LOVE FOOL・前編
第2・5環
『第2.5環』
陽が沈み、遮る建築物の無い夜空にひやりと白く嗤う月が寂れた街景を見下ろす。
住人の絶えたゴーストタウン。植物すら命の育みを拒む灰塵の街。
その最奥で不気味にそびえ立ち、針山にも似たシルエットを落す古城が彼、ノーデンスの棲家であった。
青い血管の透き通る肌と地に着くほど長い白髪が亡霊と呼ばれる由縁だろうが、
生死を訊ねた事は無い。
いつの間にか血縁の絶えた領主の城に居付き、好物の酒と交換に姿を現しては来客の望む「商品」を創造する。
それが「錬金術師」という職業だと後になってから知った言葉であったほど。
ノーデンスは世界にあまり興味がなかった。
「…。来たか」
顔の見えない肖像画。傾いたシャンデリア。
大広間の中央でぽつりと輝きの鈍った銀の燭台を円卓に置き、カードを広げていた手が留まる。
すい、と視線を前方に向けると、金具の錆ついた重い扉を必死で押し開く常連客の姿が見え首を傾けた。
「どうした?わざわざそのドアを手で開けるなんて何かの新しい流行か?」
「うるさい!そういう気分なんだよ」
細く歪曲する微笑をそのままに、しかしノーデンスは不思議そうに指を一度鳴らす。
城主の合図で広間の燭台は一斉に橙色の火が灯り、暗闇を滑走路の様に美しく直線を描く。
全体重を掛けて押した扉も軽く開き、非力な魔術師は痺れた手首を撫でながら足早に迫ると正面の椅子を引いた。
「おや?少し陽に焼けた?」
「ほっとけ!俺の事は良い、それよりこの指輪の話だ」
テーブルの上に展開されていたカードの柄も目に留まらず、膨れた顔でノーデンスを睨みつけヴィヴィアンヴァルツは卓上を叩く。
手には割れた二つの宝石が握られていた。
エメラルドとムーンストーン。
彼の為にと指輪用に誂えた10の内の2つ、残りの8つはまだ美しく均整のとれた指に収まっている。
彼は細い眼差しを一層切れ長に緩め、呆れたと身をだらりと崩した。
「勿体ない、もう使ったのか。後悔するぞヴィヴィアンヴァルツ」
「やっぱり、知っていたんだな。どうして黙っていた!?」
「どうしてって…聞かれなかったから、知っていると思ってた」
「…。」
最もな意見に返す言葉も無い。
眉根を吊り上げた麗貌を背け、ヴィヴィアンは彼を尋ねるいつもの通り、最高級の果実酒をテーブルに乗せた。
代償を先に払わなければこの男は動かないと、逢う回数を重ねた間柄だからこそ知っている。
日頃他人に高慢な態度を自重しないヴィヴィアンであったがノーデンスにだけは、規約を破る事はしない。
それほど商品と情報の質は良いのだ。
嬉々として酒の包みに手を掛ける男を一瞥し、ようやく本題に口を開く。
二つに割れた石を指で転がし、上目使いでちらりと見やった。
「…まあ、今更良い。それより早く指輪を治してくれ、パナケイアは役に立つ」
城主はどこからか取り出したグラスを二つ並べ、真紅の液体を注ぐ。
仄暗い中で蝋燭の火に照らされるその色は、ヴィヴィアンに不愉快な記憶を連想させたが錬金術師は全く気付きもしない仕草で険しく光る碧眼に勧めた。
「それは無理。心は交換出来ない、使い切りだ」
揺れる紅に純白の真珠を落せば発泡酒の様な泡が浮かぶ。
美しく魅惑的なグラスの化学反応をぼんやりと眺めていたか、ノーデンスの簡潔な台詞にがばりと激しく身を起こした。
「―は?…何だと?心!?」
「その宝石は精霊の全身全霊、お前への恋心で出来ている。解き放てばもう二度目はない」
