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吉葉ひろし
吉葉ひろし
novelistID. 32011
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純愛

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言いだせない言葉の中に



 上野駅から少し歩くと、広小路に出る。路面電車が走っていた時代だから、昭和37,8年のころである。
 安川守は東京大学を目指す浪人中であった。親戚の書店でアルバイトをしながら、2回目の受験に備えていた。
 書店は広小路に面しているから、客足が途絶えることは無い。当時では珍しく、「性生活の知恵」が出版された。人形を使って体位が解り易く説明されていた。
 この本を購入した90パーセントは『カバーをして下さい』と言った。購入したことへの恥じらいなのだろう。また、1人で5冊も10冊も購入する方もいた。さすがに20代の客は少なかったから、大場ユリのことははっきりと記憶に残っていた。
「配達できますか」
「自転車で行ける範囲でしたら」
「秋葉原ですが」
「購入代金にもよりますが」
彼女はメモを渡した。
性生活の知恵を10冊と書かれていた。安川でさえ、この言葉は声に出すのは躊躇うほどだ。彼女は赤面していた。
「配達お受けいたします。住所と会社名と電話番号をお願いします。上司に頼まれたのですね」
「今日中にお願いします。持ち返る約束なんです」
「かしこまりました。午後3時までにはお届けします」
「無理言ってすみません」

それからユリに会ったのは、20年ほど経ってからであった。安川は新宿で法律事務所を開いていた。安川と2人の女性事務員の小さな事務所であった。
 国選弁護人の依頼があった。売春防止法違反であった。被告人の名に記憶があった。大場ユリ、20年も前の事であったが、安川は覚えていた。
 留置場で大場と面会したが、やはり人違いであったかと、安川は安堵した。しかし被告人の大場の声は甲高く、会話した時のユリの声に似ていた。


「東大合格おめでとう」
ユリからの電話であった。安川はなぜ自分の名を知っているのだろうかと思ったが、おめでとうの言葉は苦労しただけに、掛けられたことの喜びは大きかった。
 それから、1度だけユリと夕食を共にした。池之端のレストランであった。
「安川さんが店員さんなら良かった。ごめんなさいね。変なこと言って」
「ぼくのこと好きですか」
「無理なの解っています」
「在学中はなかなか会えませんが、今日ご馳走していただいたお礼はしたいです」
「気にしないでください。今日のことで私は一生幸せになれます」
「卒業して司法試験に合格したら、お付き合いして下さい。待っていただけるなら」
「そんなこと言わないで、今日でお別れします」
ユリは20歳だと言った。安川と同じ歳であった。偶然は重なり、故郷も山形県同士であった。ユリは酒田、安川は新庄であった。
 訛り言葉での会話も、周りを気にしながらも、小声で顔を近づけて話すことで、親近感は増して行った。
 安川がユリに食事を誘ったのは、それから半年ほどしてからであった。ユリは約束を破り現れなかった。9月の残暑の中、安川は動物園の中を探し続けた。
 ユリとはそれ以来会うことは無かった。

 ユリは安川であることが解っていたのだろう。解任を要求した。しかし翌日にはそれを取り下げた。安川は過去の事は持ち出さなかった。東北弁で話しかけた時ユリは訛り言葉で返してくれた。安川はそれでユリだと確信していた。
 ユリは初犯であり、執行猶予1年となった。釈放され、安川はユリに逢おうかと迷ったが、ユリから会いたいと言ってくれば会おうと思っていた。
 ユリに再び会う時が来た。執行猶予中の売春防止法違反であった。弁護の依頼はユリ本人からであった。
「再犯だなんて信じられない」
「体を合わせていることが、私にとっては幸せを感じられるから、お金が目的ではないの。でも、恋人はいらないの。心の中に居るから、いつもその方と体を寄せ合わせていると思うと幸せだから」
安川はユリの瞳の中に自分の顔を観た。ユリが思いを抱いているのは自分のことではないのかと、感じ取ったのだ。


















作品名:純愛 作家名:吉葉ひろし