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幻燈館殺人事件 中篇

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* 6 *



「桜子は、数日前から様子がおかしかった。それで昨夜、彼女を尾行することにした。倉庫街に向かった彼女は、普段使われていない倉庫に入っていった。中の様子を窺うと、男がいた。一人だ。男はとにかく怒り狂っていて、何かを喚き散らしていたんだが、急に包丁を取り出して、桜子を刺した。それも一度や二度じゃない。何度も、何度もだ。情けないことに、足が竦んで動けなかったんだが、桜子が倒れたのを見てようやく金縛りが解けた。俺が乗り込むと、その男は裏口から逃げ出した。その後、誰かがやってくる気配を感じて、俺も裏口から逃げた。目撃されたのは多分そのあとだろう」
 怜司の説明が一段落したとみて、蜂須賀が口火を切る。
「数日前から様子がおかしかった、とは具体的にはどうおかしかった? その原因に心当たりはないのか?」
「先月、俺は工場をクビになった。従業員から、偉そうな態度が気に食わない、と言われていたのだそうだ。それから桜子は不機嫌になった。家にいるときはいつも不機嫌で、仕事に行くときには上機嫌になった。帰りが遅くなったり、休みの日にも出掛けるようになった。……俺は、桜子が浮気をしているのではないかと思うようになった。そして、彼女の持ち物の中に花明の名前を見つけた。俺たちの事情を知っている花明が相手なら在り得るかもしれない、なんて馬鹿な考えも頭を過ぎった。だから、真実を確かめようと思って尾行した」
「その結果、殺人の現場を目撃することになってしまったのだな。一つ確認だが、“サクラコ”というのは、同棲していた女性の名前なのだな?」
 怜司は無言のまま深く頷いた。
「何か事情がありそうだな。先生が関わっているのは、そっちの方か」
「詳しいことはお話しできませんが、怜司さんは桜子さんと一緒に暮らすために、とても大きな犠牲を払っているんです。僕には、怜司さんが犯人とは思えません」
「それが彼を庇う理由か?」
「庇ってはいません。事実ではない、と言っているんです」
「心証だけではどうにもならん。心証では無実を証明できないが、冤罪を被せることはできる。事実ではないことを証明するためには、証拠が必要だ」
「証拠を見つけて、証明してみせます」
 蜂須賀は、質問の権利を花明に譲り、背凭れに上体を埋めた。
「では、お手並み拝見、といこう」
 花明は、持ち前の人当たりの良い笑顔を返したあと、怜司に向き直った。
「怜司さん、現場となった倉庫が普段使われていないというのは?」
「あそこは資材置き場の一つで、一年の半分以上は使われていない。俺は近くの工場で働いていたから、その辺りの事情は知っている」
「なるほど。では次です。質問攻めにしてすいません」
「何でも訊いてくれ」
「怜司さんが倉庫内の様子を窺ったとき、男と女が口論していたんですね? 内容は分かりませんか?」
「口論というよりは、男が一方的にまくし立てていたな。とにかく罵声を浴びせていた」
「その男は凶器の包丁をどっちの手に持っていたか覚えていますか?」
「右手だな」
「包丁がどうなったか分かりますか?」
「その男が裏口へ向かったときは、まだ持ったままだった。もし倉庫内で投げ捨てたとしたら、音で分かったと思う」
「音ですか?」
「桜子を刺した男が逃げたあと、倉庫の正面から足音が聞こえてきたんだ。外の足音が聞こえるぐらいに静かだった、ということだ」
「正面というのは、怜司さんが倉庫内の様子を窺っていた場所のことですか?」
「そうだな。だから俺は、入ってきた方向とは別の裏口から逃げたんだ」
「裏口から逃げたということは、倉庫の中を通ったということですよね?」
「倉庫の正面から入って、裏口から出た」
「倒れている桜子……被害者の傍を通ったんですね?」
「気を遣わなくていい。大丈夫だ。男が逃げたあと、倒れている桜子に駆け寄った。名前を呼んで肩を揺すったが、反応はなかったよ」
「それから、足音に気付いて裏口へ向かったんですね?」
「そうだ。裏口は開いたままだった」
「なるほど……ではその足音の主が第一発見者」
 蜂須賀は、花明の言葉を遮るようにして、立てた人差し指を横に振った。
「なにか?」
「いや、補足をしておこうと思ってね。今の話は、現場検証の報告と大きな食い違いはない。被害者は何度も刺されているし、凶器の刃物も現場付近からは発見されていない。しかし、通報があったのは今朝で、通報者、つまり第一発見者によると、昨夜遅くに倉庫から出てくる人物を見掛けたので、朝になってから倉庫を覗いたのだそうだ。あとは、被害者の身元も証明してくれた」
「確か、森雪乃さんでしたか」
 森雪乃とは、一之瀬桜子の偽名だ。
 蜂須賀に向けられた花明の言葉に、怜司が頷く。
「その森雪乃が、林葉子という名前で近場の“カフェー”で働いていることも教えてくれた。そこの店主にも身元を確認してもらった」
「あの付近に“Cafe”があるんですか?」
 真顔でそう問い返した花明に、蜂須賀は失笑を漏らした。
「先生は“カフェー”をご存じないのか。美しく着飾った婦人と一緒にお酒を飲んだり、楽しくお喋りしたりするところさ」
「それって……」
 花明は赤面し、言葉尻を濁した。
「風俗営業店だ。興味がお在りなら、後日お連れしますよ」
 蜂須賀は、くくく、笑う。
「け、結構です」
「そういう場所で働いているのは知っていたが、林葉子という名前は知らないな」
「仕事用の名前だからな。同棲していたとはいえ、知らなくても不思議ではないさ。むしろ、同棲している相手だからこそ、知られたくない名前でもある」
「そうだといいんだが」
 怜司は力なく俯いた。
「犯人ではないと証明するためには、真犯人を見つけるしかない。羽振りのいいカフェーの客に靡いた女を、嫉妬に狂った男が殺す。安い脚本だが、警察は単純な筋書きが大好きだからな」
「その筋書きが間違っているという証拠なら、今ここにあります」
 花明は立ち上がり、自分の作業机へと向かう。
 窓から見える大学敷地は、随分と暗くなっていた。
「実は三日前、桜子さんからお手紙をいただきましてね」
 花明は、表面に『花明栄助様へ』と書かれた茶封筒を取り出した。
「そういえば、見せたいものがあると言っていたな。それのことか?」
 怜司がいち早く反応する。
「えぇ。大まかには、町で僕を見掛けて何とは無しに手紙を書いた、という内容と、六年前のことについて書かれています。そしてもう一つ、桜子さんの現状についても書かれていました」
 花明は自身の作業机を離れ、もと居た場所に座った。
「手紙にはこう書いてあります。『実は今、私のお腹に子がおります。花明さまもご存知のあの方との子でございます』と」
「な……っ!?」
 言葉を失った怜司に向け、花明は更に続けた。
「咎人である自分が母親になって良いのかと思い悩んでいたようです。怜司さんには辛い事実かもしれませんが、気移りしてなどいなかったことの証明です」
 花明には、同棲するような恋人もいなければ、子供もいない。当然、その両方を同時に失った辛さなど、分かろうはずもない。
作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近