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幻燈館殺人事件 中篇

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* 13 *



 何杯目かのお茶を飲み干し、即座に勧められたおかわりを辞す。
 蜂須賀は、これ以上は長居をするつもりがないことを表明してから、最後の話題を切り出す機会を窺った。
 九条怜司の状況、不本意な事件の終幕、蜂須賀が花明の研究室を訪れたのは、それらを伝えるためではない。これから話す“すぐに終わる話”こそが本当の目的だった。
 調べてきたことを一方的に話し、最後に一言、警察官として忠告する。
 それだけのことだった。
 しかし、目の前の助教授先生と話していると、不思議と心が安らいで、話を終わらせることに躊躇いが生まれてしまう。
 蜂須賀は、奥にある作業机で原稿に目を落としている花明を眺めていた。
「なるほど。優男だ」
 花明に聞こえないぎりぎりの音量で呟いてから、俺もついに男色に目覚めたか、と自身を笑ったりもした。
 もうすでに事件についての話は終わっている。
 事件の話をしている間の花明は、悲壮にも悲愴にも見えた。今はもう、蜂須賀の視線に気付いて顔を上げた際に、人当たりの良い笑顔だけを見せている。
 そうやって笑顔を向けられる度に、お茶のおかわりを催促して誤魔化していた。
 給料はどれぐらいか、休みはあるのか、恋人は、同僚は、上司は、二人が交わす会話は実にくだらないものばかり。
 まだ話せていないことがあるものの、自分が居座っていることに対して目の前の助教授先生が少しでも不快を示したならば、そのときはすぐさま部屋を出ようと決めていた。
 蜂須賀にも罪悪感がある。
 何も悪いことをしたというわけではない。知人を救う手助けをするつもりが、結局は何の力にもなれず仕舞いであったことに、多少なりとも負い目を感じているのだ。
 無力であった自分が忠告するなど、おこがましいにもほどがある。
 そう思える程度には、蜂須賀にも羞恥というものがあった。あるいは自尊心であったかもしれないが、それがどちらかであるかなどは、実に些細な問題だ。
「先生」
「もうちょっと待ってください」
 意を決して話し掛けたものの、気勢を殺がれてしまう。
「間を外す天才だな」
 蜂須賀の呟きは、花明の耳には届かない。
 それから五分が過ぎ、従順に待っていた自分に気付いて、蜂須賀は失笑する。
 ここは居心地がいいんだな。蜂須賀はそう認めた。
「気になったことがあって調べた」
「もうちょっと待ってください」
 花明の返事は同じ。
 だから蜂須賀は、構わずに続けた。
 無力であった男の忠告など、頭に残す必要はないのだから。
「九条大河、その息子の九条怜司、怜司の妻・代美、この三人は、六年前に崖から転落死したことになっている。運転手も含めた四人のうち、遺体が見つかったのは九条大河と怜司の妻・代美だけだったそうだ。一之瀬桜子という名前は、どこにも出てこなかった」
「え……? 転…落……?」
「どう考えても、警察から逃げ回るようなことではない。捜索願こそ出されていたかもしれないが、すでに“死亡が認可されている”状態だ。指名手配などされているはずがないんだ。警察から逃げ回る理由などない」
「それじゃあ、何のために!?」
 桜子の犯行か、怜司の献身か。花明がどちらのことを言ったのかは、蜂須賀には分からなかった。分かる必要などなかった。
 蜂須賀に分かったのは、転落死が事実ではないということだけだ。
「先生。金持ちには金持ちの社会がある。金持ちの間でだけ通用する仁義がある。とてもそう呼べたもんじゃないが、迂闊に手を出してはならないものだ」
 花明も蜂須賀が言っていることが理解できないような子供ではない。
 しかし、理不尽に対する怒りを失ってしまうほど社会に埋没してしまってもいない。
 蜂須賀は、自分がなぜ花明を気に入ったのか、このときに理解した。
 蜂須賀も同じなのだ。
 同じだからこそ、言わねばならない。蜂須賀は改めてそう思う。理不尽に対抗するためには、同じ種類の力が必要だ。今の自分には、まだその力がない。
「気持ちは分かるよ、先生。だけどな、真実を明らかにしたところで、誰も救えないことだってある。誰も救われないことだってある。それを体験したばかりだろう」
 花明は、万年筆が折れてしまいそうなほどに硬く拳を握っている。
 蜂須賀は立ち上がり、そんな花明に背を向けた。背を向けるしかできなかった。
 蜂須賀はひっそりと、もうここに来ることはできないな、と肩落とす。
 そうして振り返ることなく、肩越しに突きつける。
「先生、これは忠告だ。嘘を暴こうなどと考えないことだ」
 花明の反応を背中で感じようと目を閉じる。けれど、声どころか物音一つせずに。
 蜂須賀は自虐的に口角を上げ、扉を開けた。
「それは警察官としての忠告ですか?」
 花明の声は、蜂須賀の背中を越え、扉を抜けて、廊下にまで響いた。
 問い掛けの真意を汲み取ることができなかった蜂須賀は、困惑を隠すことも忘れて振り返った。
「それとも、友人としての忠告ですか?」
 蜂須賀は息を呑む。
 そして、自分が間抜け面を晒していた時間を思い、笑った。
「友人としての忠告なら、受け入れます。また近いうちに、ゆっくり話しましょう」
「ああ、先生。いい店を紹介させてもらうよ」
「それと、蜂須賀さん。先生と呼ぶのは止してください」
「そうだな、花明。それじゃ、また、な」
「えぇ」
 花明の人当たりの良い笑顔に見送られ、蜂須賀は未だ冬を思わせる寒い廊下にその足音を響かせた。

 蜂須賀にとって“ここ”が必要となるのは、今ではない。
 “ここ”が蜂須賀を必要とするのもまた、もう少し先の話だ。






作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近