魔術師
魔術師 200804改稿
俺は俺を伝える言葉しか持ってない。俺という地表にあなたの姿を映すことが、あなたを住まわすことが人生の目的だ。そう、俺はただの人喰いで、その他すら知らない生き物だ。覚他の類は別にして、そんなものはごろごろしている。大して珍しいものでもない。そんな男の戯言をあなたに伝える事に意味などないのかもしれないが、そういった類の生き物が存在するということ、あなたが俺の中にも存在しているということぐらいは残せるんじゃないかと思う。
だから、そう、魔法の話をしよう。ほうら、俺の話なんてものは誰かの心に何かを残したり、問題を提示したりもしない。訓話なども無縁だ。ただのファンタジーでしかない、魔法の使い手の居る遠い国の話をしよう。
友人の話。名前は和弘という。俺の幼馴染だった男だ、が、それは正確な言い回しではない。俺の母親が一箇所に落ち着いたのは俺の生れ落ちてから随分先のことで、叔母に聞き及んだだけでも尋常じゃない数の引越しをしていた。思い描ける土地の思い出など皆無に等しく、そんな紙の記録だけが俺の記憶である。
ようやく一箇所に落ち着いたのは俺が小学校の三年ぐらいのときだった。それで幼馴染と定義できないのではないかと思うのだが、俺は彼を、彼のみを幼馴染として定義する。ともかく、その頃から――彼はその十何年か後に、本当にくそつまらない死に方をして生涯を閉じるわけだが、その最後の日までずっと俺の友人で幼馴染であった。俺が変容したときも、変わることによってすべての人との関係が破綻してしまったときも、当てのない放浪の時であってさえ、変わらず彼が俺の友人であった。
俺は彼の変容も、彼の破滅も、彼の嘲りもすべて見ていたし、すべて愛していた。彼が俺を傍観し、肯定するように、俺も彼を肯定し、傍観していた。だからこそ友人でいられたのだろうと今でも思っている。なぜ、そのような距離感を保てていたのかはわからないが、世界が、周囲が、家族に至るまでどうあろうと何も言わず、何もしなかったのは俺にとって彼一人だった。そして、彼の周りでも何もしないのは俺ただひとりだけであった。
俺は彼の幼馴染だった。これは生涯を通し、全てを捨てることになったとしても抱えていくであろう、真実ではない事実である。
彼と俺の母親は、いわゆる水商売の女だった。その界隈の人々が集まって暮らしている繁華街の裏通りの一角に俺たちの家族の家があった。そのエリアに住んでいた何世帯の家族の中で、同い年の子供は俺と和弘のふたりだけだった。他に何人かは似たような歳の子供がいたこともあったのだが、様々な理由で人だけが入れ替わっていった。市による再開発の手が入り、建物も入れ替わるその最後の時まで残っていたのは、俺と和弘のたちの家族と、俺たちがおねえちゃんと呼んでいた十四、五歳の女の子のいた家族だけであった。
他に遊び相手がいなかった訳ではなかったが、彼女ら、――母親たちなのだが――彼女らがぱりっとした格好に身を包み、それぞれの店へと稼ぎに出るような時間には、俺たちの遊び相手は俺たち以外にはいなかった。大抵の子供たちは夜が落ちる頃には家へと帰っていく。それで俺と彼の二人だけが残ってしまう。まるで強制的に組まされたペアのようだったが、俺たちはお互いの母親と共に顔を合わせた最初の日から、これは繰り返し書くことになるだろうが彼の生涯が終わるまで、ずっと仲が良かった。
二人の境遇が似ていたこともあったのだが、自然に学んだであろう、お互いがお互いのシリアスな部分に介入しない、という考え方は二人にとっての最大の共通点であった。俺たちの母親は自分たちの責務や仕事をどんな状態であろうとも確実にこなし(この点で俺は彼女を非常に尊敬している)、どんな状況であろうとシリアスにならないひとたちであった。決してシリアスな部分を家庭に持ち込まないというその方針は、子供である俺たちにとっても都合がよく、理に適っており、居心地がよかった。俺たちがうまくやってきた理由は多分それだけだ。シリアスと俺のいうものの説明は上手く出来やしないので割愛させてもらう。きっとほとんどの人間において大切で、俺にとっては扱いの難しいものの一種だと思っている。俺たちの母親はまるで少女のようであったと云えば、もしかしたら分かってくれるひとも居るのかもしれない。
さて、俺は彼の変容もずっと見てきたし、彼も俺の変容をずっと見てきたはずだ。この世の中には語り部と聞き手しかいないと誰かが書いていたが、彼がいない今、俺が語らなければならない。あれは魔法だったということを。
