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Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ

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 これは夢のせいだ。下ろした左手も赤く染まっているのを目にして、リゼはきつく目を閉じた。これは夢のせいだ。スミルナでのあれのせいだ。頭痛のせいで眩暈がする。身体は重いし、吐き気が止まらない。少しずつ、視界が赤く染まっていく。逃げなきゃ。ここから逃げなきゃ。黒いお化けが来る。アイツが来る。アイツが来る前に逃げなければ――
「リゼ」
 不意に名前を呼ばれて、リゼはゆるゆると顔を上げた。赤く染まった視界に、黒曜の影が映り込む。
「悪夢を見た後でそんな気になれないかもしれないが、もう少し眠った方がいい。かなり顔色が悪いよ」
 やがて影は人の形に、アルベルト・スターレンの姿に収束する。何度か瞬きすると、視界の靄が晴れて彼の姿がはっきりと映し出された。
 気が付くと、赤い色は消えていた。両手を見ても、どこも汚れていない。幻覚だ。夢と現実を混同して、勝手に怯えているだけだ。リゼは幻を追い払うように頭を振ると、俯いて空の手を握った。
「……そうする」
 そのまま視線を合わせることなく、リゼはアルベルトに背を向けた。毛布を被り、目を閉じて身を縮める。アルベルトの気配はしばらく背後に留まっていたが、じっと横になっているとやがて静かに離れていった。
 アルベルトが立ち去ったのを感じて、リゼは閉じていた目を開けた。彼には「もう少し眠った方がいい」と言われたけれど、眠気がやってくる気配はなく、目を閉じていることすら苦しい。頭の隅で夢の残骸が喚いている。リゼは毛布を握りしめ、じっと身を固くした。
 どうやら、もう眠れそうにない。



 スミルナから脱出して早二日。メリエ・リドスに帰還するため、リゼ達は西へ進んでいた。
 スミルナでは東門から外へ出たため、西に位置するメリエ・リドスに向かうにはスミルナをぐるっとまわりこんでいかなければならない。直線距離なら半日もない距離だが、地形の関係で回り込むと四日ほどかかる。レーナの操る馬車に乗り、リゼ達はひたすら西を目指していた。しかし、
「シリルの容体はどうですの?」
「変化なしよ」
 背後から聞こえた問いにリゼは振り返った。数歩離れた場所に、水桶を抱えたティリーが立っている。ティリーは水桶を置くと、表情を曇らせた。
「ってことは悪いんですのね……」
「水汲みに行っている間に治る程度なら薬を買いに行く必要ないでしょうね」
「そりゃあそうですけど、早くよくなって欲しいですもの。シリルのためにも、わたくし達のためにもね」
 そう言って、ティリーは水で冷やしたタオルを差し出す。リゼはそれを受け取って、シリルの額に浮かんだ汗をぬぐった。即席の寝床に横たわる彼女は顔を赤く染めて苦しそうに息をしている。タオル越しに伝わってくる体温は高い。熱が下がりそうな様子は少しもなかった。



 シリルが目を覚まし、異常がないことに喜んだのは一昨日のこと。目覚めて数刻もしないうちに、シリルは突然高熱を出して倒れてしまった。やむを得ず近くの森に野営地を築き安静にさせたが、熱が下がる様子はない。悪魔憑依の後遺症が疑われたが、それはアルベルトが否定した。シリルの魂は多少疲労してはいるものの安定しており、致命的な障害は負っていないという。“憑依体質(ヴァス)”は悪魔に取り憑かれやすい代わりに、肉体や精神の変容が起きにくい。体質のせいで厄介事に巻き込まれたが、体質のおかげで助かった。その点は不幸中の幸い、と言うべきか。
 最終的に、シリルの症状はショックと疲労による発熱だろうと、シリルの容体を診たレーナが結論付けた。思い出したくないだろうからと詳しい話を聞くことはしなかったが、フロンダリアで攫われてからのことはシリルのようなか弱い少女には刺激の強すぎる出来事だったであろうことは想像に難くない。ただの発熱だから、数日安静にしてれば良くなるだろう、とレーナは言っていた。
 しかし、その『安静にしていれば』が問題だった。シリルの容体を鑑みるに、馬車で移動し続けることが出来ないのだ。整備された街道を進んでいるわけではないので馬車での移動は振動が大きく、病人には負担が大きい。リゼ達ですら、馬車の振動に辟易しているのだ。しかしそうなると、シリルはここを動けないと言うことになるが……
「というわけで、こうしましょう!」
 シリルの診察を終えた後、レーナはテンション高くそう言った。彼女は場違いなほどニコニコ笑みを浮かべながら、能天気な口調で言う。
「確か近くに宿場町がありますよね。わたしがそこに行って薬を買ってきます。その間、皆さんはここで待機。シリルさんの看病でもしていてください」
 病人を抱えて馬車を飛ばすのは無理。ならば薬を入手してさっさと治してしまおうということらしい。
「しかし、この近くの宿場町には信徒でないと入れないだろう? 近いと言ってもそれなりに距離もあるし……」
 アルベルトがそう尋ねたが、レーナは手早く馬車と馬を繋ぐハーネスを解きつつ、明るく返答する。
「それに関してはご心配なく。こう見えて潜入は得意なんですよ! それに一人ならそれほど時間はかかりませんよ。ちゃっと行ってちゃっと帰ってこれますから問題ありません。じゃ!」
 そうして何か言う暇もなく、レーナは馬に乗って風のように走り去ってしまった。
 それがほんの数刻前の話だ。レーナが出かけた後、アルベルト達は改めて野営の準備をすることにした。ちょうど雨風を避けられる小さな洞窟があったので、そこに野営を築く。その後、シリルの看病はリゼとティリーに任せ、アルベルト達は食料の確保に出かけることとなった。
「シリルは大丈夫かな……」
 食料を求めて森の中を探索していた時、しんがりを歩いていたゼノがそう呟いた。
 それを聞いて、アルベルトは足を止めた。振り返ってゼノを見ると、彼はぼんやりと遠くを見つめている。まさに心ここにあらずと言った雰囲気だ。のろのろと歩くゼノに、アルベルトは声をかけた。
「ゼノ、大丈夫か?」
「あ、何でもねえ! 気にしないでくれ」
 するとゼノは我に返ったようにそう言って、ぶんぶんと手を振った。そのまま彼は足早に歩いてアルベルト達を追い越していく。
「食料の確保っつったって、この辺に食べられるものなんてあるのか?」
 すたすたと歩きながら、ゼノは怪訝そうに呟いた。アルヴィアは緯度の関係で寒冷であり、かつ土地が痩せているため実り豊かとはいえない場所だ。アルヴィアの中では比較的温暖な南部ですら農作物の収量は少ない。当然、野生で食用に出来るものも少ないわけで。
「この辺りだと、野草が少し取れるぐらいかな」
「野草かー。それより肉を食いたいなあ。スミルナからこっち、食べたものは湿気った乾パンとか湿気ってない乾パンとかだぜ……」
「干し肉もあっただろう」
「ああいうのじゃなくて肉汁滴るステーキを食いたい。分厚くてさあ……中がほんのりピンク色でさあ……切った瞬間肉汁がじゅわあって……食いてえ……」
 ゼノは遠い目をして空想上の肉に涎を垂らす。よほど腹が減っているらしい。その様子をキーネスは呆れたように見て、「相変わらず食い意地が張っているな」と呟いた。