僕の好きな彼女
ビルの脇に設けられた電光掲示板にはオレンジ色の文字をしたニュースが流れている。
一日の株価がどうだとか、スポーツ選手の薬物汚染がなんだとか、ローカルニュースでは最近話題の『通り魔殺人』がまた新たな犠牲者を生んだとか、僕にとっては割とどうでも良い事ばかりだ。
濃い緑色のマフラーにあごから口まで埋めて、そんな様子を見るともなく眺めつつ、僕はやや早足で歩きひたすらに家路を急いでいた。
色合いばかりは暖かいオレンジ色の夕暮れに包まれたそんな街中で、人が忙しなく行き交う駅前の通りの中に、僕は彼女を見つけた。
ふとその姿に目を奪われ、それまでの急ぎの足を止めて――立ち尽くしたまま気がつけば、僕はぼけっと彼女の様子ばかりを見つめていた。
僕には実にそのときが『はじめて彼女を見たとき』なので、いうならばこのとき僕は『見ず知らずの赤の他人』を無遠慮かつ遠目にじろじろと眺めていたことになる。
――なんでそうなったのか?
普通ならあり得ないことだ。
だけど彼女は、無闇に僕の目を引いた。
道路から駅の方に向けて真っ直ぐ水平に手を伸ばし、立てた自分の手の甲を『穴でも開け』とばかりに睨んでいた。
それが、なんとも不思議なことだが、その『たたずまい』が実に『絵』になっていた。
彼女のブレザーには見覚えがあった。
僕の住んでいるところからすればひとつだけ隣町にある、とある進学校の指定制服だ。
細い身体は柳を思わせるしなやかさで緩やかな弧を描き、凜とした様子で和弓のように背筋を伸ばしていた。
肩までの髪の毛は風に流されながらも、濃く深い黒色で、棚引く煙のような柔らかなウェーブがかかっている。
その波がやや髪の毛の長さ毎に不均等な様子から、僕はきっとそれが『天然のウェーブ』なんだろうなと漠然と思った。
たかだか十四年を超えた程度の僕の人生だが、それでもその姿はそれまで見たことがないような浮遊感のある在り方で、だから何となく気を引かれたのだと思った。
単純に間隔として、僕らの間にはざっと二十メートルほどは間が空いていた。
というのは、僕としてもあまり近づいて、見つめる彼女に気取られたくなかったからだ。
いつだって好きなときに目をそらして、その瞬間から全く知らない人間同士に戻れる。
そうした人間関係としての安全地帯から、僕は彼女を眺めていたかった。
ところが、
佇立するまま風見鶏のように、彼女がゆっくりと弧を描きはじめた。
なんと、かかとを起点にしているのだろうか?
ゆらりと揺らいだ身体は、体幹を中点に反時計回りにくるりとその手の甲で円を描いた。
そして、九十度回ったところで、ぴたりと止まった。
それで、
その手の先には、
――驚くべき事に、『僕』がいた。
彼女の手が指し示した先に、他でもない僕がいた。
その瞬間、びくんと身体の中で心臓が本来のリズムを踏み越えて跳ね上がるのを感じ、僕は『見ていたこと』に気づかれたと感じた。
そんな僕のやましいおびえに似た感情を見透かしたかのように、彼女が『つか』と歩き始めた。
その足取りに一切の迷いはない。
その視線から間違いない。
彼女が他でもなく真っ直ぐと向かうのは、『この僕のところへ』だ。
事態が理解できずうろたえ戸惑う僕の目の前にやってきた彼女は、心中で構える僕に正対して二歩前で立ち止まった。
その目が射るような輝きを湛えて僕に向けられた。
意志の強そうな黒々とした瞳が、(見たこともないのに)『黒曜石』という言葉を思わせた。
しかし、強くはあるがそのどこか意図的に『熱量を抑えた』眼差しから、『自分は責められるのだろうか?』と思うと――同時に、僕は逆に何だかひどく理不尽なものを感じた。
何しろ僕は彼女をただ『見ていただけ』で、声すらかけはしていないのだから、『プライバシー』という言葉の範囲であれば、彼女のテリトリーをいかなる形であっても侵したりは、絶対にしていないはずなのだ。