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LOVE FOOL・前編

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第3環




『第3環』

 イエソドの建築物はほとんどが書庫と学院で占められているが、勿論住宅区域も存在する。
 シジル達司書の居る書殿を中心に自然と商人が集まり、店を開く。
 その便利さにヴィヴィアンヴァルツの様な才能を認められた術士が屋敷を置き、街を円滑にしていた。
 太陽系の様な解りやすい階級の仕組み。
 才能と幸運に恵まれず、埋没してゆくその他大勢の者達が住まう集落はその外れに追いやられ、
街の片隅にひっそりと。メーガナーダは住んでいた。

 白い外壁と丸い屋根。額縁の様な四角い窓。
 お伽噺に出てくるお菓子の家とはこんな感じなのだろうか?
決して広くはないものの手入れのゆき届いた美しい庭園は燃え立つほどの紅華が一面を覆う。
 先端の細い花弁だけが放線状に天を向き、真っ直ぐに伸びた茎に葉は無い。

(相変わらず、だな)
 ヴィヴィアンヴァルツが初めてイエソドに来たのは10にも満たない年の頃で、悪魔バアル=ゼブルから
一方的な契約を奪い取った後だった。
 幼くとも一流、もしくは以上の能力を誇る魔術師にとって、この地がとても貧相に映ったのだ
家も人も空気もどこか埃っぽい気さえしてくる。
 まだ子供だったヴィヴィアンを案じ、保護者気取りで面倒を見ていた男が自分の「師」だと周りに
認識されているのが気に入らなかった。

―お前なんかから、この俺が教わる事など何一つ無い!

 そう吐き捨て家を飛び出して以来、二人は一言も口を利いていない。
イエソドの講堂で顔を合わせる機会は幾度もあったけれど、ヴィヴィアンは彼を無視し続けた。
 気の弱いブリジットだけは隠れて挨拶を交わしていた風だったが、準じて取り巻き達も彼を無視する
様になった。
 そんな状況で今更なんと云って呼び鈴を鳴らせば良いのか。
金で縁取りされた濃紺の扉を睨みつけ、ノブを回す決心が今一つ着かないヴィヴィアンヴァルツは
 鮮やかな真紅に誘われるまま、手前に零れる一輪へと手を伸ばした。

 赤い華。
 メーガナーダに似ているその色をぼんやりと眺め、重く震える花冠を手折る。
あまり自分以外を美しいとは称さないのだが。と、摘み取った華をくるくると回し、
口許に寄せたヴィヴィアンの背後から唐突に緩い口調が押し止めた。

「その華はリコリス。別名『レッドスパイダー・リリー』猛毒ですよ、ヴィヴィアンヴァルツ」

「毒!?…っわ!そんな物を庭に植えるな!」
 毒と聞くなり折った華を即刻地面にぴしゃりと打ち捨て、喧嘩腰で振り返る。

「そう云われましても。鑑賞する分には害がないですし、毒華であろうとも美しい物は美しい」

 腰に手を当て怒り心頭の目の前に、声音同様穏やかな微笑みを浮かべ大きな紙袋を両腕に
抱えた男が立っていた。
 背中までの長い赤髪を結いもせず無造作に流し、爪先までのローブはいかにも魔術師といった
装いで重い裾を翻す。
 一度荷物を抱え直し、器用に塞がった手で玄関のドアを開くメーガナーダは、どうぞと
ヴィヴィアンヴァルツを手招き、人の良さそうな黒瞳を緩ませた。

「社交辞令は割愛して本題に入りましょうか。此処に来るほどの切迫した事態なのでしょう?」
「…う…」
 見透かされている。
 てっきり嫌な顔をされるものと思っていたが、メーガナーダは少しも表情を崩しはしなかった。

