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からっ風と、繭の郷の子守唄 第56話~60話

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 換気用に使われてきた屋根のやぐら部分は、内部から塞がれている。
南に面しているガラス障子から入って来る光だけが、明かりをもたない蚕室の
内部を照らし出している。

 「繭を作る前の蚕は、ここと同じ規模を持つ別棟で育てられます。
 4回の脱皮を繰り返した蚕は、繭を作りはじめる前に、2階へ移されてきます。
 1匹づつ、縦と横が10区画に仕切られたまぶしの中へ蚕を入れていきます。
 100匹の蚕が入ったまぶしの四隅を、柱に固定します。
 同じ作業を繰り返しながら、まぶしを重ねていきます。
 底面に、必ず受け皿を置きます。
 さなぎになる前の蚕は、多量のオシッコをしますの、これを受けるためです。
 蚕は区画の中で、繭を固定するための糸を吐きます。
 その中で繭を作ります。
 繭を取り出すときは、まず固定用に吐いたクモの巣のような糸を、
 掻きとる作業が必要になります。
 その時に出た真綿のようなものが、羽毛のように部屋中に飛び散ります。
 これらが埃となり、床へ幾重にも積み重なります。
 蚕の飼育は、春先の5月からはじまり、9月の末まで続きます。
 一回に10万匹程度。多い時には、20万から30万匹に達します。
 あら。カイコに関する話は、蛇足かしら。
 座ぐり糸作家ですもの。わたしどもよりも詳しいはずですねぇ」

 「そんなことはありません・・・・あらためて勉強になります」

 初めてみる蚕室の巨大さに、千尋が圧倒されている。
言葉を失ったまま、繁栄を極めたかつての巨大遺産に、目を奪われている。

 (この広い空間で、いったいどれほどの繭が生産されてきたのだろう。
 蚕が糸を吐き、繭を作りだす時期になると、『お蚕あげ』に取り掛かる。
 一刻を争う作業のため、総力戦になると聞いたことが有る。
 別棟の飼育室と、繭をつくるためのこの2階まで、
 数十人が駆け回ったはずだ。
 たくさんの回転まぶしがひしめきあって、この空間を
 埋めていたことでしょう。
 いつ頃までだったのだろうか。そうした繁栄は・・・・
 化学繊維の普及が、養蚕業の衰退のきっかけを作った。
 1950年代の半ばから養蚕業の減退がはじまり、生活様式の変化が
 さらに追い打ちをかけた。
 中国をはじめとする人件費の安い国での養蚕業が、台頭してきたのも
 その頃からのことだ・・・)
 
 頭上に広がる暗闇を見上げながら、千尋がポツリとつぶやく。
日本の繭と生糸は、1950年代を境目にして、一気に坂道を転落していく。
養蚕大国を誇った群馬県も、この時期を境に、養蚕農家の戸数が激減していく。
1980年代の前半、30,000戸を上回っていた。
しかし2007年の調査では、わずか471戸に落ち込んでいる。

 全盛を誇った製糸工場も、1ヶ所を残すのみになった。
すでに養蚕業は、産業としての基盤を持っていない。
近い将来、このままでは群馬県内の養蚕農家は、全て消滅すると言われている。
前橋市は「上毛かるた」で、「県都まえばし糸のまち」と歌わている。
製糸工場の煙突から出る煙で、景気を占った時代が有る。

 昭和44年の統計によれば前橋市内には、大小合わせて
98カ所の製糸工場が有った。
そのほか、玉糸製糸の工場が16カ所も有ったという。
だが今となっては、まったく痕跡すらも残っていない街になっている。
古いまちなみの景観も、度重なる区画整理により消滅しつつある。
わずかに残っている遺構から、前橋市が養蚕や製糸業によって形づくられ、
繁栄してきたという歴史を、かすかに思い起こすことができる・・・

 「下でお茶にいたしましょう。
 男の人たちはまだ、バイク談議に夢中な様子ですから」

 階段を降りかけていた奥さんが、途中で立ち止まる。
にこやかにほほ笑みながら、どうぞこちらへと千尋を手招きしている。