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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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幕間20分(信洋の章)

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 悠里は何か口ずさみ始めた。どうやら湊人が弾いていた曲を英語で歌っているらしい。ルイ・アームストロングの2ビートではなく、ポップスらしい8ビートのようだ。少し低めの歌声とじつになめらかな英語の発音が、セリーヌ・ディオンの音源を思い出させる。

 すると湊人がピアノを弾き始めた。彼の清流のような2ビートに乗せられて、悠里の歌もスイングし始める。驚いている悠里の前で、小雪がそっとベースをかまえる。彼女の静けささえ感じさせるベースの音色が、ゆるやかに店内の空気を包んでいく。

 1コーラスが終わったが、湊人は演奏をやめるつもりはないらしく、身震いが起きるほど美しいカウンターメロディをはさみこむ。あわてて信洋がバスドラムの側面に乗せてあったブラシを手に取ると、要もギターをかかげて目配せをしてきた。
 2コーラス目にかかるように、ドラムのフィルインを入れる。また悠里の歌声が始まる。こぼれ落ちる雫のようなピアノの伴奏――雨上がりの大地にふりそそぐ陽の光のようにギターが鳴り響く。信洋はブラシの先でスネアドラムを優しくなでて、彼らの音色を支える。

 悠里の旋律に、要の歌声がかぶさる。その途端、世界は彩りを増し、あたりに花が咲き乱れる。青い空をゆく雲のように、ふたりの歌声は調和しながらどこまでも流れていく。

 信洋がバスドラムを踏んで演奏を終えると、悠里は瞳を輝かせながら深いため息を吐いた。

「なに今の……これが、ジャズ?」
「そう、別にむずかしくないよ。心が響けば、自然と生まれる」

 湊人は静かにそう言った。先ほどまでの喧騒はすっかり静まって、ギターを下げた要が満足そうに笑っている。
 すると呆然としていたサラが、突然要を指さして言った。

「どっかで聞いたことある声やと思たら……この人、高村要やんか!」
「うそ! 弾き語りやってる、あの?」
「そうや、『交差点』歌ってる人やん! こないだテレビで見たわ!」

 再びサラとルノがやいのやいのと騒ぎ出した。まるで愛美が増殖したみたいだ、と信洋が考えていると、要は先ほど同じ調子で「俺のこと知ってるの?」と握手を交わし始めた。

「湊人くん、今の演奏、鳥肌立っちゃった」

 そう言ったのは小雪だった。意識がどこかにいっていたのか、焦点の合っていなかった湊人がふと我に返ったように頭をふった。

「倉泉の声を聞いてたら、父さん思い出しちゃって……。ネイティブっぽい発音にもおどろいたけど、倉泉の父親って、もしかして外国人?」
「お父さん、日系2世なんよ。今はアメリカに住んでるの」
「それでかあ……」

 湊人が吐きだした言葉に、誰もがうなずく。すると小雪はベースを腕に抱いたまま、譜面を入れかえ始めた。

「今の感じで、最後にもう一回だけリハーサルしようよ。湊人くん、自然体でとってもよかった。私たちに合わせようと気負わなくていいからさ。ねえ綿谷さん?」

 小雪がそう言うと、テーブルセッティングをしていた綿谷が顔を上げた。眼鏡の奥にある目がゆるやかな弧を描いている。

「今夜のメインディッシュは何か、それが大事だね」

 それだけ言って、またカウンターの奥へ引っ込んでいく。サラとルノが再び「今夜の料理が何かってこと?」「そら豪華なもんちゃう?」「なんせゴージャスな店やしな」「私らにはやっぱお子様ランチ?」「そんなアホな。てかそれ言うならお子様ディナーやん」とかけ合い漫才のようなやり取りを始めた。悠里も肩を叩かれているが、ぼんやりとしていて演奏の余韻にひたっているようだった。

「あのさ、よかったら一緒に本番でない? 俺がハモるから、君がメインヴォーカルでさ」

 唐突にそう言ったのは要だった。悠里が瞳をますます大きくさせている。なんてことを言い出すんだ、高校生を巻きこめない、と思い信洋がとっさにフォローに入ろうとすると、湊人が音をたてて立ち上がった。

「何言ってんだよ、メインは要だろ!」

 そう叫んだ瞬間、何かが腑に落ちたのか、湊人はすとんと着席した。

「そっか……ヴォーカルに合わせなきゃいけないんだ……」

 ひとり言のようにつぶやいて、鍵盤に視線を落とす。巻き込まれかけた悠里がオロオロとしているが、小雪が白いピアノに手をかけて言った。

「合わせるっていうよりは、さっきみたいに溶けていく感じがいいな。絵の具を混ぜ合わせて黒くなっていくんじゃなくて、光の交差で彩りを増していく感じ。ギターもピアノもベースも、全ての音色が歌声をより膨らませていくっていうか」

 そう言って小雪が信洋の方にふりむいた。白い頬に赤みがさしている。練習中は口数の少ない小雪が音楽について語るなんて、よほど今の演奏に感銘を受けたらしい。

「でもそれじゃ、ベースとドラムがやりにくくないですか? あいつ、本番中も変則的なことするし、ランニングベースの中にないコードを鳴らしたりするし」
「湊人くんがやりづらいなら、そこはちょっと、高村さんに抑えてもらいましょうか」

 小雪がにっこりと笑うと、要は気まずそうに笑い返した。

「さっき綿谷さんが言ってたじゃない。メインディッシュが大事だって。ノブのドラムが大きなディッシュプレートみたいにどっしり構えてくれたら、私は揺るがないから」

 そう言って小雪は力強く微笑んだ。普段は小柄ではかなげに見える小雪が、ベースを構えているときは時折こうした姿を見せる。支えなければと思う一方で自分が支えられていることに気づく。それと同時に頼りにされていることもわかって信洋は奮起する。

「まかせといて」
「じゃあ一度全部取り払って、セッションみたいな感じでいきましょう。メインは高村さんのヴォーカル、ソロはピアノとギターで回してもらって、あとは好きにやってもらえれば私たちが支えるから」
「本当にいいんですか? 俺たちエキストラなのに」

 湊人が不安げにそう言う。女子高生三人が彼を見守っている。圧倒的なピアノのテクニックとは対照的に、同級生の視線を気にする若さと、その思慮深さが信洋は好きだった。

「もちろんだよ。俺たち、合わせるのは大得意だから」

 信洋がそう言って小雪に片目をつぶると、小雪もウインクを返してきた。きっと今、二人の頭の中に浮かんだ人物は、同じだったに違いない。いくら追いかけても背中しか見えない、どこまでも高みを目指して駆け登っていく黄金のトランぺッター。彼にふり向いてもらうためにやってきたことは、無駄ではなかったはずだ――小雪との関係に迷いはあっても、目指す場所は同じなのだと、確かに感じることができる。

 信洋はスティックを打ち鳴らしてカウントを出す。この日の演目で一番のお気に入り『ギブ・ミー・ザ・シンプル・ライフ』だ。音楽をするのに、余計な詮索は必要ない。小雪がいて、自分がいる。愛美がいないのは残念だけれど、湊人と要という素晴らしいプレイヤーに出会えた。目の前で瞳を輝かせている悠里たち女子高生との出会いも、思わぬところに転がっていた。なんでもない日常の延長に、素晴らしい人生が待っている。

 だからドラムはやめられない――そう思いながら、信洋はドラムのフィルインを叩いた。                         (続く)