大振りな態度で心底驚くヴィヴィアンに、やれやれと首を振る。
「再び旧世界まで本人に逢いに行けば可能だろうが、今のお前にそんな力はないんだろう?」
「ぐ…」
全て見透かされている。
「…どうすれば元に戻る?」
立ちあがった腰を再び下ろし、ヴィヴィアンはぼそりと呟いた。
いつも強気でプライドの高い彼の姿が今夜はやけにしおらしい。
が、ノーデンスはそんな魔術師を肴に、グラスの底で破片を残す真珠ごと呷ると淡白に一言、応えた。
「俺が知るか」
「…。」
こんな時、人は「絶句する」というのだろうか。
信じがたいと、瞳を見開き口を薄くぱたぱた動かすヴィヴィアンに漸く多少なりともの罪悪感が芽生えたのかノーデンスは咳払いで沈黙と打ち消すと改めて言葉を紡いだ。
「そうだな、ただ云える事は…指輪の残りはあと8つしか無い。
それぞれ違う属性の彼女達を適材適所、上手く利用して立ち回らなければお前は天才魔術師としての力を取り戻せないまま、周囲に潰される」
この男は人に希望を持たせるという言葉を知らないのだろうか?
それは自身にも云えたが、ヴィヴィアンは恨めしく瞳を棲ます。
「…潰される?この俺が?」
益々怪訝にひきつる美貌を眺め、ノーデンスは空になった自身のグラスにワインを注ぐ。
もう溶けた真珠は跡かたも無かったが、程よく酔いの回った舌は饒舌にヴィヴィアンの顔色を白くさせた。
「そうだ。人が弱っている時にこそ、周囲の本性が露わになるもの。
これまで散々虐げてきた者達の真意が試される、とカードには出てる」
変わらない表情で、仮面の嘲笑を貼り着けた男は楽しげに詠う。
云われてテーブルに視線を下ろすと、自分の手と石とグラスの下敷きに数枚のタロットカードが並べられていた。
「最近見よう見まねでやり始めたんだが、面白い」と、付け加える。
城から一歩も外に出ない癖に。いつどこで見たというのか。
全く信用ならない、胡散臭い男だ。
内心で険悪に口を尖らせ、ヴィヴィアンは尚もノーデンスに訊ねた。
「でも星とか恋人達とか…これって良い意味の筈だろう?」
占いには詳しく無いが、良いカードだと云う事は絵柄で想像がついた。
華やかな色彩がヴィヴィアンの方を向いている。
たった一枚、天秤を持つ盲目の騎士だけが反対側を向いていたが、堅苦しい雰囲気が好きにはなれない。だから特別気にも留めなかった。
こんな奴になら嫌われても良い。
「馬鹿、それはお前から見ての正位置だろうが。つまりはリバース、逆って意味だ」
どれだけ自分第一なんだよ。
耐えきれず、腹を抱え人の不幸を笑い始めるノーデンスの長い髪を軽く引き、ヴィヴィアンは憤怒を吐く。
「む…。お前はどっちの味方なんだよ!」
失礼な奴!薄情者!と罵るも一度笑い始めた彼は目尻にうっすら涙を湛え、尚も大声で笑う。
それでも瞳が全く見えないのがノーデンスだ。
苦しそうにテーブルに腕を掛け、うん?と振り返る。
「俺?俺はいつだってより面白いほうの味方だ。
善悪なんてものは主観でどうにでも変わるから当てにしない。判断するのは容姿が7割」
「後の3割は?」
即座に苛々とヴィヴィアンが問うた。
「死ぬまでのプロセス」
にいっと口元だけが三日月に裂ける。
墟城の闇で白く浮かぶ亡霊。
自分に魔力が無くなった「今」だからだろうか。
暗闇を纏うあのバアル=ゼブルよりも混沌とした不変的な何か忌まわしい産物だと。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