赤澄さんちの早朝風景
赤澄家の朝は早い。
現住人であり最年少でもある次女『司(つかさ)』が早朝ランニングに出るため五時には起き出すからだ。
司が身支度を整え、清涼な空気の中外へ出ていくのを見送るのは、住み込みの執事(七二)である。老人である彼も朝が早いため、司と供に起きるのは苦でも何でもない。
「自分でできることは自分で」という方針の元、両親亡き後もたくましく生活してきた姉妹は「長年慣れ親しんだ場を離れたくない」という執事を除き、住み込みの家臣(今で言うなら家政婦や警備員といったところか)を全員通いに切り替えた。そのため、今この家には姉妹と執事の三人のみが寝起きしている。
執事は、仕えるお嬢様のはつらつとした様子に目を細めたのち、静かに、だが年齢を感じさせないきびきびとした動作で、家のカーテンや障子を開けてゆく。
古い日本家屋を改装した赤澄家は、来客をもてなす部分とお譲さま方の部屋の一部分が洋式だが、他は純和風のつくりをしている。そのため維持にはそれなりの技術がいるので、その点に関しては職人の手に任せていた。
娘たちが行うのは、自室の維持管理、自身と家族の食事、年末の大掃除くらいだろうか。
室内に光を入れ終えた執事は、今だ起きる気配のない長女『尋(ひろ)』の部屋にちらりと目を向けたものの、すぐにそこを通り過ぎ、台所に入ってお茶を沸かし始める。
自身の習慣である朝茶と、喉を乾かして戻るだろう司用に紅茶を淹れるためだ。
のんびりと仕度を済ませ、自分のお茶でひと心地ついていると、司が帰ってくる。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
少しだけ浮いた汗をぬぐう司は、朝日の中晴れ晴れとした表情で微笑んでいた。その爽やかかつ美しい姿に再び目を細め、執事は紅茶のカップを差し出す。
「ありがとう」
やや冷めたそれをぐいっと一気に飲むと、司は入れ替わるように台所に入る。朝食の仕度のためだ。手早くコンロに火を入れ、魚を網にセットすると、一旦部屋に戻る。お茶を飲み終えた執事が台所へ入ると、ちょうど司も戻ってきた。
「ちょっと尋を見てきてくれないかな。声はかけたけど、反応がなかった」
「かしこまりました」
学校の制服を身につけ、いつでも出かけられる姿の上にエプロンを掛けているお嬢様に、深々と一礼すると、執事はもう一人のお嬢様である尋の部屋へ足を向ける。
部屋が洋風のため、姉妹の部屋は扉も洋風だ。つつましやかにそこをノックする。
「尋お嬢様、おはようございます。朝ですよ。お起きになりませんと、また司お嬢様に叱られますぞ」
しばし、その場で待った。
ややあって中から何かが動く音がする。布団の上で寝がえりを打っている音だろうと執事には思えた。
「お目覚めになってください、尋様。お食事もできたようですよ。冷めてしまいますよ」
扉を叩きつつ、言葉を繰り返していると、ようやく中から「う~ん」という声が漏れてきた。おそらく、漂ってきたにおいにも反応したのだろう。
ほっと小さく息を吐き、執事はもう一度だけ扉を叩くと、こう言い置いた。
「尋様、二度寝はなりませんよ。早く身支度をお済ませになってください」
おー、という寝起きの声を確認し、執事はようやく扉の前を離れる。台所で待つ司の手伝いをするのも、毎日のことだった。
「「「いただきます」」」
朝食は、茶の間にある長角テーブルで摂る。今家にいる三人が揃って顔を合わせて斉唱し、それぞれに食べ始めた。
八人掛けのテーブルの長辺の一方に赤澄姉妹、もう一方に執事が着く。本来ならば主人一家と使用人は別々に食事をするところなのだが、三人しかいないのに別々なのはおかしい、という姉妹の意向により、朝晩は三人で摂ることが多かった。
美しいしぐさと完璧な作法で箸を使いつつ、司が執事に話しかける。
「じい。今日は生徒会の会議があるから、遅くなる」
「左様でございますか。では、ご夕食は分けておくよう伝えます」
「うん、よろしく。悪いな」
「いえいえ。学生は学校生活が本分でございますから。家事はできることだけやれば、十分でございますとも」
「そうか。・・・・・・ありがとうな」
穏やかに微笑む姿は、家臣のひいき目を差し引いても、天使もかくやと言える美しさだった。見慣れてはいても見飽きることのないその姿に、執事は毎日眼福している。既にエプロンを外している司は、無駄のない動作で食事を再開した。
「尋様は本日のご予定は?」
司の隣に座る尋に目を向ける。シシャモに頭からかぶりついていた尋は、咀嚼もそこそこに口を開いた。
「ベふに用はない。テキトーにひててひーよ」
「尋。ちゃんと飲み込んでからしゃべれ」
ちくりと妹に指摘された姉だったが、どこ吹く風で残りのシシャモを口に入れ、米を頬張る。司の顔がしかめられた。
「それと、寝ぐせくらい直したらどうだ? 顔は洗ってきたんだろう? パジャマのままなのは、もう何も言わないけど・・・・・・」
司と違い、尋は起きたそのまま、という姿である。だが、顔をしかめるほどだらしのない見た目、というわけではない。パジャマは多少着崩れしているものの、しっかりとまとわれているし、寝ぐせもわずかにハネが見える程度だ。
ちらと妹を見た尋は、茶碗を置くと一応考慮したのか、口の中のものを飲み込んでから言葉を返す。
「お前いちいち細けーな。小姑か」
「っな・・・・・・誰が小姑だ! 姉の身だしなみを注意するくらい、普通のことだろうっ」
「お前にゃ分かんねーよ、サラサラロング。ショートは寝癖がつきやすいの。言われなくても出かけるまでには直しますー」
「・・・・・・そのだらけた口の効き方はやめろ、と言ったはずだが?」
ゆらり、と司が尋に向き直る。声が一段階低くなり、どうやら攻撃態勢に入ったようだった。しかし尋の方は平然と再び茶碗をとる。
「へいへい、悪かったよ。朝からピリピリすんなって。早く食わねーと遅れるぞ」
「っ・・・・・・」
眉間にしわを寄せ、不満気な顔をした司だったが、すぐにあきらめたのか食卓に向き直り、卵焼きに箸を伸ばした。
(・・・・・・全く、このお譲さま方は・・・・・・)
執事は困ったように二人を眺める。この姉妹は、いつもこんな調子なのだ。事あるごとにケンカ腰で言葉を交わし、時折本気のケンカとなる。とはいえ仲が悪いというわけではなく、言い分に理があると思えば互いに聞き合い無意味なケンカもしないし、こうして毎日一緒に食卓を囲んでいる。
さてさて困ったものだ。この姉妹の仲を取り持つべきか、このまま何もせずに見守るべきか――。
考えつつも、ぬか漬けに手を伸ばす執事であった。
食器は自分の分は自分で洗い、共通して使っているものは最後の者が片付ける、というのがこの家のルールである。忙しい事の多い司は、大抵一番早く食べ終わり、司ほどではないものの学校へ行くための準備もある尋がその次、そしてこの後も家で過ごす執事が最後、というのがいつものパターンだった。
ただし、休日は各個の予定次第なのだが・・・・・・。
今日はいつもの通りに執事が最後となり、食器を洗っていると、尋がひょいと台所に顔を出してきた。
作品名:赤澄さんちの早朝風景 作家名:わさび