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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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幕間30分(湊人の章)

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幕間30分(湊人の章)



 開演前の緊張感が、湊人(みなと)は好きだった。

 観客たちは期待に満ちた瞳でステージに視線を送り、非日常の空間でにぎやかな会話を交わしている。そのあいだを店員たちが走り回り、ジャズ喫茶『ブラックバード』の店主、綿谷(わたや)が満面の笑みをふるまっている。キャンドルから燃え立つこげくさい香りが、腹の底にある興奮をじわじわとかきたてていく。

 いつもなら本番直前はピアノと向き合っているけれど、今夜は病欠のピアニストに代わって出演することもあり、遠慮している。店の外に設置された立て看板には、今夜のプレイヤーに変更がある旨を記しているが、観客の中に湊人を知る者はほとんどいない。

 バンドマスターを務めるはずだったピアニストの有川愛美(ありかわまなみ)がいなければ、帰ってしまう客もいるかもしれない。本番までの時間でドラマーの堤信洋(つつみのぶひろ)とベーシストの荻野小雪(おぎのこゆき)が説明して回っているようだが、全てに行き届くのは不可能だろう。

 どうすれば満足して帰ってもらえるか――そのことがずっと頭の中を巡っている。

 もう一人の代打として連れてきたギター&ヴォーカルの高村要(たかむらかなめ)は、いつもの人なつっこさを発揮して見知らぬ客と早くも酒を酌み交わしている。
 ストリート時代もずっとひとりでやってきた要にとって、観客の中に入っていくことなど朝飯前なのだろう。いまだに改善されないだらしない生活は真似したくないが、あっという間に人の心を惹きつけてしまうあの笑顔だけは、こっそりと羨んでいる。

 観客席のすみで、冷えた指先を見つめる。めずらしく震えがきている――そう思ったとき、同じ高校の倉泉悠里(くらいずみゆうり)が声をかけてきた。

「どうしたん、こんなとこ座って」
「別に……本番前だから集中してるだけ。何か用?」
「なんか坂井くん、怖い顔してるから」

 そう言って、眼鏡のむこうから薄茶色の瞳でのぞきこんでくる。音楽室で窓越しに見えていた、あのまっすぐな目だ――
 まいったな――そう声に出さずにつぶやいて、湊人は息を吐きだした。

「ここではやりなれてるつもりだったんだけど、今夜はアウェー感がすごい」
「知り合いがいない、ってこと?」
「そう、代打だし当然なんだけど」
「私なんか剣道の試合、アウェーばっかりやで」
「……やりづらい?」

 湊人がぼそりとつぶやくと、悠里は頬をゆるめて言った。

「そりゃあもちろん。でも開始の合図が出たら、やるしかないやん。あとは対戦相手と真っ向勝負や」

 そう言って悠里は竹刀を振りおろす真似をする。いつも穏やかな悠里の意外な一面を見て、湊人はくすりと笑う。それから試合会場に立っている悠里を思い浮かべる。周囲には、知らない人間の、目と、目と、目と、目。

 自分にこれほど度胸がなかったのかと、今更思い知らされる。思い返せば『ラウンド・ミッドナイト』で演奏するときは見知ったスタッフばかりだし、観客にも湊人の知り合いが多い。ピアノトリオで『ブラックバード』に出演するときも、湊人目当てにやってくる客ばかりだ。CDも出してすっかりプロになったつもりでいたけれど、あれだってオーナーの力があったからだ。

 先ほどのリハーサルもひどい有様だった。要がいたせいで気持ちがゆるんでいたのかもしれないけれど、メインメンバーの信洋と小雪との呼吸がなかなか合わなかった。
 年長者の二人が合わせようとしてくれているのに、不甲斐ない演奏しかできず、要は好き放題している。代打をかってでた自分がなんとかしなければ、とあせるほど演奏は崩壊した。

 よく考えれば、今まで誰かに引っぱってもらってばかりだった。ジャズピアノを始めてすぐの頃は姉の初音(はつね)がいたし、カルテットにはオーナーも晃太郎(こうたろう)もいた。彼らの強力な磁場に引きつけられて演奏して、それが自分の力だと思っていた。

 けれど違った。信洋と小雪に出会って、初めてそのことに気づいた。まだ自分の足で立てていない。まだまだジャズの知らない側面がある。その前で自分は呆然と突っ立っている――そう考えだすと、また指が震えてきた。

「うちらがおるやん」

 ふと気づくと、クラスメイトのサラ・フアレスと吹奏楽部の牧晴乃(まきはるの)が湊人を取り囲んでいた。

「おまえらまだいたのかよ……さっさと帰れよ」
「なにそれ、あたしらのことお子様扱いしてんの?」

 そういってラテン系の面立ちをしたサラが目の前で仁王立ちをする。髪は黒いが、湊人と比べても褐色がかった肌をしている。彼女の父親はヒスパニック系のアメリカ人、母親は日本人だ。サラの思考回路は完全にアメリカの合理主義で、怒ると英語でまくしたててくることもある。
 ジャズに人生を捧げたいと思っている湊人には、喉から手が出るほど憧れる出自だった。

 けれどうらやんでも仕方ないことも承知している。プロピアニストの父、望月浩彰がいたから今の自分がある。家を飛び出したからこそ要たちに出会えて、その後、幸運にも『ラウンド・ミッドナイト』に居場所を見つけることができた。

「おまえらがいると気が散る」

 彼女たちに背を向けようとすると、背の高い晴乃がかがみこむようにしてチケットの半券を見せつけてきた。

「残念ですけど、うちらここにおる権利ありますんで」

 切れ長の瞳が湊人を睨んでくる。友人の篠原健太から聞いていた通り、一筋縄ではいかないタイプだということはよくわかった。

「それに保護者もおりますし」

 そう言って晴乃が腕をひいたのは、ライブハウス「QUASAR」の宮浦基彦だった。

「MMさん……何してるんですか。店番は?」

 湊人が目を丸くしていると、宮浦はスキンヘッドの頭をなでながら困ったように言った。

「いやーこの子らに保護者を頼まれたのもあるんやけど、ノブくんまでインフルエンザ発病してないか気になって見に来たんや。マナちゃんの代打って、君のことやったんか。ほんでヴォーカルが要くん? えらい豪華やなあ」

 豪快に笑いながらそう言う宮浦の姿を見ていると、突っ張っていた緊張の糸がふっとゆるんだ気がした。

「そういえばおまえら……受験日近いんじゃないの? こんなとこにいていいのか?」

 ふと頭に湧いた疑問を投げかけると、悠里たちは気まずそうに顔を見合わせた。

「うっ……それを言わんといて……。今夜だけ特別に息抜きで家から出してもらったんやからぁ。……でも坂井くんは、試験日いつなん?」

 悠里が眼鏡の端を指でかきながらそう言う。山のようにそびえる宮浦と視線がかちあったが、自分で言え、と目で合図してきた。湊人は息を吐きだすと、覚悟を決めて言った。

「俺、大学にはいかないから」
「ええっそうなん? 初耳やわ。でもそれやったら……担任がうるさかったんちゃう?」

 サラはそう言って、同情するように眉を下げた。湊人とサラの担任は「志望校全員合格」を勝手に目標にすえていて、進学を希望しない湊人にげんなりするほど圧力をかけてきた。