変化ではない。変容と記した。そう、俺たちは成長というよりも、新しい物語を書き記すように生きてきた。まるで化けるように俺たちは生きてきたと思っている。もはや、きっかけがなんだったのかは全く思い出せないのだが、俺はずっと本を読んでいるような静かな子供だったし、彼は非常に醒めたところのある、とても利口な子供だったはずだ。共通していたのは、親にとっては非常に聞き分けのよく、よく出来た子供だったということだと思っている。それを俺たちは意図的にこなしていることがわかっていた。演じること――実際はほんの少し一部分を増幅させるだけで済むのだが――は全く苦痛ではなかったし、なにより必要であった。手のかからない子供を演じることは、俺たちの母親たち、仕事に疲れた彼女たちを困らせないためにも、また癇癪を起こして出て行ったりしないためにも身につけなければいけないスキルだったからだ。
俺たちは演じることによって「自分以外のひとに物語を語らせる」ことが出来るということがわかっていた。そうやって自分のイメージを、性格を、立ち振る舞いを特定させることができるということを知っていた。他人に特定させることによって、俺たちが心地よい世界に住むことができ、常に必要とされている状況を作る事ができると確信していた。意図的に言葉を用い、他人にも、そして自分たちとっても、いつだって都合のいい自分を作ることができた。
ことに、いとも簡単に歓心が得られる、という点ではこのやり方は白眉だった。誰よりも人の輪の中心にいることができたし、誰よりも必要とされた。俺は誰よりも明るく、どんな話でもみんなを笑わせることができた。彼は誰よりもお調子者で、いつもみんなに注目されいつだって期待されていた。多分、それが最初の変容であったと思う。家庭でやっていることを外にも持ち込んだ、それこそ対象を外の人間にしたというだけのものだったのだが、その恩恵は絶大だった。
俺たちはずっと笑って暮らした。何度かの変容、大層なものではなく、車がほんのちょっとモデルチェンジするようなものに過ぎなかったが、どれもうまくいった。成長しない代わりに新しい自分を作ったのだったが、どのパーソナリティーも俺たちにとってベストであった。そうやってなんの苦労もなく、欲しかったものに囲まれて暮らした。俺たちは俺たちが笑えるようにだけ暮らし続けた。
俺は俺を伝える言葉しか持ってない。俺という地表にあなたの姿を映すことが、あなたを住まわすことが人生の目的だ。そう、俺はただの人喰いで、その他すら知らない生き物だ。覚他の類は別にして、そんなものはごろごろしている。大して珍しいものでもない。そんな男の戯言をあなたに伝える事に意味などないのかもしれないが、そういった類の生き物が存在するということ、あなたが俺の中にも存在しているということぐらいは残せるんじゃないかと思う。
だから、そう、魔法の話をしよう。ほうら、俺の話なんてものは誰かの心に何かを残したり、問題を提示したりもしない。訓話なども無縁だ。ただのファンタジーでしかない、魔法の使い手の居る遠い国の話をしよう。
友人の話。名前は和弘という。俺の幼馴染だった男だ、が、それは正確な言い回しではない。俺の母親が一箇所に落ち着いたのは俺の生れ落ちてから随分先のことで、叔母に聞き及んだだけでも尋常じゃない数の引越しをしていた。思い描ける土地の思い出など皆無に等しく、そんな紙の記録だけが俺の記憶である。
ようやく一箇所に落ち着いたのは俺が小学校の三年ぐらいのときだった。それで幼馴染と定義できないのではないかと思うのだが、俺は彼を、彼のみを幼馴染として定義する。ともかく、その頃から――彼はその十何年か後に、本当にくそつまらない死に方をして生涯を閉じるわけだが、その最後の日までずっと俺の友人で幼馴染であった。俺が変容したときも、変わることによってすべての人との関係が破綻してしまったときも、当てのない放浪の時であってさえ、変わらず彼が俺の友人であった。
俺は彼の変容も、彼の破滅も、彼の嘲りもすべて見ていたし、すべて愛していた。彼が俺を傍観し、肯定するように、俺も彼を肯定し、傍観していた。だからこそ友人でいられたのだろうと今でも思っている。なぜ、そのような距離感を保てていたのかはわからないが、世界が、周囲が、家族に至るまでどうあろうと何も言わず、何もしなかったのは俺にとって彼一人だった。そして、彼の周りでも何もしないのは俺ただひとりだけであった。
俺は彼の幼馴染だった。これは生涯を通し、全てを捨てることになったとしても抱えていくであろう、真実ではない事実である。
