小説を書くこと
1.小説を書くこと 2016/01/18
まず初めに、なぜ小説を書くのか、というお話です。
ここに登録されている方の多くは、何かしら文字で物語を綴りたい、という気持ちを持っていらっしゃると思います。
小説だったり、詩だったり、エッセイだったり、形は様々ですが、どれも「言葉を紡ぐ」作業です。言葉で人物を作り上げ、風景を描き、感情を彩ること――それはどのジャンルにも共通していることだと思います。
その中でどうして小説なのか――
それは、どうしても書きたいことがあるから――その一言につきます。
書きたくて書きたくて、自分の中に閉じこめておくのが苦しくて、ひとつ書き上げたら更に掘り下げたものを書きたくなって、また次に取りかかってしまう――その連鎖がずっと続いています。
中学生の頃から詩や物語や、音楽好きなこともあって歌詞をたくさん書いてきました。その中で小説も書いてきたのですが、形になったものはあまりありませんでした。
初めて人に読んでもらえる小説として完結できたのが、大学三回生のときに書いた『紫音』でした。(ここでは改題して「紫音の夜」になっています)
そのあと、四回生のときに卒論用に中編小説を書いたのですが、その後『ファースト・ノート』『切れない鋏』と続き、今は次のものに取りかかり始めたところです。
読んで下さった方はなんとなく気づかれていると思いますが、どの作品にも共通のテーマがあります。
音楽はあくまでも物語を構成するための下地で、がっつりとテーマにむかえたのは『ファースト・ノート』からでした。
このテーマというか、「書きたくてたまらないこと」は少しずつ変化しながらも、きっとずっと本質は変わらないのだと思います。
そのことは、大学のゼミでお世話になった添削の先生がおっしゃってました。
「プロの作家にも、作品に共通する不変のテーマがある」
そう言われてから小説を読むと、ああなるほどと感じるものがありました。
初めの頃は「テーマは何?」と聞かれると戸惑ったものでしたが、少しずつ自分が書きたかったことは見えてきたように思います。
どうしても小説でないといけないのは、「テーマに対して葛藤する人物の変化」を書くことに長編小説が一番向いてると気づいたからです。
以前、八馬八朔様のNHKで「長編か、短編か」というお題が出たときに、ものすごく考えました。どうして自分は長編なのか。
そして答えもいただきました。(大感謝です!)
出来事を書くなら「短編」、人物を書くなら「長編」なんですよね。
ていうか、添削の先生に同じこと言われてたな…と今更ながらに思い出したりしました(汗)
やっと実感として得た、という感じでしょうか(←遅い)
添削の先生には『紫音』を書いたときから「あなたは長編を書くといい」と言われていたので、さすが先生は先生ですね。
そして八馬さまにも「長編向きですね」と太鼓判いただいたので、自信をもってごりごり長編を書くことにしました)^o^(
ここに掲載された作品を読ませていただくうちに、やはりどの方にも得手不得手があるのだから、自分は自分の書けることをやろう、と思えるようになりました。
(短編を書けない自分を置き去りにしたままですが…まあよいとしましょう)
小説を書くこと。苦しくてもどうしてもやめられないこと。
その苦しさをエネルギーに変えて、少しでもいいものを書ければと思っています。