聖夜の女神様
女神様降臨
校舎を出て、渡り廊下を通ってホールへ。ホールの入口前に到ると、数名のホールスタッフが待機していた。
寒い中、この人達はずっと外で待機していたのだろうか。すごく偉いな。
「よろしくお願いします」
私はなるべく敬意を込めてスタッフ達に丁寧に挨拶をした。
「…あっ、はいっ。お願いしますっっ」
一瞬唖然とした後慌てて反応するスタッフ。
その様子に里久先輩はニヤニヤしながら
「やっぱ見とれてしまうくらい、今の花は綺麗なんだよ」
と、そっと私に耳打ちしてきた。
「えっと、それじゃあ、もうすぐなんで最後に進行チェックします」
プリントをみながらスタッフと最後の確認をした。昨日、完璧に頭に入れたつもりだがいつど忘れするか分からない。一つ一つしっかりと確認した。
そして、インカムを着けたスタッフが出番がもうすぐであることを知らせて来た。
私は気の済むまで確認を行ってから、従者役の人とホールの扉の前に立った。
「頑張れよ」
と言って里久先輩は私の肩をぽんと叩いた。
一瞬、さっきの控え室で晴斗に言われた同じ言葉を思い出した。
が、あの時の余韻に浸ることなくすぐに扉が開いた。
暗がりの中、私だけスポットライトを浴び、オーケストラ部の奏でる「きよしこの夜」と共にホールの赤絨毯を歩む。目の前の従者役の生徒が、私をエスコートする。
その時間は、あっという間に過ぎてしまった。
まるで、本当に聖夜の女神様が乗り移って私と取って代わってしまったかのようだったので、私はこの時の記憶は殆ど覚えていない。僅かに思い出されるのは、パーティ参加者達が、先程のスタッフの様にはっと息を飲んで呆然としていたことと、ステージへ上がったときにやっと再会できた有栖先輩の表情。
有栖先輩でさえ、一瞬言葉を失っていた。あの有栖先輩が本気で呆然としていたのだ。
そして、役目が終わり、ステージの袖に掃けると、ホールのスタッフが皆集まって来て、盛大な拍手と称賛を受けた。
「お疲れ様です!!とっても綺麗でしたよ!」
「本当の女神様かと思っちゃった!」
「最高!!ブラボー!!」
私は今、満たされた思いでいっぱいだった。
感無量!ってヤツだ。
心の中ではしきりに女神様役を受けたことを幸せに思っていた。
女神様の役を引き受けて、本当に良かった。
「はーなちゃん」
有栖先輩がステージ袖にやって来た。
「花ちゃん、超キレイ!一瞬本当の女神様かと思っちゃった。もう最高!!」
私は有栖先輩にギュッと抱きしめられる。
…ちょっと、苦しいです。
「あぁ!色々と積もる話はあるけどそれはまたあとで。…あれ?」
急に私から離れて有栖先輩は辺りを見回す。
「里久はどこ行ったんだ?…さては…」
そうだ、里久先輩はどこ行ったんだろう。先回りして、ステージ袖にいると思ったのに。
「仕方ないなぁ、里久も。…花ちゃん、なんか里久ってば諸用で花ちゃんと一緒にいれないから、そのまま一人で控え室に戻ってなね」
「はい」
と、大人しく頷くが、里久先輩の『諸用』が少し気になる。
「んじゃ、私は本業に戻るわね。みんな、今日は素晴らしかったわ!」
と有栖先輩は言って、相変わらずな様子でステージへ戻って行った。
私も、控え室へ戻ろう。この格好は寒い。
「それでは今日はありがとうございました」
と、御礼をして裏手から外に出て控え室のある校舎へ向かう。
すると、渡り廊下のところで一組のカップルがいることに気がついた。生徒は全員ホールで、外は人気がないことを良いことに、イチャついてるわけだ。
やれやれ、と思いながら、平然として傍を通り過ぎようと思った。
だけど、あのカップルの女性が里久先輩であったことに気付き、思わず足が止まる。
そしたら隣の男の人は、里久先輩の『彼氏』?
いや、そうだ。絶対そうだ。あの男の人は絶対里久先輩の彼氏だ。
だって、里久先輩の表情が違う。
いつも私たちに見せてくれる頼れるアネゴ的格好良さではなく、柔らかで生めかしい『女』の顔。恋する女の顔だ。
さては里久先輩の諸用とはこのことなんだな。
それにしても、あの二人を見ていると、何だかドキドキしてきた。両方ともキレイだからだろうか。
私は、つい二人の甘い時間を物影からこっそりと覗いていた。美男美女カップルは見ているだけでも飽きない。
なんて呑気なことを思っていたその時、恋人達はキスをした。
外国映画でも見ているかの様な物凄い熱いキス。
里久先輩は目を閉じ彼氏に抱き着いて、うっとりと悦楽の世界に陶酔している。もはや里久先輩ではないようだ。
すると、私は駆け出していた。
恋人達とは反対の方向へ。ホールに戻るのではない。
会いに行こうと思った。過去の私がいたあの場所に。
思い出だけでも良いから、あなたを感じていたい。