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  『アイトラス』 紀谷喜久也


 白み始めた空に甲高い汽笛が鳴り響く。これが最後の朝だ。日本海沿いを駆け抜ける蒼色の列車は、過ぎゆく景色の一つ一つに別れを告げるように、長い汽笛を繰り返す。その孤独で哀しげな響きは、一つの時代の終焉を物語っていた。
 ダイヤ改正――それは鉄道会社や利用者にとって大きな節目の日となる。その日、JR西日本では、新運行管理システム『アイトラス』の導入に合わせ、未曾有の規模のダイヤ改正が行われた。新しい列車、消えゆく列車。鉄道に関わる人々の様々な想いが交錯する。
 青森と大阪を往復する寝台特急『日本海』は、日本で最後まで残った客車寝台列車だった。『ブルートレイン』と呼ばれ人々から親しまれた列車は、かつては日本のどこにでも走っていた。しかし、新幹線や安価な夜行バスが台頭するなか、時代に合わなくなった寝台列車は次々と姿を消していった。そして、最後に残ったのが、寝台特急『日本海』だった。それも、今日で最後の運転となる。
 ある人は、ブルートレインを「特別急行そのものだ」という。ある人は、それを「大切な想い出そのものだ」と懐かしむ。青森発大阪行き『日本海』最終列車に乗務する車掌の小野田もそんな一人だった。彼がこの職に就いたきっかけは、少年の頃に抱いた寝台列車への憧れだった。そして、三十年に渡り『日本海』に乗務してきたのも、当時の憧れが大きく影響している。その列車の最期を、乗務員として見届けることができるのは最高の栄誉だったが、同時に果てしなく寂しいことでもあった。車窓にぼんやりと浮かぶ水平線を見つめながら、老車掌は哀しげな表情を浮かべた。

  *

 午前十時三十七分。東海道本線の下り外側線を一本の新快速が疾走していた。電車は旋風を巻き起こしながら、新逢坂山トンネルへと突入する。このトンネルを抜けると京都府だ。若い車掌は、真新しいアイトラスの乗務員用端末を操作していた。
 新運行管理システム『アイトラス』には、主に三つのシステムが統合されている。信号機や分岐器を指令室で遠隔操作するためのCTC、駅の電光掲示板や自動音声での案内を行うための旅客案内システム、そして、ダイヤが乱れたときに素早く臨時ダイヤを組み上げ、遅延を回復するための運転整理システムである。アイトラスには生体コンピュータ技術を応用した高度な人工知能ユニットが搭載されており、ダイヤの乱れに対して自動的に臨機応変な対応をとることができる画期的なシステムだった。
 そして、全列車の車両システムは沿線無線WANを通じてアイトラスと接続されている。遅延の情報を車内の電光掲示板や液晶画面に表示させることはもちろん、逆に列車の混雑度などの状況をアイトラスが把握し運転整理の参考にすることもできる。ダイヤに変更があれば、随時、乗務員用の手持ち端末に配信される。

 車掌の端末上には、強風による湖西線の遅延情報が表示されていた。
「また湖西線か……」と、彼は呟く。
 湖西線といえば、そこを寝台特急『日本海』の最終列車が走っている頃だ。彼も時代の移り変わりを感じずにはいられなかった。彼は鉄道マニアではなく、むしろ鉄道マニアが大嫌いだったが、歴史のある列車には、鉄道員としてそれなりの思い入れがあった。
 しかし、今日は危険な行動に及ぶ鉄道マニアもいることだろう。いつも以上に安全に気を配らなければならない。ノスタルジックな気分に浸っている場合ではないのだ。

 トンネルの暗闇を抜けると、橋脚のすぐ横をすり抜けながら、電車は徐々に減速しはじめた。彼はいつものようにマイクを握る。
『ご乗車ありがとうございました。まもなく山科、山科です。お出口は右側、一番のりばに到着いたします。湖西線、京阪線、地下鉄線はお乗り換えです。お出口は右側です』
 そのとき、彼は違和感を覚えた。とっさに窓を開け、前方を確認する。その瞬間、彼の違和感は確信へと変わった。電車は分岐点を直進して通過線に進入しまっている。本来ならば、その分岐点を右側に行かなければならない。
 非常ブレーキがかかる。電車はホームから線路一つ離れた通過線で急停止した。このままでは乗客の乗降ができない。車掌は腕時計を気にしながら、運転士に連絡した。
「運転士さん、何があったんですか?」
『お、俺にも分からん。場内信号はいつも通りだったんだけどな』
 運転士の声が動揺している。
「……困りましたね、どうしましょうか?」
『……とりあえず後退するしかないな』
「ちゃんと指令に連絡して下さいよ」
『はいはい。そっちは案内しといてね』
「分かりました」
 受話器を置いた車掌は、客室から殺気を感じていた。今、客室に振り返れば、怒りに満ちた無数の目がこちらを睨んでいるに違いない。目を逸らそうにも、ホームからは、鉄道マニアたちの無数のカメラがジロジロとこちらを見つめている。よりによってタイミングの悪い日に、と彼はため息をついた。彼は思い切って客室に振り返ると、アイスピックのように鋭い視線を体に受けながら、マイクを握った。

「お客様にお詫びいたします。ただいま、信号機のトラブルのため、間違った線路に入っております。そのため、ただいま運転再開の打ち合わせをしております――」


  *

 新大阪総合指令所は、関西の主要路線の列車を司る中枢である。
 大きなスクリーン、ずらりと並ぶコンピュータ端末、そして、無線を飛ばす指令員たち。指令室の中央には正方形の机があり、それを囲むように数人の指令長たちと総括指令長が談笑していた。
 総括指令長の森山は言う。
「本当に我々が臨時ダイヤを作らなくて大丈夫かね」
「でも、『アイトラス』は優秀な人工知能が入っとるらしいですよ」
「それが怪しいんだよ。コンピュータって奴は融通が利かんからな。前の時はトンチンカンなダイヤばかりだっただろう」
 総括指令長にとって、コンピュータがまともな[#「まともな」に傍点]臨時ダイヤを作成できるなどとは、とうてい信じがたいことだった。それは、まさに職人技が必要だからだ。
 ダイヤグラムとは列車の運行時刻を、一本の列車につき一本の|線で表したグラフのことである。列車の本数が多ければ多いほど、線は複雑に入り組んでゆく。ダイヤが乱れた時は、その無数の線を書き換えて臨時ダイヤを作成しなければならない。たかが線引き作業とはいえ、それには膨大な知識が必要だ。一人前になるには、少なくとも十年はかかるのである。
 指令長の一人が笑いながら答える。
「まあまあ。確かにそうでしたね」
「コンピュータの手にかかれば、今日の『日本海』だって遠慮なく運転を打ち切ってしまうんじゃないか?」
「まさか、それはないでしょう」
「そうだ、実際ダイヤがどうなったか見てみてみましょうよ」
 指令長の一人が、指令員に声をかける。
「ねえねえ、君、湖西線の強風の件はどうなった?」
「回復運転中です。『アイトラス』が作った臨時ダイヤを印刷しましょうか?」
「ああ、頼む」
作品名:AI-TRAS 作家名:kikuya