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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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切れない鋏 4.武の章 追悼本番

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4.武の章 追悼本番



 追悼セッションの日は、朝から雪が降っていた。
うまく寝つけず早朝に目が覚めた武は、薄暗い部屋の中で時計のぜんまいを巻いていた。
 エアコンもつけず、肌をしめつけるような空気の中で、時計と向かいあう時間が好きだった。

 ふと窓のむこうを見上げた。雲の端っこをちぎったような雪がふわりふわりと舞っている。慎一郎が亡くなって以来、降り落ちる雪の中に慎一郎からのメッセージがあるような気がして、つい空を見上げてしまう。

 追悼セッションの日はなぜかいつも雪で、楽器の搬入が面倒だと思いながらも、雪が降ってくるのをどこかで待っている自分がいる。

 ――ハウハイなんかやったって、シン兄が月にいるわけじゃないでしょ。

 何度も言われた愛美の言葉が頭の中で回っている。そんなのわかっている。現実じゃなくて、月に住んでるって思いたい兄の気持ちが何故わからないのかと、言葉を尽くす気にもなれない。

 雪にも月にも空にも、慎一郎のかけらが混じっている。住み慣れた街を見渡せば、そこら中に慎一郎の気配を感じる。

 五年たってもそれは変わらない。少しずつ損なわれていく慎一郎の面影がこの身を食い尽くす前に、この地を離れなければならない――

 ぜんまいを巻く手ごたえがいつもと違う、と思った瞬間、がきんと嫌な音がした。時計の針をじっと見たが、動きに変化はなかった。
 そっと壁にかけ直して息を吐く。この時計が壊れたらおしまいにしよう――ずっと思っていたその時が、来たのかもしれないと思った。

 引き出しの最上段にぜんまいをしまう。隣にはいつのまにか電池が切れて使えなくなった慎一郎のチューナーが入っている。それから古ぼけた箱の中に、大きな裁ち鋏がおさまっている。それには触れずに引き出しをおさめる。

 スウェットを脱ぎ捨ててジーンズにはきかえていると、携帯電話が鳴った。小雪からだった。几帳面な小雪は、ライブ当日に必ずメッセージを送ってくる。予定通りなのだから別にかまわないと言うのに、その習慣はなくならない。

 ましてや今日は、信洋の車でベースを運ぶのだ。自分など、もう必要ない。

 あのベースを所有している限り、小雪との接点が絶たれずにすむ――遺品の存在が彼女の重荷になることをわかっていて、押しつけた。それなのに今度はそのことを自分が負担に感じて、逃げ出そうとしている。

 もう終わりにしなければ――返信をしないまま、携帯電話をテーブルの上に伏せた。



 慎一郎の墓参りをすませ、『ブラックバード』についたのは午前十一時頃だった。
 この日は一日貸切になっていて、ランチ営業もストップしている。「CLOSE」のかけ看板を見て早すぎるかと思ったが、ドアノブを持つとすんなりと扉が開いた。

「やあ、早いね」

 そう言ってふりむいた綿谷の手にはモップが握られていた。テーブルと椅子を隅によせ、ひとりで床を磨いているようだった。

「ここで音出し、させてもらっていい?」
「どうぞ遠慮なく」

 にっこりと笑った綿谷は、店内に流れていた有線放送を切って、再び床をこすり始めた。

 セッション前は先入観が入らないように音楽は聴かない、と武がずいぶん前に酒の席で言ったのを綿谷は今でも覚えていて、トランペットを持って入店するとすぐにBGMを切ってしまう。結婚してこの土地を離れるとき、何よりも名残惜しくなるのは『ブラックバード』の存在だろう、と思った。

「今年も一緒に行かなかったの?」

 マウスピースを口に当ててリップスラーを始めると、綿谷がそう聞いてきた。
 命日の日は昼すぎから墓参りに行って夜は追悼セッションに向かうのが、有川家の恒例になっている。けれど武が行動を共にしたのは一年目だけで、それ以降は早朝にひとりですませるようになった。

「会うたびに結婚式の段取りを聞いてくるから、面倒だっただけですよ」
「お母さん、さみしがってるんじゃない?」
「いいかげん子離れしてもらわないとね」

 そう言ってマウスピースに口をつけると、綿谷は口の端に笑みを浮かべた。

 そこへ大きな花かごを持った女性が入店してきた。花屋の店員かと思ったら、カスミソウのすきまから顔を見せたのは紗弥だった。めずらしくフルメイクで眼鏡もしていない。

「やっぱりいた」

 そう言って大きなため息をつくと、カウンターの上に花かごを置いた。

「あんたと連絡が取れないって、マナちゃんからメールがきてるんだけど」
「あいつもいい加減、学習しろよな」

 武は袖で口をぬぐってから、マウスピースを本体にさしこんだ。室温が低いせいで、トランペットがうまく振動しない。今から時間をかけて温める必要がある。
 すると紗弥が隣に座って、武のミリタリーコートのポケットを探った。画面が真っ暗の携帯電話をとりだして、顔の前に突き出してくる。

「電源切るなんて回りくどいことしないで、自分の口で言いなさい」

 さっと奪い取ると、カウンターテーブルに伏せた。腕を組んだ紗弥がにらんでくる。
 渋々電源をいれると、着信とメッセージのオンパレードだった。ほとんどが愛美からだが、その中に一通、信洋のものが混ざっていた。

 ――今夜はよろしくお願いします。堤信洋

 俺はおまえなんかとよろしくしたくない、と心の中で呟いて携帯電話を置いた。
 小雪の相手が慎一郎ならあきらめがついたのに、愛美のおせっかいのおかげで、くどいくらい人に真っ直ぐなあの男が小雪の隣を陣取ってしまった。

 あれだけ露骨に小雪に連れ回してもなお、武を信じているらしい。人にはいくつもの顔があることを知らず、疑うことも知らないあのビー玉のような瞳が苦手だった。

 武がトランペットを構えなおすと、脇腹に何か箱のようなものを押しつけられた。

「私から結婚祝いよ。このたびはご結婚おめでとうございます」

 わざとらしい言い方にいら立って、武は顔をそむけた。

「……いらない」
「あんたじゃなくて、あんたの奥さんにあげるのよ。受け取りなさい」

 腹の立つ言い方だ、と思っていると、すいとトランペットを取り上げられた。
 熨斗のつけられた贈答用の箱が目の前にある。手に取るとずしりと重かった。

「……こんなの贈ってどういうつもり」

 ぼそりとつぶやくと、紗弥の手が武の頬をつねった。

「素直に受け取りなさいよ」
「離せよ。本番前に痕ついたらどうすんだよ」
「ひねくれ者のぶさいくな顔を披露すればいいでしょ」

 武が思いきり顔をふると、ようやく紗弥の指が離れた。開店準備のため机を並べだした綿谷にむかって「見て、このダッサイ顔」と笑いだす始末だ。

「セッション聴いていかないの? 今年は小雪ちゃんも出るよ」

 綿谷が椅子を運びながらそう言うと、紗弥はそっと微笑んだ。武にむけられるいたずらっぽい表情は消えて、姉の顔をしていた。

「いいわ。こんな男の自己満足な演奏なんて聞いてられない」

 紗弥はそう言うと、ハンドバックを肩にかけて立ち上がった。武はとっさに腕をつかんだ。何と言って引きとめればいいかわからなかった。頬の痛みのせいで胸が熱かった。

「心配ご無用。結婚式のときは、ばっちりソロをきめてあげるからね」
「紗弥……俺」