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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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 実は、ラアはシエンに会ったことがある。南で、カムアと一緒にいるときに。鳥の姿になっていたから、シエンはもちろん気付いていなかっただろう。
 三つ年上の若いこの男神は、北神のせいで荒れる人間界を気にかけ、たびたび降りているという。カムアが話す彼の様子は、今ラアが感じた、この前庭に満ちる力そのものだ。
 知っている。あれも、これも。そんなわけで、ラアはシエンに、一方的に親近感を抱いていたのだった。
 そんなラアの様子に、眉をひそめるでもなく、シエンは庭園の木々を見渡し、言った。
「いい庭だな……、よく手入れされている。ただ少し、陽に傷んだ部分があったから」
 低くて、穏やかな声。繁る木の葉をすくうように手に取る様子に、お気に入りの庭の木々が大事にされていると感じて、ラアはいっそう嬉しくなった。
「うん、きれいにしてもらってるんだよ。だから、怒られちゃうかも」
 ラアが答えると、趣旨がつかめないというように、シエンは瞬く。
「ホリカがね、ひと月でどうしてこんなに繁っちゃうのかって、いつもぶつぶつ言いながら、きれいに刈ってくれるんだよ。今シエンが、ちょっとの時間でだいぶ繁らせちゃったでしょ? ホリカ、きっとびっくりするね!」
 ホリカというのは、西の神殿の代表をしている女神の名だ。月に一度ひらかれる定例議会には、東西そして南の代表神がここ中央に集う。女神ホリカは毎月、出席ついでに、その風属の力で庭園を整えてくれる。
 月に一度だがホリカとは、カナスと会うより前から知り合いだ。明るくてよく話しよく笑う彼女が大好きなのだと、ラアはそう説明するつもりだった。しかし、
「ホリカ……姉さん、か」シエンはそうつぶやくと、「なるほど、それは怒られそうだな」肩をすくめ、笑みを漏らす。
「え、お姉さん、なの!?」
 今度はラアが、丸い目をより丸くして、この偶然に驚いた。
 こんなところが繋がっているなんて、思いもよらなかった。シエンとは属性も違うし、雰囲気もだいぶ違うから、全然気付かなかった。
(あ、でも、言われてみれば、目元や髪が似てるかも!)
 ラアはまた嬉しくなる。繋がりを知ると、その人のことがもっと近く感じる。それはシエンも同じなのだろう、浮かべた笑顔が柔らかい。
「ホリカって怒ると怖いの? シエンは怒られたことある?」
「そうだな……怖いな。よく怒られるよ」
 そう言って肩をすくめて見せるシエンに、ラアはくくっと笑いを漏らした。こんな体格のいい男神が、華奢な女神に叱られる図なんて、想像するだけで面白い。
 それからラアはシエンと、ホリカのことや、この中央神殿の木々のこと、彼の住む南のことなど、たくさん話をした。
「昨日通ったけど、南って人間界と繋がってる所があるでしょ。シエンも、よく降りるの?」
「ああ」
「それじゃあ、北神にも、会うことがある?」
 シエンはうなずく。
 ラアは昨晩、この神殿の門前で見た光景を思い起こす。月明かりをほのかに返すカナスの白い衣、その右肩に、闇に喰われたような黒い染み――あれは、血だった。
 王の座を、万物を支配するその力を手に入れようと企む「生命神ハピ」、そして北の神々。十年前にもここ中央神殿を襲い、大勢の命、父の命を奪い、姉の自由を奪った。
 ――許せない。昨日、人間界にまた現れれば、仇を討てたのに。ラアはギュッと拳を握る。
「シエン、どうしてやっつけないの。そいつ、強いの?」
 まっすぐに見上げる黒い瞳、その奥に黄金がちかりと灯る。
しかしシエンは静かに目を伏せ、答えなかった。
 シエンの沈黙の理由は分からない。ラアは少し戸惑いながら、思いをめぐらせる。
(そんなに、強いんだろうか)
 ――戦ってみたい。自分のこの力を試してみたい。
 ラアは戦いのためにその力を用いたことがなかった。カナスとの訓練の時間でさえ、攻撃に関する術を許されていない。体を鍛えなくてはならないのは分かる。けれど、力を抑えながら戦うのはとても窮屈で、不自然に感じられた。
 もっと自由に、抑えることなく、この力を開いていたい。抑えていると、縮んでしまう気がする。まだもっと余裕がある。開いてもまだまだ、きっと伸ばすことができるはず。
 ラアは何よりも、自分自身の力を信じていた。誕生と同時に母を亡くしたラアは、先王であった父の愛情をたっぷりと受けて育った。王は妻が亡くなったことを嘆くより、幼いラアを抱き上げ、その何もかもを喜んだ。そうして、彼に繰り返し告げたのだ。
“ラア、お前には、他の誰にも持ち得ぬ輝きがある。
 闇を払い、光の場に引き出すような、特別な力があるのだ”と。
 父が亡くなると、その言葉はそっくりヒキイによって繰り返された。まもなく、それが来たる戦における勝利を願ったものであると知ると、ラアは自身に宿る力の存在をはっきりと認めはじめた。
 父の求めた力は、確かに自分のうちにある。それを、しっかりと感じる。
 早く開放したい。いや、まだもっと、大きくなるはずだ。
 胸に新鮮な空気を吸い込めば、奥にくすぶる火をあおり、はあっと息をもらすと、それが低く広がっていく。このまま放出すれば、どれだけ気持ちがいいだろう。
 衝動を抑えるラアの足元の草が、ちりちりと焦げ縮れる。ラアはそれに少しも気を払わなかった。
「昨日――」ふと、シエンが声をかける。「その人間界から、何か持ち帰っていたようだが」
 言われてラアは、あっ、と声を上げた。すっかり忘れていた。
「うん、カナスの槍だよ。壊れちゃったんだけど……」
 シエンはそのことを知っているらしく、そういえば、とうなずく。
「そうだ、シエンなら、直せるかなあ?」
 ラアは思い付きを口にした。この木々を元気にしたように、彼ならできるかもしれない。でも、王となるのに、この程度のことができないなんてと思われるだろうか……?
「悪いが、俺は役に立ちそうにない」
 シエンがそう答えると、地属の長でも難しいことだと知り、ラアは一瞬ほっとした。けれどその気持ちは、すぐに落胆に変わる。
「どうしたらいいかなあ……。もう一度、作り直すとか?」
 直すのが無理なら、とラアが言う。しかしシエンは首を横に振った。
「カナスの槍は『技神セクメト』のみが持つとされる特別なものだ。簡単に作り出せるとは思えない」
 あれもできない、これもダメ。ラアはすっかり肩を落としてしまった。
「……なぜ、カナスの槍を直そうとしているんだ?」
 その落胆ぶりを放っておけなかったのか、シエンが尋ねる。
「うん……、きっと、喜んでくれると思って」
 少し唇を尖らせて答えるラア。その言葉にのせた、純粋でまっすぐな思い。それを感じ取ってか、シエンは自然に微笑を浮かべた。
「そうだな、喜ぶだろうな」
「だよね!」
 ラアの表情が一瞬ぱっと明るくなる。……けれどすぐにまた、うつむいた。
 直すことができれば、の話だ。その方法が、今、さっぱり分からないのだ。
「どうしたら、いいんだろうなあ……」
 ふう、と思わずため息が漏れる。シエンは何か考え事をしていたのか、その後しばらく黙ったままだった。
 気がつくともう陽は天の頂。ラアは慌てて、カムアのもとへ向かった。