睡蓮の書 一、太陽の章
王は十年前の戦の際、ラアたちを逃れさせ、戦局が厳しいと見ると、その命に代えて敵を退けた。それはここ中央だけでなく、すべての神殿に及ぶ大規模な力であったのだと、生存したごくわずかな神々が伝えた。その神々も、戦の傷が原因で次々と命を落としていった。
ヒキイは王の死を、その後継の存在を隠匿し、次の世代の成長を待った。それは賭けのようなものだった。ラアの存在を知られなくとも、北がふたたび動き出せば、まず勝ち目はない。太陽神の血も滅んでいただろう。ほんのひと時が、ヒキイには身を裂くほどに長く感じられた。ただ、願うしかなかったのだ。
そうして今、ようやくこの時を迎えた。
小さな身体に想像をはるかに上回る強大な力を宿して、新たな太陽が玉座に昇る、その姿。
輝きを司る「輝神ヘル」たる彼自身でさえ、この光には目が眩む。目を伏せると、頬を一筋伝うものがあった。
*
控えの間に引っ込んでから、ラアは備え付けの長椅子にばったりと倒れこんだ。
結界を生成するときに使った力は大きかったが、それに疲れたのではないと思った。そのあと、すっ飛ばしていた神々の宣誓などを行ったのだが、結界のときのように自分が主体ではなかったから、欠伸をかみ殺したり、とにかく気を遣うことが多かった。
(やっと、終わったあ)
髪にかかった香油はすっかり乾いている。椰子の葉で編んだマットの隙間を通る風が心地よい。
ふう、とため息をつく。片手を伸ばして意識すると、そこに表れる聖杖。
正式な神の証。ついに手に入れた。これまでたくさん、我慢しつづけていたこと。力も行動範囲も、すべてが定められた枠の内だけと決められて、窮屈な思いをしながら、どうにか自分を抑えてきた。
これで、自由になれる。もう、狭い神殿の中に篭ってなくていい。たくさんの人に会って、本当のことだけを話して、そして――
杖が消え去り、握っていた腕はぶらんと長椅子を垂れた。ラアはいつのまにか、眠っていた。
「ホルアクティ様」
声に目を覚ます。……ヒキイだった。
ラアは寝転がったまま、頬にマットの網目の跡をつけた顔を上げる。いつものように名前で呼ばなかったことが、なんだか少しイヤだった。
「お疲れのところ申し訳ないのですが、もう一度、謁見の間にお越しくださいますか」
その笑顔はいつもと同じ。優しく、どこか困ったように目を細める。
分かってる、王になったからというのだろう。けれど、ヒキイまで……。子供っぽいわがままでふてくされて、ラアは返事をしなかった。
「王の傍にいま一人、補佐として仕える者を紹介します」
飛び起きる。もう一人だって? 王の補佐は、ヒキイだけではないのだろうか。
ラアの疑問を察したふうに、ヒキイが答えた。
「補佐は新旧共に仕える期間をもつものなのですよ。わたしが先王に仕え始めた頃も、そうでした」
「二人になるってこと?」
「ええ、そうです」
ころりと態度を変えて、ラアはヒキイについて謁見の間に入る。出会いが増えるのは、いつだって大歓迎だ。
式が終わって、通常の様子に戻ったそこは、王の玉座の置かれた高い壇の下を、向こうの扉から道を示すように、左右から光が入っている。その光の中に、白い衣服をぴっちり身にまとった小柄な人物がひとり、頭を垂れている。短く切っているらしい黒髪は、円を描いてつややかに陽光に照っていた。
ラアは金属で出来た玉座のひんやり感に少しそわそわしながら、座る。それを待って、ヒキイが促すようにその人物にささやいた。
「あ……み、南より参りました。このたび、その、ホルアクティ様の補佐を……勤めさせていただくことに……」
緊張してつっかえつっかえになった言葉。けれど、噴出すどころではなかった。聞いたことがある、見たことがあるどころではない。大きく目を開いて、ラアは身体を乗り出した。
「あの……月属『夜神コンス』の、カムアと申しま――」
「やっぱりカムアだ!!」
ヒキイが止める間もなく、ラアは玉座の壇を飛び降り駆け寄った。
「カムアだ! ほんとに、カムアだ!」
驚いて顔を上げたその目に飛び込む黄金。手をとり飛び跳ねる若き王の姿に、カムアの目もまた大きく開かれる。
「……ラア!? ――そ、そんな……」
握った腕を何度も何度も、激しく上下に振ってから、思いきり抱きついてきたラアに圧倒されよろめきながら、カムアは思わず叫びに近い声を上げていた。
「太陽神ホルアクティは――あなただったんですかっ……!」
作品名:睡蓮の書 一、太陽の章 作家名:文目ゆうき