6月 trilemma兎
無理して優しくあろうとしていた。思い遣りの体裁をした臆病な毛皮を纏い、浮かぶ意見を飲み込んで見当違いな唸り声しか出せなくなって、彼の言葉に敏感に耳を澄まし嫉妬の炎で焼かれる。何度も孤独を思った。そうか。何度も思い過ぎたせいで1人でいる事にストレスを感じなくなったのかもしれない。だからあんなにも強く願った身の破壊すらも遥か遠くに点のように感じるだけなのだ。臆病な毛皮を自らの口で毟るのも厭わない。いや、全て剥ぎ取ってしまいたい。みっともなく斑に毛が残った姿が今の私の成れの果てなのだから。恐れはしない。
肩の荷がようやく降りて身軽になったのだ。形は違えど、思い描いていた未来だった筈。私は腕で顔を覆うと寝返りを打ち、足を畳に放り出した。
なにか違和感を感じる。洩れ出すような違和感。思わず下半身に触れる。粘りを帯びた液体の感触。遅れに遅れた出血が到来したのだ。私は怠い体を温もったシーツから引き離しトイレへ向かう。
目を射るような裸電球が白い光の玉のように映り込んだ艶やかな白い陶器の便器に滴り落ちた鮮血は猩々緋より更に明るく、私の目に焼き付きおかしな錯覚すら起こす。途端、彼が怯えるようにして本当に静かに泣いている姿が浮かんできた。ああ・・・不意に気違いじみた感情が込み上げる。こんなタイミングか。トイレの小窓から軒を滴る控え目な雨音が聞こえる。
あのまばらな拍手はもしかしたら、賛辞なのかもしれない。なにかをすり減らしながら一緒にいた彼と私への。そうであって欲しい。私はトイレを後にして丁度良く熱の冷めた布団に潜り込み、ごくゆっくりと瞼を閉じた。
これからもずっと6月になる度に思い出すであろう刻み付けられた寂しい記憶。
拍手に混じって、膨らんだような波の音が聞こえる。私を憎む事で傷を癒そうとした彼の眠りもまた穏やかであって欲しい。そのくらいの事を望むのならばまだ私に許されているだろう。
作品名:6月 trilemma兎 作家名:ぬゑ