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意味を持たない言葉たちを繋ぎ止めるための掌編

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ムシカ


「ねえ、何を聴いてるの?」と小嶋が訊いた。
「言っても、たぶん、わからない」と僕は言った。そんな気はないのに感情のない無機質な声色になってしまった。
「教えて」小嶋は無邪気に笑顔を浮かべながら言った。
 僕は少し迷ってから、「ワールズ・エンド・ガールフレンド」と呟いた。
「わーるず・えんど・がーるふれんど? 確かに聴いたことないなあ。でも、なんかかっこいいじゃん。それって海外のバンドとか?」
 僕は首を振った。
「じゃあ、日本のバンド?」
「前田勝彦っていう人のソロユニット」
「ふうん」と小嶋は言った。「どんな感じの音楽なの? 聴かせてよ」
「あまり、気に入らないと思うよ。暗い感じの音楽だし」
「いいじゃん。聴かせてよ。気になっちゃうじゃん」小嶋が、僕のMDプレイヤーを奪い取った。ディスプレイを操作しようとするが、勝手が分からないようだ。
「私、MDプレイヤー持ってないんだよね。これどうやって、操作するの?」小嶋がMDプレイヤーを差し出した。僕はそれを受け取る。
「いちばん、おすすめの音楽を聴かせてよ。渡部君がさ、今いちばん気に入ってるやつね。お気に入りはどれ?」
 僕はMDプレイヤーをいじりながら答える。「今、いちばん聴いているのは、オール・インパーフェクト・ラブ・ソングっていうやつ、かな」
「おーる・いんぱーふぇくと・らぶ・そんぐ?」生まれて初めて覚えた言葉を幼児が復唱するかのような口調で小嶋は言った。「直訳すると、〈全ての不完全なラブソング〉? 確かになんか暗そうな曲」
「他の曲にする? 明るい感じの曲も一応あるけど。それにこの曲、二十五分もあって長いし」
「ううん、いい。渡部君の好きな曲でいいよ。聴かせて。その、おーる・いんぱーふぇくと・らぶ・そんぐ、ってやつ」
 僕は操作盤を動かし、オール・インパーフェクト・ラブ・ソングを選曲する。一度、再生ボタンを押し、片耳にイヤフォンをはめ、音の大きさが丁度いいか確かめる。それからイヤフォンを外し、それを小嶋に渡す。小嶋は僕の隣に座り、イヤフォンをはめる。
「じゃあ、流すよ」と僕は言った。
 小さな笑みを浮かべながら小嶋は頷いた。

 <PLAY>

 どこか哀愁と狂気を感じるようなピアノの美しい旋律が流れはじめる。そのピアノのメロディを妨害するかのように、時折、ノイズのような耳障りな音が連鎖する。僕はディスプレイに映し出される時間をただ眺めている。

 もうすぐ、01:15を迎える。僕はその時間を迎えるのを静かに見守る。その時間になった瞬間、小嶋の体がぴくりと動く。

 ピアノとノイズの間をすり抜けて、絶対的な孤独を抱えたような青年の声がふいに聴こえてくるからだ。青年は無気力な声で絶望的な詩を紡ぎだす。小嶋は目を閉じた。音楽と詩のなかに身をゆだねているようにみえた。

