批判蟲のおじいちゃん
ワシをいつまで待たせるんじゃ!」
「すみません、もうちょっとだけ……」
「これからゲートボールの予約があるんじゃ!
お前じゃ話にならん! 医者を出せ!」
「どうしました?」
医者が出てくると、おじいちゃんは怒り始めた。
「まったく、最近の若い奴は本当に!
ワシをどれだけ待たせれば気が済むんじゃ!」
「実は、あなたの体からよくない蟲が見つかりました」
「なんじゃ?」
「批判蟲です」
「ひはんちゅう?」
「お腹のあたりに寄生する蟲で、
これがあると新しいことへの挑戦に臆病になり
目に映るすべてが鼻につくようになります」
「それで?」
「それだけです」
おじいちゃんはガンだと告げられるかと覚悟していたので
医者の報告になんだか拍子抜けしてしまった。
「それならかまわん。それじゃわしは帰る」
「え、治療しないんですか!?
そのためにここに来たんでしょう?」
「いい。あとは勝手にしてくれ。
健康に問題ないなら、治すまでもない」
おじいちゃんは病院の帰り、スーパーに寄った。
タイミングが良かったのかちょうどお団子が安売りしていた。
「ほぅ、団子か。久しぶりに食べようかのぅ」
手を伸ばした瞬間、お腹がきりきりと痛んだ。
「うぅ……なんじゃ? くそっ……」
慌てて団子に伸ばした手を引っ込めると痛みは止まった。
どうやら"いつもの行動"から少しでも逸脱すれば
批判蟲が反応してしまうらしい。
と、なると予約していたゲートボールもキャンセルになった。
家の縁側でお茶をすすることしかできなくなった。
「煩わしいのぅ……どんな小さな冒険にも批判蟲が反応してしまう」
おじいちゃんはやることがないので、
日課のとある小説投稿SNSを覗いた。
いつもはお気に入りの連載小説を読んではコメントを残していたが
なぜだか今日はとてもつまらなく感じた。
「なんじゃこれは。
情景描写がダメじゃ。キャラも立っておらん。
ワシはこんなものを毎日楽しんでおったのか?」
その作品だけではなかった。
昔好きだった映画。
何度も聞いた音楽。
よく読んだマンガ。
何もかも、どうでもいいことばかりに目が行って粗探ししてしまう。
そうして、前に感じていた感動を濁してばかり。
おじいちゃんが病院に戻るのは翌日。
「やっぱり治療しろっ」
「え、どっちをですか?」
「どっち?」
看護師の"どっち"質問に、おじいちゃんはきょとん顔。
慌てて医者が割って入った。
「批判蟲の治療ですね、すぐに始めましょう」
治療と言っても大それたものではなく、
簡単な注射をするだけで終わった。
「これで治るんじゃな?
もし治らなかったらこの病院を訴えるぞ」
「大丈夫ですよ、安心して下さい」
病院の帰り、おじいちゃんはいつも通らない帰り道を選んだ。
そんな小さな冒険にも、お腹は痛くならなかった。
「ほぅ、あの若造治療したようじゃな。
ま、それが当然なんがな」
おじいちゃんは気分よく歩いていた。
そこに目に入ったのは昔懐かしい駄菓子屋さん。
「こんなところに……知らなかったのぅ」
誰もいない店内には駄菓子が壁までうずたかく積まれている。
おじいちゃんにとってそこは楽園だった。
家に戻ると、おばあちゃんはびっくりした。
「どうしたんです? そんなに駄菓子を買い込んで」
「懐かしさに惹かれてな」
明らかに食べきれない量の駄菓子を並べては
おじいちゃんは昔を思い出してニヤニヤしていた。
翌日も、その次も、その次も次も次も……。
おじいちゃんは駄菓子屋に通い詰めた。
「おおっアタリじゃ! アタリじゃ!」
すっかり駄菓子屋の魅力に取りつかれたおじいちゃん。
ケチくさいと評判だったはずなのに、
年金も使い切り、今や借金してまで駄菓子を買いあさっていた。
「おじいさん、あなたちょっと病気ですよ」
「病気ぃ? そんなこと知らん。
ワシは駄菓子を買いたいんじゃ。それ以外に興味はない」
おばあさんから病院に連絡がいくと、
医者と看護師コンビがおじいちゃんの家に検診に来てくれた。
「なんじゃ、ワシは頼んでおらんぞ! 帰れ!」
「いえ、治療が必要になるかも知れません」
医者はおじいちゃんの体に調べると、ため息をついた。
「熱蟲症ですね」
「ねっちゅう……しょう?」
「前に、批判蟲を治療したじゃないですか。
批判蟲がいなくなったところに熱蟲が入り込んだんです」
「ワシが聞きたいのは健康被害があるのかどうか、じゃ。
余計なことはしゃべらなくていい」
「健康被害はありません。
ただ、熱中しているものがあると周りが見えなくなります」
「ふん、ワシは大丈夫じゃ」
「いえ、全然ダメです」
おばあちゃんは家に積まれている段ボールを指さした。
あの中には食べきれなくなって行き場をなくした駄菓子が
みっちみちに詰められていた。
「先生、なんとか治療してもらえませんか?」
「どっちをですか?」
「どっち?」
看護師の質問におばあちゃんはぽかんとした。
「熱蟲症の治療ですね、わかっています」
「おいっ勝手に話を進めるなっ!
ワシは治療なんてせんぞっ」
「でも、おじちゃん。熱蟲症をこのまま放置していると、
いつしか駄菓子を集める以外の行動ができなくなります」
おじいちゃんは医者の言葉に、ぐっと息をのんだ。
最近はご飯の代わりに駄菓子を食べている。
この調子でこんな生活を続けていれば、
遅かれ早かれ間違いなく体を壊すだろう。
「……しょうがない、早く治療しろっ。
安くしないと許さんからなっ」
「はい、お任せください」
医者は簡単な注射を1本打ってあげた。
すると、おじいちゃんの体を突き動かしていた
駄菓子へのあくなき探求心が薄れ周りが見えてきた。
「ワシ……なにやっとるんじゃ」
「おじいさん、やっと戻ってこられたんですね」
おばあちゃんは、おじいちゃんの治療に喜んだ。
「それでは私たちはこれで」
医者と看護師はお代を受け取って病院へと戻っていった。
医者と看護師コンビの帰りの車中で。
「先生……本当に放置していいんですか?
あのおじいちゃん、
本当はもっと危険な蟲が体にいるのに」
「いいんだよ」
「でも、自己蟲(じこちゅう)は厄介で……」
なおも続ける看護師に医者が言葉を割り込ませた。
「たしかに自己蟲は、批判蟲よりも熱蟲症よりも大きな病気だ。
でも、治療はアイデンティティ崩壊の危険がある。
あの年齢じゃ……もう手術後には耐えられない」
自己蟲を治療してしまえば、
この世界から自分が不要と思う不安で耐えられなくなる。
「病気と一緒に生きていくことも大事なんだよ。
ところで、この後はなにか予定あるの?」
「どうしたんです急に」
「一緒に食事でもと思って。
あわよくばホテルにでも行こうかと」
「その前に病院に診察しに行きましょう」
医者『出会い蟲』の感染が分かったのはこのすぐ後だった。
作品名:批判蟲のおじいちゃん 作家名:かなりえずき