聖夜の女神様
「そうか?でもここ寒いし、別の温かいところに行こうか?」
「温かい所?」
「…う〜ん…」
「控え室とか?」
「あぁ、あそこか…」
「今なら、だれも…いないよ?」
きっと里久先輩は彼氏とラブラブなのだろう。まだ戻ってない様な気がする。
でも、私はまだここにいたい。寒いけど、もうちょっとだけ。
「行こう、か?」
晴斗は私の意志を確認するように丁寧に尋ねてきた。
だけどやっぱり私は嫌だ。晴斗は温かい所に行きたいと思ってるかもしれないけど。
私は『私』でいられるこの場所が良い。
「どう、する?」
「…まだ…ここにいたい…」
私、ワガママだ。晴斗の意志なんてお構いなしにしてる。
「分かった」
そう言って晴斗は缶コーヒーを飲んだ。
晴斗、嫌だったかな。
ところが晴斗は、にっこりと微笑みを湛えながら
「…良かった。俺も実はまだここにいたかったんだ」
と、言ってくれた。
晴斗と同じ気持ちを共有できたことが嬉しかった。
「あのな、俺、花に話したいことが沢山あったんだ」
晴斗は表情を明るくさせて話し掛けて来た。なんだか、無邪気な子どもみたいだった。
「見て」
と言って晴斗は机の引出しから鍵を取り出し、トロフィーが飾られている棚のガラス戸の施錠を開くと、一本の真新しいトロフィーを出した。
「秋季大会優勝したんだ。ほら」
晴斗は嬉しそうにトロフィーの土台部分のプレートを指差した。トロフィーには「秋季野球大会・優勝」の文字が彫られていた。
「すごい。うちの野球部はホントに強くなったんだね」
「そりゃそうだよ。もう圧勝だったんだ。あ、あとな、俺、最優秀選手賞をもらったんだ」
それはそれは嬉しそうに晴斗は語る。なんだか、晴斗が輝いて見える。
「最優秀選手賞?…すごいじゃん!おめでとう!」
「ありがと。…来年こそは絶対、優勝して見せるよ。だから待ってろよ、花。もっとでっかいトロフィーを持ってくるから!」
「…うん。待ってる」
ふと私はもう晴斗達と頑張ることができないことを思い出した。マネージャーとして晴斗を傍で助けることは、もうできないんだ。
今や私には晴斗達の勝利を待つことしかできない。
でも、私はあなた達が栄光を勝ち取れるように祈ることはできる。
「頑張って」
「あぁ、もちろん!」
晴斗はニッと笑って親指を立てた。
私もつられて顔が緩む。
そして、晴斗はトロフィーを元の場所に戻し、ガラス戸を閉めた。
「…花?」
「何?」
少し調子が低くなった晴斗の声。
「今まで、ごめんな」
「…何のこと?」
「花がやめてから、俺ずっと花を避けてて、何にも口を聞けなくなって。」
晴斗も私のことを避けてたんだ。気付かなかった。
ただ私もあのキスのことがトラウマになって、自分の思いとは裏腹に晴斗と会うことを避けていた。ごめんね。
「別に花がやめたことが嫌だったわけじゃなかったんだ。…花も仕方ない状態なんだし」
晴斗は缶コーヒーを飲んだ。
「なんか、花がいなくなってから初めて花の存在の大きさに気付いて…。それで、俺、……」
言葉に詰まった晴斗は、わしゃわしゃと頭を掻いた。
「……花のこと……」
晴斗は大きくため息をつきながら、頭を手で押さえる。
晴斗?
一体何を言おうとしてるの?
と、その時。
『チャーチャーチャーチャッチャチャーチャッチャチャー……』
何とも絶妙なタイミングで晴斗の上着から携帯電話の着信音が流れ出した。
確かこの重厚なメロディーは《ダースベイダーのテーマ》。
すると、晴斗の手から缶コーヒーがするっと抜け落ち、コーヒーが床にぶち撒けられる。
「私が拭くよ。晴斗は電話に出なきゃ」
「いや、花が出て。ドレスに着いたらマズイだろ?」
晴斗は悠々とした様子で他の棚からタオルを取り出す。
「でも…」
「大丈夫。それ、有栖先輩だから」
「有栖先輩?」
私は思わず驚いてしまった。だって、有栖先輩の着信音は《ダースベイダーのテーマ》。いやいや、これが有栖先輩なら私が出ても大丈夫なんだよね。それなら急がなきゃ。
私は晴斗の上着のポケットを漁り携帯電話を取り出した。ただ私は携帯電話を持ってないので使い方が分からない。
「晴斗、使い方が分からない」
「え、まだ持ってないのか。その左側の電話のボタンを押せば通じるから」
「電話のボタン?あ、これ?」
そして、私は晴斗の指示通り左側の電話のボタンを押し、受話口を耳に近づけた。
『ちょっと晴斗、出るの遅すぎるわよ!全く、どこ行ってんのよ。てゆーか花ちゃんがいないのよ〜。控え室に戻る時に襲われちゃったりしてたらどーしましょー!ねぇ晴斗探してちょうだい!』
相変わらず一気に喋る有栖先輩。
「……えっと、私、向島花ですけど…」
『え?花ちゃん?』
「はい。そうですよ」
『え、なんで、どういうこと?もしかしてそういうことなの?やだやだ、きゃー』
私は思わず受話口を耳から遠ざけた。
『てことは、花ちゃん、今、晴斗と一緒なの?』
「はい」
『2人っきりとか?』
「……はい」
『ちゅーした?』
「………はい?」
ちゅー???
「花、替わって」
晴斗はやっと床を片付け終えたようだ。
私はやや錯乱状態で携帯電話を、有栖先輩に晴斗に替わると告げることなしにそのまま晴斗に手渡した。
「もしもっ……!はぁ?何言ってんですか?俺です、晴斗です」
電話上で珍しく声を荒らげる晴斗。
おおよそ、まだ私が電話していると思っていた有栖先輩が『だぁかぁらぁ、ちゅーよ、ちゅー!』などと言ったのだろう。
それはそれでまた顔が熱くなってくるのだけど。
晴斗は話を終えると随分やつれた様子で携帯電話を閉じた。
「何だったの?」
「…良く分からなかったけど、とりあえずパーティは終わったらしい」
「終わったん、だ」
その言葉を聞いて、私は突然寂しくなった。
パーティの終わりは、つまりこの時間の終わり。ずっと一緒にいたいけど、でも、晴斗はパーティの後片付けに行かないとならない。
私も女神様から、普通の向島花に戻らないと。
あぁ、12時の鐘の音を聞いたシンデレラの気持ちが今なら良く分かる。こんなにも切ないんだね。
「俺、行かないと…」
「そうだね」
「…有栖先輩は戻ってこなくても良いとか言ってたけど…行かなきゃな」
あぁ、有栖先輩の気遣いが伺われる。でも、私達は真面目だから約束ごとは破れない人達なんです。せっかくのお気遣いを無駄にしてしまうことになってしまい、すみません。
「……晴斗、私も…帰る」
離れたくはないけど、でも、晴斗にはやらないといけないことがあるから。
私は晴斗の上着を更に自分の身体に寄せた。
「…控え室まで送ってくよ」
「…でも時間は?」
「大丈夫。ほんのちょっとなら許してもらえるって。じゃ、行こうか」
寂しい気はするけど、時計はシンデレラの12時を打ったんだ。もう、この奇跡の時間はおしまい。名残惜しさはあるけども私達は電気を消し、部室を後にした。
校舎の中は暗闇と静けさに包まれていた。