Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ
弱弱しい声で詫びるシリルに、アルベルトは目を見張った。
「謝らないでくれ。君のせいじゃない。悪いのは悪魔教徒だ。君はただ巻き込まれただけなんだから。それに大丈夫だ。お守りならここにある」
アルベルトはそう言って、聖印の入った麻袋をシリルに見せた。悪魔からシリルを守るため、祈りを込め直した聖印を今も少女の元に置いてある。それをシリルの手に握らせて、アルベルトは優しく言った。
「これのおかげで君の行先が分かったんだ。取られることを見越してメッセージを隠した君の行動は正しかった」
「……でも、そのせいでアルベルト殿も皆さんも危ない目に……」
「いいんだよ。俺も皆も自分の意志で来たんだから。それに、悪魔に苦しむ人を救うのは悪魔祓い師の義務だ」
シリル・クロウは守られるべき国民だ。教会から離反して、正確には悪魔祓い師ではなくなってしまったけれど、アルベルトは変わらず悪魔祓い師の義務を果たすつもりでる。悪魔祓い師の力がある限り、いや力がなくなったとしても、人々の安寧のために出来る限りのことをしたい。だからどれほど危ない目に遭おうとも構わないのだ。それは自分で選んだことなのだから。
「でも、怖いんです……私のせいで誰かがいなくなるのが怖い……」
そう言って、シリルは小さな声ですすり泣いた。目尻にたまった透明な涙が、肌を伝って枕に落ちていく。アルベルトはたまった涙をそっと拭うと、シリルの頭に手を置いた。
「大丈夫だ。誰もいなくなってないし、これからもいなくならない。だから安心して眠ってくれ。君が早く良くなることをみんな望んでいるから」
ゆっくり頭を撫でると、シリルは瞳を潤ませつつも小さく頷いた。少女は自分でも涙をぬぐうと、言われた通り目を閉じる。するとまだ喋るだけで体力を使ったのか、幾許もしないうちにかすかな寝息を立てはじめた。静かな洞窟に、規則的な寝息がこだまする。それを聞きながら、アルベルトは何ともなしに呟いた。
「――怖い、か」
一方、洞窟の外へ飛び出したティリーはゼノとキーネスが作業をしている焚火の傍へと向かっていた。
焚火は洞窟の入り口近くでパチパチと軽快な音を立てていた。炎は洞窟の壁面に揺らめく影を描き出し、時折吹く風に従ってちろちろと瞬く。その光を受けながら、ティリーは足早にゼノ達の元へと近づいた。焚火のそばでは調理中のゼノと馬車の点検をしているキーネスが、各々作業をしながら会話している。すると、こちらに気付いたゼノが会話を中断してティリーに声をかけた。
「お疲れティリー、シリルの具合はどうだ……?」
「……薬草のおかげか、ちょっと熱が下がりましたわ」
そう答えると、ゼノはぱっと表情を明るくする。シリルを可愛がっている彼にとって、これは嬉しいニュースだろう。しかしそれとは逆にティリーは暗い表情を作った。さらに焚火の前に近づいてどさりと腰をおろし、切なげに溜息をつく。そのこれ見よがしな態度に、ゼノが視線を投げてよこした。
「えーっと……何かあったのか?」
「おいこの馬鹿。不用意に触れるな。長話に付き合わされたいのか」
優しいゼノとは裏腹に、キーネスは厳しく言い放つ。慈悲もなにもない。元から愛想のない男だが、冷たいにもほどがある。
「まあ、キーネス。なんて酷い言い方なんですの。傷心の女の子に『不用意に触れるな』だなんて。そんなんじゃモテませんわよ」
苦言を呈してみるが、キーネスは聞き入れない。
「モテないなら好都合だ。俺は女が嫌いなんでね。特に、構ってもらいたいがために大袈裟に振る舞う奴はな。大体お前、女の子という歳か?」
確かにとっくに成人しているが、心はいつだって女の子だ。乙女心を持つ限り、自身を女の子と称しても構わないはずである!
「女はいつだって少女でありたいものですわよ。全く分かってませんわね」
そう言って、ティリーは腰に手を当てる。乙女心が分からないとはこの朴念仁め。いつだって心は若々しくありたいに決まっているではないか。しかし、
「分からなくていい。分かりたくない」
棒読みかつ早口でそう言い放ち、キーネスは冷たい目でこちらを見てくる。なんだその目は。ティリーも負けじと、キーネスをにらみつける、しばしの間、無言の奇妙な睨み合いが続いた。すると不穏な空気を感じ取ったのか、ゼノが割り込んできた。
「まーその話は良いとして! 何かあっ――いや、メリエ・リドスに戻ったらすることについてだけどさあ」
話題を変えようとしたらしいゼノは、途中まで言いかけたものの律儀にキーネスの忠告を守る。聞いてくれていいのに薄情な奴だ。一方同じく薄情なキーネスは悪友が忠告を護ったことに安心した様子である。不満たっぷりなティリーを無視して、何事もなかったかのように話し始めた。
「メリエ・リドスに戻ったら、出来る限り早くミガーへ渡ろう。アルヴィアに長居は無用だ。スミルナであれだけの騒ぎを起こしたんだからな。俺達全員、揃ってお尋ね者になっているはずだ」
リゼとアルベルトはもとより、ティリー達も騎士相手に大立ちまわりをしてしまったので、もう堂々とアルヴィアの町に入ることはできないだろう。こんな国にいても仕方ないので、とっととミガーに戻るに限る。ただでさえアルヴィアは気候的にも文化的にも決して居心地のいい場所ではないのだ。研究に使えそうなものはそれなりにあるが、そういった目的がなければ長居したいところではない。
「そーだな。速く国に帰りたい。オレこのまんまじゃ町に着いても食い物一つ買えねえよ」
「ああ……ゼノとアルベルトは文無しですものね」
教会に捕まって所持品をほとんど取られてしまったので、二人とも所持金ゼロだ。元々残額は少なかったらしいが、ないよりはマシだっただろうに。寒いとかいうレベルではない懐具合に、ゼノは深々とため息をついた。
「せっかく買い揃えた霊晶石も全部取られちまった……。はあ……今月の仕送りが……」
「剣だけは取り戻せてよかったな」
「まーなー」
沈んだ表情から打って変わり、ゼノは脇に置いた大剣を嬉しそうになでる。何の変哲もない、頑丈さが取り柄の一般的な剣だが、彼にとっては思い入れのある物のようだ。なお、奪われた所持品で取り戻せたのはこれのみだったらしく、アルベルトも剣を取られたとかで、騎士から拝借したという長剣を下げている。あの剣では諸々に支障が出ると思うのだが、大丈夫なのだろうか。
「そういや、オレは同業者組合(ギルド)に行けば預けた金があるけど、アルベルトはどうするんだろう。収入の当てなんてない……よな?」
「さあな。同業者組合(ギルド)に申請すれば魔物退治に協力した報奨金ぐらいくれるんじゃないか」
「あ、そうか。そりゃよかったぜ」
一般人でも魔物退治に協力すれば退治屋同業者組合(ギルド)から報奨金が出る。アルベルトはフロンダリアでも相当魔物を倒していたから、報奨金は結構な額になるだろう。……しかし、あれは手続きが煩雑で時間がかかるものではなかったか。何度か申請したことがあるティリーは申請書を書くめんどくささを思い返して、少しアルベルトを憐れんだ。
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ 作家名:紫苑