この世に無用の人間は一人もいません 慈悲とは何か~今日の法話
その意味を悟って初めて、私は父に心から感謝をいだくことができたのです。
―お父さん、私をこの世に生まれさせてくれて、ありがとう。
今、父が生きてここにいたら、必ず伝えたい言葉です。
皆さんも考えてみて下さい。
ご両親がいるからこそ、あなたがここにいて、様々な体験をすることができます。ご両親はまたそのご両親から生まれました。
連綿と絶えることなく続いているご先祖様の存在が、今のあなたを生かしています。
お彼岸は、ご先祖様を思い出し、その御霊に手を合わせる日です。
少し遅くなってしまいましたが、是非、これからは感謝の言葉と共に手を合わせてみましょう。
―あなたがいるから、私はここにいることができるのです。
そんな想いを伝えられてみては、いかがでしょうか。
☆「【人間だもの】―生きていれば、色んな感情があるのは当たり前」
師走に入り、今年も残すところ、あと数日となりました。
ご無沙汰している中に、はや2017年も過ぎていた感がありますが、皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。
今朝、私は境内にある小さな祠のお掃除をさせていただきました。
将軍地蔵様といわれ、昔はとある町内の片隅にお祀りしていた祠を当寺に移したものです。
昔から土地のたくさんの方の信仰を集めておられたお地蔵様、今は寺の境内にいらっしゃいます。
祠の掃除は年に一度なので、心をこめてさせていただきます。
祖母からまだ高校生だった頃、受け継いだ大切な仕事です。
皆様、「仏縁」という言葉をお聞きになったことがありますか?
文字通り、「仏様との縁」です。
私は仏縁あって、寺の娘として生まれ育ち、現在もお寺の仕事をさせていただいております。
毎日、本堂で読経を捧げる度、ひっそりと鎮座されている仏像を拝む度、仏様にお仕えする仕事に携われて良かったと思います。
お寺に来られる方とお話ししていると、たまに
―お寺の人は、怒ったり他人を妬んだり恨んだり、そういう醜い感情はないんでしょうね。
と、言われることがあります。
いえいえ、そんなことは絶対にありませんよと、お答えするのですが、本当にそのとおりです。
―誰かを羨ましいと思ったり、妬んだりする自分がとても嫌だ。
そういうお声も聞きます。
そのお気持ちはよく理解できます。
かつて私自身、同じことを考え悩んだときもあるからです。
でも、ある時、ふと気づきました。
他人を羨ましいと思う気持ち、それは誰もが持っていて当たり前のものじゃないかと。
Aさんは歌があんなに上手いのに、私はAさんのように歌えない。だから、Aさんがコンクールで優勝したのも表では祝福しているけれど、心では悔しくて素直にお祝いできない。
そんな経験は誰しもあるものではないかと思います。
そして、本当は心から祝福したいのに、できない自分に嫌気がさし、
―私って、どうしてこんなに心が狭い人間なのか。
と、余計に落ち込んでいくというのは、実はよくあることです。
ですが、ここで考えてみて下さい。
大切なのは、Aさんを祝福できるかどうかではなく、「素直に祝福できない自分を自分自身が自覚できているかどうか」なのです。
本当に妬みで理性を失っていたとしたら、「素直に祝福したいのにできない」なんて判りません。
ただもう嫉妬で心が一杯で、自分を省みるゆとりはないでしょう。
私は、実はそのことがいちばん大切なんじゃないかと思います。
「あるがままの―醜い自分を認め、受け入れる」。少なくとも、そのことが自覚できていれば、とりあえずはオーケー。
その上で、もう一歩進んで、「醜い自分を反省して、このままではいけない」と思えていれば、それで十分だと思います。
無理をしても、自分が余計に辛くなるだけです。
今は素直に祝福できなくても、いずれ心から祝福できる日は必ず来ますから。
時間というのは、とても優しく、ありがたいものです。
もしかしたら、練習の成果が実って、あなた自身がもっと上手く歌えるようになれるかもしれないし、そうではなくても、時間が経てばもっと冷静になれて、Aさんの成功にもさほど拘りはなくなってきます。
それが時間というものです。
いちばん怖いのは、「妬みと怒りに我を忘れて、何も判らなくなっている」ことです。
妬みに苦しんでいる自分を自覚できているのなら、何の心配もないでしょう。
人には感情がありますから、そういった妬みを棄てること自体が不可能なのです。
小さなことですが、このことに気づくまでに私も長い時間を必要としました。
妬みだけではありません、「私って、こんな人間だから、いやだな」と自分自身をいやな人間だと決めつけているすべての原因は、実は、人として生きていれば当たり前の感情ばかりなのです。
私の好きな相田みつをさんの言葉に「人間だもの」があります。
人間だからこそ、プラスにせよマイナスにせよ、様々な感情を持つのです。
だから、もう、ご自分を追い詰めないで、気持ちをラクに持って下さい。
嫌な自分を自覚さえできていれば、いつか、そのネガティブな気持ちも消えます。
これから年末年始に入りますが、お近くのお寺や神社にお参りするのも気分転換には良いことでしょう。
新年の清々しい空気の中、手を合わせることで何か自分が新しく生まれ変わったような気持ちになれます。どうぞ過去の悩みや苦しみは棄てて、清らかなお気持ちで新しい年をお迎え下さい。
当院でも今年、大晦日は年越し護摩祈祷を行います。無料のお接待のおうどんやおそばもあります。
皆様のご参詣を心よりお待ちしております。
今年も一年、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。 合掌
作品名:この世に無用の人間は一人もいません 慈悲とは何か~今日の法話 作家名:東 めぐみ