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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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幕間20分(信洋の章)

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幕間20分(信洋の章)



 ある冬の朝、堤信洋(つつみのぶひろ)は冴えわたる青空を見上げながら、神戸の街中を歩いていた。雲ひとつない空に、冬のやわらかな陽が昇っている。

 毎朝五時に起床する信洋は、昼の三時から予定しているリハーサルには早すぎるとわかっていても、外に出ずにはいられなかった。

 ドラムのスティックケースを背負ったまま、伸びをする。上げた腕が通行人に当たりそうになり、思わず手を引っ込める。ギターのハードケースを持った男性が、申し訳なさそうに頭を下げながら信洋を追い抜いていく。

 ジャケットをはおったその人物を見ながら、腰でも痛いのかな、と信洋は思った。
 不自然に前かがみで、ふくらはぎにばかり力が入っているように見える。
 あの猫背じゃ余計に痛いことだろう、と思っていると、天然パーマの髪を揺らしながらその男性がふりむいた。自分の方が余計なことを考えていたことに気づいて、視線をそらす。

 春から大学四回生になる信洋はスポーツ医学を専攻している。高校では柔道をやっていたこともあって、将来は柔道整復師の資格を取るつもりでいる。
 堅実な自分に合った手堅い職業、だとは思っているが、一方でどうしても手放せないものがある。

 肩を軽く揺らすと、背中でドラムスティックの重なり合う音が聞こえる。その途端にジャズの4ビートが鼓膜の奥で鳴り始める。ピアノやベースの音が徐々に合わさってくる。

 憧れてやまなかったあのトランペットの音色が響き始める――陽光にも匹敵するほどの眩いきらめきをはなつ有川武(ありかわたけし)の音色――
 ずっと追いかけていたかったその背中は、思わぬところでこちらにふりむいた。
 ――やりたい曲があるなら、死に物狂いで練習してこい。

 武の亡き弟、慎一郎(しんいちろう)の追悼セッションに出る約束は交わせたものの、「おまえのレベルはまだここまで到達していない」とあの厳しい目がものがたっていた。

 追いかけるのではなく、同じステージに立つ――そのためには個人練習だけでなく、数多くのライブをこなす必要があった。
 焦りを感じた信洋は、音楽仲間の多い有川愛美(まなみ)のつてを頼りに、追悼セッションまでにいくつかのライブをセッティングすることができた。

 今日はそのうちのひとつ、なじみのジャズ喫茶『ブラックバード』でヴォーカルをフロントにすえたコンボを組むことになっている。
 リズムセクションはいつものようにピアノは愛美、ベースは小雪(こゆき)だ。
 武の妹でもある愛美はいつものように「次こそはお兄ちゃんにぎゃふんと言わせてやる」と息巻いていたが、このところ小雪は調子が落ちているようだ。

 付き合っているのに何もしてやれない自分に不甲斐なさを抱く一方で、小雪の中に存在するどうやっても破れない壁を持て余している自分もいる。

 彼女は自分に何を望むのか――それすらも、わからなくなっている。

 けれど悩んだってしかたがない、今やれることを今やろう――そう自分に言い聞かせて、ライブハウス「QUASAR」に足を運ぶ。レコーディング用のスタジオも併設しているこのライブハウスは、平日の昼間は比較的すいている。どちらかというとロックやパンク系のプレイヤーが多く、気分転換にもってこいだった。

 もちろんジャズは愛しているけれど、信洋は他のジャンルを聞くのも好きだった。何より素直な気持ちで聞けるのがいい。他人の4ビートを聞いていると、ここをこうすればもっとよくなるのに、と頭が勝手に考察を始めてしまうので、集中したいときは「QUASAR」にむかうことにしている。

 細い裏路地を通りながら、つい一週間前のことを思い出す。ひとりでスタジオにこもっていると、ドア越しにこちらをじっと見ている女子高校生がいた。色素の薄い目を輝かせながら、信洋の顔を凝視しているようだった。

 男子校出身の信洋はこういうとき、どう対処すべきなのかわからない。スティックを握っている手から冷や汗ばかり噴き出してきて、ヘッドフォンの音すら耳に入ってこない。
 たまりかねた信洋は、思い切って立ち上がった。どうやら彼女はギターを持っているようだし、次の練習予定が入っているのかもしれなかった。

「あの――もしもし」

 信洋がそう言って肩を叩いた彼女は、名を倉泉悠里(くらいずみゆうり)と言った。驚いたことに、このライブハウスを出入りしているプロプレイヤー倉泉陽人(はると)の妹だった。
 もっと驚いたのは、その兄と信洋が似ていると言いだしたことだった。

 そして何故だか自分の情けない恋話まで吐露してしまった。彼女のにごりのない真っすぐな目がそうさせたのだろう、と思い出すたびに笑ってしまう。

 信洋はライブハウスのドアを押し開け、受付にある時計を見上げた。きっと今頃、彼女は高校で授業を受けているだろう。自分が渡したライブチケットを握って、今夜は来てくれるだろうか――
 ほんのわずかな期待を胸に抱きながら、信洋はスタジオの鍵を受け取った。

 その時、携帯電話が鳴った。メッセージではなく、愛美からの着信だった。ライブ当日にかけてくるなんてめずらしいと思いながら通話ボタンを押すと、愛美の弱々しい声が耳に届いた。

「ごめーん……インフルエンザうつったみたいで、今夜は出られなくなっちゃった」
「ええっ、ピアノどうすんの? いや違った、マナ大丈夫?」
「取ってつけたように心配しないでよ」
「ごめん、思わず……。熱、高いのか?」
「さっきタミフル処方してもらったから大丈夫だと思うー……そんでさ、今日の代打、手配しといたから心配しないで。あーそうそう、予定してたヴォーカルも風邪でだめになっちゃったから、別の人くるよ」

 いったい誰なのかと聞こうとした途端、愛美が咳きこんだ。遠くから人のざわめきが聞こえる。まだ病院の中にいるのか、館内アナウンスの音も鳴っている。

「あー名前呼ばれたー。薬もらってくる。じゃあ今夜がんばってね」

 そう言ったきり通話が終了した。携帯電話の画面を見たまま唖然としていると、カウンターの中にいた宮浦基彦が声をかけてきた。

「もしやドタキャン?」
「いえ……代打は用意してくれてるみたいなんですけど、名前言わずに切れました」
「さすがせっかちマナちゃん。でもあの子が用意したんやったら、心配無用とちゃう?」
「それはまあ、確かに」

 信洋が肩を落としたままスタジオに向かおうとすると、宮浦は「特別に1時間分おまけしたるよー。きばって練習しいや」と声を上げた。

 冬なのに日焼けした肌にスキンヘッドの宮浦が、歯を見せて笑う。身長が193センチもあり一見すると強面の彼だが、にっかりと笑う顔には愛嬌があってどこか安心させてくれるものがある。

 いつも通りの自分で――と意気込む一方で、バンドマスターの愛美に頼ってばかりの自分にも気づいて、信洋はますます肩を落とした。
    
                 ***

 予定通りの時刻に『ブラックバード』についていたのは信洋と小雪だけだった。
 店主の綿谷も(わたや)さすがに気の毒そうな面持ちで白いグランドピアノを磨いている。