伊豆へ行きたい(増補版)
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楽しい旅だった。完全にお天気頼みの計画だったのに、2日とも天候に恵まれた。ギュウギュウ詰めじゃなくて、時間をゆったり使ったのんびりした旅だった。新鮮な海の幸を「これでもかっ!」というくらい食べて、ゆっくり温泉につかって、海原をクルーズした。やりたかったことは、すべてできた。
漁は豊漁だったらしく、観たこともないような巨大な船盛に母は目を丸くしていた。食の細くなっていた母だったが、信じられないほどの量を、おいしいと言って食べてくれた。
温泉も喜んでくれた。湯船と言う言葉があるが、本当に船が露天風呂になっている。特に、眺めがいいわけではなかったが、月が美しかった。
実は、出発前、母は船に乗ることを渋っていた。寒いとか揺れるとか言っていたのだが、妻が説得したのか、デッキにこそ出てこなかったものの、船室の窓から楽しんでくれた。
そして、5月。その母が倒れ、入院した。もう一緒にどこかに出かけることは二度とできない。それどころか、意思の疎通さえできないだろうと、医師に宣告された。それを聞くと妻は、あの日に、その前の日に、さらにその前の日にこうしていれば、と一つ一つ思い返しては悔やんでいた。
でも、落ち着きを取り戻した妻が、伊豆旅行を思い出して、「行けて良かったね」と言ってくれたのが、なにより嬉しかった。
作品名:伊豆へ行きたい(増補版) 作家名:でんでろ3