を刺すように胸に小さくぶら下がる。その言葉には、あざけるような色合いはないように感じられた。哀れみ? ……いや、より憎悪に近い何かを、その奥に感じる。
 知らない? なにを……?
 僅かな揺らぎ。それを払拭する間もなく、セトの力が地を覆う。力の衝突が再び大地を震撼させた。

      *

「ここは……?」
 ラアは辺りを見回した。包み込む白の光が収まってから、しばらくは暗くて何も見えなかったけれど、木々の葉擦れの音が聞こえないから、別のところに来たのだと、すぐにわかった。
 光も灯されていないそこは、白く四角い部屋だった。ラアの頭上はそこだけ吹き抜けになっていて、星の瞬きが見える。足元には、部屋の中だというのに小さな池があった。