 これまでの険悪な態度を何も咎めない彼の態度がかえってヴィヴィアンを居心地悪くさせる。
 勿論自分に非は無い。俺の云った事は全て正しい。
 なのに、この不快な気分は何故だろう。
 もやもやとわだかまる胸中を抱き、最近こんな事ばかりだと自身の不幸を呪う。
 が、それもあと少し。
 歯切れの悪いヴィヴィアンの横をすり抜け、手前の廊下を曲がるメーガナーダを追いかければ、
奥のキッチンで買い込んだ食材を床下に仕舞っている処だった。

「シジルから聞いたんだが、お前は催眠術で他人の記憶を呼び起こす事が出来るとか」
 久しぶりに踏み入れる室内は変わっていない。
 質素な家具と暖色の壁。飾りっけの無いセピア色の空間。
軋む床板を進み、そろそろと隣に屈んで訊ねるが湿った木と土の匂いに耐え切れず顔を背けた。

 再び立ち上がってメーガナーダを後ろから眺めると床に掘られた倉庫には瓶や缶詰までが全て二個ずつ並べられ、同居人が居るという意味を示す。
(まだあの男と暮らしているのか…)
 生理的に受け付けない変質者。
  ヴィヴィアンはぶるりと鳥肌を浮かせ、周囲を見回した。
 唯一苦手とする「あの男」はヴィヴィアンが此処を出てから住みついた青年で、どういう訳か二人は
とても仲が良いらしい。
「ええ、それは確かに可能ですけれど?」
 驚いたのか、収納庫から顔を上げ聞き返す。
ヴィヴィアンは深い溜息を浴びせ腕を組んだ。
 こいつには一から伝えなければ用件を理解出来ないのか。
「俺のに決まっているだろう。じゃなければ誰がお前なんかに頼みに来るか」
「ああ、そうですよね。そうですか…」

 自他共に認める偉大な魔術師ヴィヴィアンヴァルツが記憶の再生を求めてくるというのは確かに
切迫した事態だ。
苛立ちながら結んだ口許で舌打ち、自分を見下ろす麗貌を眺め床に着いていた膝を払う。
一度は笑顔でそう応えるも、胸元に降りた髪を後ろに流しながら彼はふと真顔になって向き直った。

「では早速始めましょう」

++

「退行催眠で貴方の無意識下に働きかけ、必要な箇所の記憶だけを呼び起こします。
そうすればその晩に何が起きたのか判る筈」

 メーガナーダに連れられ通された先は、深い眠りを促進させる香を燻らせた薄暗い部屋の中であった。
寝台が一つと安楽椅子が一つ。彼が催眠術を行う際に利用する寝室。
 その硬いベッドに一人仰向けに横たわり、ヴィヴィアンは身じろぐ。
心身共にリラックス出来なければ術を妨げると云われコートを脱ぎ、首元を緩めてみたが、
肌に触れるひやりとした空気が返って落ちつかない。
人前で無防備になる経験が無いせいだ。
 温かく香るハーブティーを喉に通し、ようやく魔術師は頷いた。

「そういえば、まだアイツと暮らしてるんだな」
 心配そうに首を動かすと、枕元に立っていたメーガナーダが額に触れてくる。自分が何か重病人になった気分だ。
「大丈夫ですよ、私室には全てインドラが入れない様しっかりと魔方陣を引いてます」
 ご心配なく、指一本触れさせません。
自分を頼って来た人間に付け入る様な真似はしないと微笑む。
「そ、そうか!なら」
「力を抜いて下さい、何も痛い事なんてしませんから」
「そんな事判ってる!」
頑なに言い張るヴィヴィアンに今度はメーガナーダがやれやれと首を振った。
子供の時から少しも変わっていない。
むしろ年を重ねプライドも高くなった気さえする。

「行きます」
「ん…」
 温い指に瞼を閉じられ、ゆっくりと闇に沈む。
浮いている様な水面に委ねている様な無重力感に何か自分の口から言葉が漏れた気がしたが、
それさえも判らない。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