 ディスプレイに映し出される時間が05:15を示したとき、小嶋は再び身体をぴくりとさせた。

 曲が終わる25:41まで僕はディスプレイを黙って見つめていた。

 ついにMP3プレイヤーの画面が初期画面に切り替わる。

 既に曲は終わっているはずなのに、小嶋はイヤフォンを取ろうとしなかった。目を瞑ったまま、俯いている。

 ワールズ・エンド・ガールフレンドの音楽は僕にとって、僕の居場所そのものだった。彼の音楽から想像される〈世界の終り〉という世界感。その場所は僕が身を置くべき場所。深い暗闇の世界、モノクロの世界、瓦礫が積み上げられた世界、残酷な現実から身を隠すための世界、美しく醜い世界、痛みを失った世界あるいは痛みしかない世界。その場所にいると、目に見えない透明な物質によって身体の隅々まで満たされていくような感覚をおぼえた。僕の内部に巣食っているどろりとした黒く淀んだ得体のしれない何かを一瞬にして、清らかなさらさらとした透明な液体に変化させる。彼の音楽のなかに身を置くとそんな感じがした。僕にとって、彼の音楽は、生を繋ぎとめるために必要なもの。僕の唯一の居場所だった。
 まだ、目を瞑ったままの彼女を心配に思って、僕は彼女の肩を指で軽く突いた。温かくて柔らかな感触が指に伝わって、僕は少し驚く。小嶋はゆっくりと目を開き、こちらを振りむいた。視線が合った。僕はすかさず視線を逸らした。
「なんだか変わった音楽だね」と小嶋はどことなく乾いた声で言った。
 この曲を小嶋に聴かせてしまったことを僕は後悔した。小嶋には聴かせるべきではなかった。きっと小嶋は彼の音楽を必要としないと思ったからだ。彼の音楽は救い難い深い痛みを感じている者にしか聴くことのできない音楽だと僕は思っているから。「やっぱり暗い音楽だったよね」と僕は呟いた。
 小嶋は僕の問いに答えなかった。

「〈即興タイピング〉、っていったいなんだろう?」と小嶋は呟いた。
 演奏のなかで青年が紡ぐ絶望的な詩。そのなかに登場する意味不明な単語だ。5:11に聴こえる。
「僕にもよくわからない」
「この曲の歌詞、知らないの?」
「公式な歌詞は存在しないと思う。探しても見当たらないんだ。ファンが独自で文字起こしをしたりしているけれど、一致しているかどうか怪しい」
「ところどころに聴きとりにくいところがあるよね。金属音みたいなノイズ音で朗読の声が掻き消されてる。でもまあ、いちばん印象的だったのは即興タイピングのところだったな。〈即興タイピングに失敗したら〉、という台詞の後、なんて言っているかわかる?」
 5:15に聴こえる台詞だ。
「〈息の根を止められるのは仕方がない。どのみち踊っていたいんだから〉、かな?」
「ふうん、そうなんだ」
「いや。あってるかはわからないよ。僕にはそう聴こえたってだけだから」
「私には違う台詞に聴こえたんだよね」小嶋はイヤフォンのコードを指に巻きつけながら言った。
「どう、聴こえたの?」と僕は訊いた。
「私には、〈息の根を止めようと思うのは仕方がない。どのみち踊ると痛いんだから〉、って聴こえた」
 〈息の根を止められる〉と〈息の根を止めようと思う〉ではまったく意味合いが違う。それから、〈踊っていたい〉と〈踊ると痛い〉も同じく。
「きっと誰にもわからない」と僕は言った。「あくまで僕の勝手な推測にすぎないけれど。聴く人によって異なる言葉に聴こえてくる。きっと、そういう人間のもつ認識の差異のようなものを表出させることを企図した音楽なんじゃないかと僕は勝手に思っている。まあ、実際のところはわからないけれど」
 小嶋は僕の意見には何も答えなかった。
「歌詞のなかに、〈世界の終りのガールフレンド〉っていう人物が出てくるでしょ? 彼女は死んでるのかな?」
「僕は、死んでると思う」
「だとしたら、どんなふうにして死んだのかな?」
「これはあくまで僕の考えだけれど、即興タイピングに失敗したから〈息の根を止められた〉んだと思う」
「とすると、私の場合は、即興タイピングに失敗したから〈息の根を止めようと思った〉。つまり、自ら死を選択したっていうことになる」
「まあ、解釈は人の自由だよ。間違ってる、間違ってない、じゃない。そう感じたんなら、それが答えだと思う」
「この曲が入ってるCDって、渡部君もってる?」
「もってるよ」