彼と俺の母親は、いわゆる水商売の女だった。その界隈の人々が集まって暮らしている繁華街の裏通りの一角に俺たちの家族の家があった。そのエリアに住んでいた何世帯の家族の中で、同い年の子供は俺と和弘のふたりだけだった。他に何人かは似たような歳の子供がいたこともあったのだが、様々な理由で人だけが入れ替わっていった。市による再開発の手が入り、建物も入れ替わるその最後の時まで残っていたのは、俺と和弘のたちの家族と、俺たちがおねえちゃんと呼んでいた十四、五歳の女の子のいた家族だけであった。
他に遊び相手がいなかった訳ではなかったが、彼女ら、――母親たちなのだが――彼女らがぱりっとした格好に身を包み、それぞれの店へと稼ぎに出るような時間には、俺たちの遊び相手は俺たち以外にはいなかった。大抵の子供たちは夜が落ちる頃には家へと帰っていく。それで俺と彼の二人だけが残ってしまう。まるで強制的に組まされたペアのようだったが、俺たちはお互いの母親と共に顔を合わせた最初の日から、これは繰り返し書くことになるだろうが彼の生涯が終わるまで、ずっと仲が良かった。
二人の境遇が似ていたこともあったのだが、自然に学んだであろう、お互いがお互いのシリアスな部分に介入しない、という考え方は二人にとっての最大の共通点であった。俺たちの母親は自分たちの責務や仕事をどんな状態であろうとも確実にこなし(この点で俺は彼女を非常に尊敬している)、どんな状況であろうとシリアスにならないひとたちであった。決してシリアスな部分を家庭に持ち込まないというその方針は、子供である俺たちにとっても都合がよく、理に適っており、居心地がよかった。俺たちがうまくやってきた理由は多分それだけだ。シリアスと俺のいうものの説明は上手く出来やしないので割愛させてもらう。きっとほとんどの人間において大切で、俺にとっては扱いの難しいものの一種だと思っている。俺たちの母親はまるで少女のようであったと云えば、もしかしたら分かってくれるひとも居るのかもしれない。
さて、俺は彼の変容もずっと見てきたし、彼も俺の変容をずっと見てきたはずだ。この世の中には語り部と聞き手しかいないと誰かが書いていたが、彼がいない今、俺が語らなければならない。あれは魔法だったということを。
変化ではない。変容と記した。そう、俺たちは成長というよりも、新しい物語を書き記すように生きてきた。まるで化けるように俺たちは生きてきたと思っている。もはや、きっかけがなんだったのかは全く思い出せないのだが、俺はずっと本を読んでいるような静かな子供だったし、彼は非常に醒めたところのある、とても利口な子供だったはずだ。共通していたのは、親にとっては非常に聞き分けのよく、よく出来た子供だったということだと思っている。それを俺たちは意図的にこなしていることがわかっていた。演じること――実際はほんの少し一部分を増幅させるだけで済むのだが――は全く苦痛ではなかったし、なにより必要であった。手のかからない子供を演じることは、俺たちの母親たち、仕事に疲れた彼女たちを困らせないためにも、また癇癪を起こして出て行ったりしないためにも身につけなければいけないスキルだったからだ。
俺たちは演じることによって「自分以外のひとに物語を語らせる」ことが出来るということがわかっていた。そうやって自分のイメージを、性格を、立ち振る舞いを特定させることができるということを知っていた。他人に特定させることによって、俺たちが心地よい世界に住むことができ、常に必要とされている状況を作る事ができると確信していた。意図的に言葉を用い、他人にも、そして自分たちとっても、いつだって都合のいい自分を作ることができた。
ことに、いとも簡単に歓心が得られる、という点ではこのやり方は白眉だった。誰よりも人の輪の中心にいることができたし、誰よりも必要とされた。俺は誰よりも明るく、どんな話でもみんなを笑わせることができた。彼は誰よりもお調子者で、いつもみんなに注目されいつだって期待されていた。多分、それが最初の変容であったと思う。家庭でやっていることを外にも持ち込んだ、それこそ対象を外の人間にしたというだけのものだったのだが、その恩恵は絶大だった。
俺たちはずっと笑って暮らした。何度かの変容、大層なものではなく、車がほんのちょっとモデルチェンジするようなものに過ぎなかったが、どれもうまくいった。成長しない代わりに新しい自分を作ったのだったが、どのパーソナリティーも俺たちにとってベストであった。そうやってなんの苦労もなく、欲しかったものに囲まれて暮らした。俺たちは俺たちが笑えるようにだけ暮らし続けた。