魔術師
俺たちはシリアスな話を全くといっていいほど交わそうとはしなかった。俺が魔法と呼ぶこのスキルについての話にしても、一切触れることをしなかったし、生活についても、もちろんお互いの家庭の話にも、そして底にあったはずの感情や背景さえも全く話すことをしなかったはずだ。弱みを見せ合うこともせず、本気でぶつかり合うこともなかった。だからこそ誰よりもタフだったはずだ。弱点はまったくなかったと言っていい。常に世界は俺たちと共にあったなどと、それぐらいのことは言い切ってしまえる。俺たちはいつも、いつでも、一人の時さえも笑って暮らした。
さて、時は過ぎ場面は切り替わるが、決して暗転などはしない。
俺が学校を辞めて遠くへ行くほんの少し前の話だったか、彼、和弘がこんなことを言い出したことがあった。
「なあ。お前さ、なんか空洞の中にいるって気分、わかるか? 寒い感じなんだよ。寂しくなるとき、ねえの? ほら、誰かと遊んでんじゃん。そういうときに寒い感じする。お前も俺と同じように気張ってさ、それこそ誰も見てないときでもちゃんと俺たちでいて、きっとさ、学校でひとりでトイレしてる時すらもイメージ崩れないように気張ってんだろ? 俺もだよ。俺はいつだってそうしてきたって。いつのまにかああいうイメージついてたじゃん? 俺、こんなんじゃねえんだよって言いたくなるときね? もう壊れたっていいやって思ったりさ。まあ、んなことするわけねえんだけど。な? 寒い感じ、しねえの?」
俺は別に気張ってるとかじゃねえよ好きでやってんだろうがみたいなことを言って笑ったと思う。お前さ、あの女に振られたから寂しいだけじゃねえの、だからそんな薄ら寒いこと言ってんじゃねえのって、そうやっていつものように笑ったはずだ。
彼は同じ変容を経たであろう俺だからこそそんな話をしたのだろうが、俺のその態度は彼の幻想を壊さなかったと思う。ひとしきり笑って顔を上げたときに見た和弘は、いつものいいかげんでお調子者の顔をして、――いつもの調子に戻って、ほら、こないだ一緒に会った女居たじゃん? あの子すんげかわいくねかった? とニヤニヤしながら話し出した。それからこの話は別段、気に留めもしなかったし、それ以来にそういったような話もしたことがなかった。俺たちは俺たちの期待を裏切る事はしない。そう、俺たちはいつだって誰よりもタフだった。
何年か前、もう、和弘が居なくなってからずいぶん経ってからのことだったが、突然、和弘と交わした会話を思い出した。
いつもの顔が並ぶ飲み会の中で、俺はその時好きだった女にこっぴどく振られた話をしていた。そのひとは俺にとって特別なひとであったはずだったが、なんてことない普通だって、また次なんじゃねえの? などと笑いながら話していた時のことだった。
不意に関係のない和弘の言葉を思い出してしまい、きっとみんなが見たことのない顔でもしてたのだろう。横にいた女の子に、どうしたの? と聞かれてしまった。俺は、なんて答えただろう? なんか適当なことを言ってみんなを笑わせたのかも知れない。きっとその受け答えも、その後もちゃあんとみんなの知っている、認識している俺でいられたはずだ。なにしろ俺は、彼ら彼女らの期待を裏切ったことはない。今なんかよりもずっとタフだった。魔法がこの手の中にあった。だからこそちゃあんと出来たと言い切れる。
帰りの船の中で、ぼんやりと和弘と交わした会話を一語一語反芻した。
確かに気張っていると言えねえこともねえよ。でもな、そんなん言って今更止めれるか? 俺たちはやり続けることでしか寒さを忘れられないだろうがよ。お前だってそうだったんじゃねえの? だからさっさと逃げたんだろうよ。なあ?
あの時に、お前もそうなのかと言ってやれたのなら、俺も同じだよと思えたとしたなら、何かが変わっていたのだろうか。結局、彼は自分で作った物語を、死をもって終わらせることしかできなかった。いや、それでも和弘の書いた物語は今もまだ有効なのかもしれない。彼以外のひとにはなぜ彼が自死を選んだのか全くわからなかった。同じ道を通り、彼の寒さを知った俺さえも本当のところはさっぱりわからないでいる。きっと彼の綴った物語どおりに、誰も彼もが死の理由を、彼の用意した死の理由通りに想像し、納得していることだろう。
和弘の告別式で久し振りに顔を合わせた彼の母親は、あの子は小さい頃から我侭ひとつも言わずに私を支えてくれました、と涙ながらに語っていた。俺の見たこともない彼の友人たちも、俺と共通の友人たちもみな泣いていた。俺だけがぼんやりと子供のころに遊んだ日々を思い出していた。泣かなかった。
彼は常に最強の魔術師だった。死してなお雄弁に語る語り部だ。種明かしの類は一切なかった。
彼はもう死んでしまったが、俺は今ものうのうと生きて和弘と交わした会話のことを考えている。何度か変容を繰り返し、そのせいでより複雑になってしまった今日までの経緯を考えると、今さら本来の俺に戻るのは不可能に思えてくる。もう魔法と呼んでいたものを使うことができない。それでも、俺はこの世界に留まり続ける。そんな妄言。もちろんためになる話でもない。戯言と雑音。いつも通り。