睡蓮の書 一、太陽の章
そう、南から現れた男神、シエンが今用いた術は、北神がつい先ほど自分に使ったものと同じであった。
そしてまた、北神が用いる技は、シエンのそれとまったく同じ性質のもの。
確かに、シエンは地属の神だ。しかし、ただの地属とは違う。シエンは地属では最高位の神であり、この属性では最も強力な力を誇る「長」と呼ばれる存在。
その瞳の鮮やかな緑色が示すとおり、同属では唯一無二の力の主、「大地神ゲブ=トゥム」である。
それなのに――同じ属性であれば、彼以外の者はすべて位が下であるはずなのに。同属間では、特殊な技を除けば、位の上下がはっきりと力の差を生むはずなのに。
二人の力は、まるで、同格。
扱う力も。まったく、同じ。
困惑するカナスの目の前で、世界を隔てるようにそびえ立った石の壁が、北神によって砕かれる。
シエンはその間に、カナスの右肩の傷に手をかざし、流れ出る血を止め応急処置を施した。
「立てるか?」
シエンの言葉にうなずく。足手まといにだけはなりたくない。
「そいつをかばいながら、俺とやるつもりか? 余裕だな」
北神が声する。黒い刃の剣が、肩に担ぐようにして掲げられた。
「揃って骨肉を砕いてやろうか? この、『ゲブ=トゥムの剣』でな」
見下ろす目の鮮やかな枯葉色。口の端がぐいと持ち上がる。男の言葉を、その剣の名を、カナスは確かに聞いた。
シエンが一歩、足を引き、背後で立ち上がるカナスを一瞥する。退くつもりだ。カナスは非難の目を向けた。
「どう戦うつもりなんだ」
敵の一打目を、生み出した砂岩の壁で受け止め、シエンがカナスを制する。返す言葉がなかった。
「治療が先だ」
降りかかる砂礫を防ぎつつ、シエンが短く告げる。カナスの腕を取り、地に手を触れようと屈んだ。
「逃がすか――!!」
北神の声。しかしそれと同時に、月明かりだけのこの空間が、一瞬、閃光で切り裂かれた。
「いい加減にしろ、セト」
場に、もうひとつの気配が加わる。
光に貫かれ、瞬時に、まったくの闇の中に戻される。暗明の落差に目がやられ、その人物の姿を見ることはできなかった。
「勝手な行いは慎め。ハピ神のご命令だ、戻れ」
ハピ、つまり生命神を語るということは、そこに現れた者――おそらく、この光を放った者――は、北神である。
仲間の忠告に、しかし北の地属神は苛立ちを隠さず声を上げる。
「敵を目前に退けというのか……!?」
「聞こえなかったのか。ハピ神のご命令だ」
もうひとりの北神は淡々と伝えると、姿を消した。
北の地属神、セトは、しばらくじっとこちらを睨んでいた。
そうして、苛立たしげに舌打ちすると、怒りに任せて地に剣を突き立て、そのまま、姿を消し去った。
ふっと緊張が解ける。
体を保っていたものがぷつりと切れ、カナスは大きく揺らいだ。
その身を受け取って、シエンはすぐにその場を後にした。
作品名:睡蓮の書 一、太陽の章 作家名:文目ゆうき