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幻燈館殺人事件 中篇

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* 5 *



 花明が異常に気付いたのは、三階にある研究室の扉に手を掛けたときだった。
「鍵が……開いている」
 研究室には盗まれるような代物は何もないが、価値感というものは千差万別であり、花明にはその価値が分からない何かがあったとしても不思議ではない。
 実際、花明が羽織っているインバネスは、他人か見れば古臭い時代遅れの外套でしかないが、花明には恩師から譲り受けた無二の品である。
 書き掛けの論文など、失っても惜しくはないが非常に困るものならば山のようにある。
 花明は慌てて室内に入った。
「お帰りなさい、先生。随分と晩いお戻りで」
 花明の研究室は、いわば書斎のようなもので、ずらりと居並んだ天井に届かんばかりの棚に、ぎっしりと隙間なく本が詰め込まれている。
 内訳としては、文献や参考資料、書き掛けの論文から学生が提出した課題、そして、過去の研究成果をまとめた書類などが収められているのだが、そのほとんどは澤元教授のものである。
 書庫ではないかと疑いたくもなるが、入室後最初に目に入るのは応接セット――ローテーブルと、それを挟んで置かれた二人掛けの椅子だ。
 その椅子に悠然と座る男に、花明は見覚えがあった。
 昼間に紅梅荘で出会った蜂須賀である。
「どう…して?」
 花明は、目を見開いて身体を強張らせた。
 それは背後の怜司に注意を促す精一杯の行動であったが、そんな花明の努力も空しく、むしろ逆効果となって、怜司を室内に呼び込んでしまった。
「ふむ。その様子では、覚えていてくださったようで」
 勿体つけるようにゆっくりと話す蜂須賀の態度に、怜司は不快を顕にする。
「花明、この男は知り合いか?」
「け…刑事さんです」
 花明は視線を足元に落とし、怜司はハッと息を呑んだ。
「ま、お互いの自己紹介は後回しにするとして、座ってはどうかな?」
 上座に座る蜂須賀は、この場でただ一人余裕を見せている。
「どうしてここに?」
 花明は一歩踏み出して、抵抗を試みた。
 相手が警察であっても、令状がなければ拒否することができる。勿論、それは心証の面で立場を悪くしてしまうが、背に腹は変えられないことを花明は深く知っている。
 この場さえ切り抜けることができれば。
 花明の心情を表すのに、これ以上の文言は存在しない。
「警察関係者の来訪を受ければ、いい気分はしないだろうということは分かるが」
「答えていただけますか? 質問に」
 花明は語調を強め、二の句を封じる。
「昼間、先生がお帰りになったあと、忘れ物を見つけましてね。悪用されてはいけませんから、こうしてお届けにあがったのです」
「それはどうも」
「そうしたらば、受付の学生がここまで案内してくれましてね。なんでも、“男性が花明先生を訪ねてきたら、研究室に通すように”と言伝があったそうで。いけませんな。誰が訪ねてくるのかをちゃんと伝えておかないと、私のような別人に侵入を許してしまうことになる。あぁ勿論、部屋に入る前には手帳を見せておきましたが」
「そうですね。気をつけます」
「警察関係者として、防犯上の注意をしなければならないのですが、訪ねてくる“誰か”の名前を伝えられない理由でも?」
「えぇ、赤の他人には話せない深い理由があります」
「伺っても?」
「遠慮してください」
 花明はにこやかに振舞った。表面は穏やかに、内々には断固たる意思を潜めて。
「あ〜もう! めんどくせぇ」
 突然そう言い放った蜂須賀は、両手を頭の後ろで組み、上体を背凭れに投げ出した。
「先生、紅梅荘の電話機に名刺を残して行っただろ? こちとらしっかと確認してんだ、誤魔化しは通じねぇよ。そっちの兄さんが、先生の名刺を見て紅梅荘を飛び出していくところもな」
「それは」
 言いかけた花明を、蜂須賀は手をかざして制した。
「肯定も否定もしてくれるな。俺は犯人を捕まえることに興味はないが、目の前に凶悪犯がいるってんじゃあ、放っておくわけにはいかなくなる。ふん縛るにしても、まだ大事なことが確認できてない」
「大事なこと?」
「紅梅荘で刑事に会っただろ?」
「確か、山本さんでしたか」
「そう、その山本刑事の見立てだと、動機は愛憎の縺れで、犯人は同居の男。昨夜晩く、日付が変わる頃、犯行現場付近での目撃証言が取れている。単純な事件なんだとさ」
「それで?」
「分からないのは、先生が匿う理由さ」
 蜂須賀は、頭の後ろで組んでいた手を腹の前に移動させる。
「二人に親交があったとして、だ。犯行は昨夜、そして翌日の昼間に紅梅荘を訪ねていることから、犯行翌日、つまり今日の午前中に事件を知ったと推測できるわけだ。ところで、先生は今日の午前中どこに?」
「一限目の講義を終えてからは、この研究室に」
「そう、そして正午前には外出している。もっと早くに知っていたら、もっと早くに行動できていたはずなんだな」
「もう調べてあるんですね、人が悪い」
 蜂須賀は、悪戯の成功を見届けた子供のように、ニンマリと笑った。
「さて。お次は、どうやって事件を知ったのか、を考えることになる。考えられるのは二つ。一つは先生が真犯人ということ。だがそれだと説明できない事象が生まれる。例えば、殺した相手の家を訪ねて、わざわざ自分の名刺を置いて帰ったり、だな。並べあげれば限(きり)がない。もう一つが現実的だ。誰かに聞いたんだ。では誰に聞いた? 事件の関係者は、被害者の女、第一発見者、犯人、の三人。被害者から話を聞くことはできないから、第一発見者と犯人のどちらかから聞いたことになる」
「犯人を見たという目撃者は事件関係者には含まれないんですか?」
「第一発見者と同一人物だ」
「なるほど」
「話を続けるぞ。事件を知り、単身で紅梅荘へ向かったということは、だ。犯人から事件発生を聞かされたとき、犯人とは会っていなかったと考えられる。犯人の代わりに紅梅荘に置いてある何かを取りに行った、とも考えられるが……まぁこれも、わざわざ自分の名刺を置いて帰るという行動とは矛盾している。犯人が……おっと失礼、そちらの、先生のお知り合いの方が、先生の名刺を見て紅梅荘を飛び出していった、という事実から、先生は自分が訪れたことを知らせる目印として、名刺を置いていったわけだな。そして、そちらのお知り合いの方は、名刺を置いていくことが不利益に繋がると分かっていた。先生が不利益を承知で名刺を置いていったと分かったからこそ、危険を察知し部屋に戻らず紅梅荘を出た。警察は被害者と同居していた男の顔を知らないからな、部屋にさえ戻らなければ、特定されることはない。ただ、名刺は置いたままにしておくべきだったな。先生は、忘れた、と白を切り続けることができたのだからな。さて先生、採点してもらえるかな?」
「採点のしようがありませんね」
「おやおや。またどうして?」
「第一発見者と犯人のどちらかから話を聞いた、という仮定から始まっているはずなのに、犯人から話を聞いたという前提で話が進んでいます。それに、貴方が何を確認したかったのかが分かっていませんから」
 蜂須賀は、ははっ、と息を抜いた笑いを返した。
「気弱な優男に見えて、胸には強固な意志がある。一筋縄ではいかない相手のようだ」
作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近