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画-かく-

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 この辺りは以前若者に人気の街だったが、画ができてからは若い人たちが住める街ではなくなった。今この街で暮らしているのは、かつてこの街で暮らし、運よく居住権を手にすることができた人たちか、富を得てこの街を気に入った人たちだ。だからこの辺りは、画の中では比較的年齢層が低く少し画外の香りがする。
 いくつかの駅で停車と発車を繰り返し電車は明治神宮前駅に到着した。ここで山手線に乗り換える。隣接しているJR線の駅名は原宿だ。この辺りも以前は若者の街だった。下北沢よりもさらに若い人たち、十代の街だ。ローティーンが奇抜な服装でたむろし、ハイティーンがちょっと気取って我が物顔で歩いていた。だから特別な用事でもない限りおじさんたちには縁のない街だった。そんな街が、画に飲み込まれてどのように変化したのだろうか?俄然興味が湧いてきた。山手線は深夜も休まず運転しているから急ぐことはない。

 しばらく東京に来ることはないだろう。画に守られた繭のような東京を再びこの目で見ることはできないかもしれない。画が滅びるかもしれないのだから。
 いや、滅びるのは運命だ。本来存在してはならないものだった。だから画を葬る一員に私も加わった。安全で快適で美しく機能的な未来都市、緑の壁に守られた楽園、無菌培養のゆりかご、選ばれた者だけに許された安息の地、金がすべてを統べる世界、富と分断の象徴、歴史の一瞬に咲いたこの奇妙なあだ花をもう一度だけこの目に留めておこう。あと少しだけこの街を歩き、その空気に包まれたいと痛切に思った。

 地下鉄の駅から階段を昇る足取りが早くなる。キンとした冬の夜気が降りていた。昼間の温もりは微塵も残っていない。表参道のケヤキ並木は冬枯れた枝を大きく左右に広げていた。空にはうす雲もなく多くの星が輝いていた。街灯は控え目にレンガ敷きの歩道を照らしていた。高級そうなブランドショップは既に営業時間を終え、ライトが商品だけを照らしている。
 通りの一角に明るい光を放つ食品スーパーがあった。深夜まで営業している高級食材を扱う店だった。地下駐車場に高級外車が入って行く。この一角にはカフェが多く立ち並び、どこも賑わっている。歩道に面したテーブルの間に置かれたストーブの煙突からは白く湯気が立上っている。画の中ならどこにでもありそうな風景だが、この辺りは通りの奥が住宅街になっているためか、皆時間を気にせず夜を楽しんでいる。
 かつての主役だったティーンエージャーたちは勿論いない。若くても20代の後半だろう。ウールのコートを着た男、毛皮を羽織った女、長いダウンコートの男、トレンチコートの女が行き交う。スーツにマフラーを巻いた男、ワンピースにカーディガンの女は寒そうだ。

 宴席を始める前、木下が久田に電話を掛け、時候の挨拶と簡単な情報交換をした後、私に受話器をよこした。私から簡単に自己紹介をした。久田は大層喜んでいた。秘書が亡くなって心細かったと素直に語った。話せば変人でないことがすぐに分かった。久田とならうまくやっていけそうな気がした。
 明日の午後、旭川に帰ったら先ずは事情を会社に説明しなければいけない。簡単に了承してもらえるような話ではない。明後日まで話は持ち越しだろう。そんな事情を話し、早ければ明後日の午後、遅くても夕刻には直接会って話を聞きたい。もし関係者で会うべき人がいれば同席してもらってもかまわないと久田に伝えた。
 
 表参道を青山通りに向かって歩きながら思いを巡らせる。会長と社長にどう説明するか。会長も社長も偏狭な人ではないが、雇われ重役3年目の身だ。勝手なことを言える立場ではない。おまけに東京工場の対応という課題も出てきた。そんなときに出しぬけに2か月近く休ませて欲しいと言ったらどう思うだろうか?しかも理由が政治家の臨時秘書だ。不安が膨らみ胃が痛くなってきた。これから一生に一度の大仕事に挑もうとしているのになんと小心なことか。我ながら情けなくなる。
 何度が夜気を吸い込み、冷静になるよう努力する。先ず、2か月間会社を休んだとしたら仕事は上手く回るだろうか?幸い、新年度の事業計画案は既に仕上げてある。その息抜きが今回の上京だった。実務の方は部下がやってくれるし、特に厄介な懸案事項も思い当たらない。突発的な問題が起こらない限り私の出番はなさそうだ。政治家の秘書と言っても黒子に徹するつもりだし、走り回るといっても旭川の近辺だろう。何かあっても部下のフォローくらいはできそうだ。東京工場の方は工場長に頼み込めば2か月の猶予はもらえるだろう。業務の上では問題なさそうだ。

 次は政治嫌いの会長が許してくれるか?会長は地元の経済界の活動や会合にはマメに顔を出し、それなりの役職をこなしてきたが、経済人に徹し政治とは一線を画してきた人だ。反対する可能性は大きい。首を覚悟しなければいけないかもしれない。しかし、一生に一度の決断だ。首になっても命まで取られることはないと腹をくくった。と同時にヤバくなったら叔母がフォローしてくれそうな気がした。また弱気の虫がうごめく、情けない。
 社長はどうか?合理的でリベラルな人だから業務に穴が空かないことが分かれば反対はしないだろう。しかも、今、私たちがやろうしいていることは、「効率」を旗印に社会の連帯や人々の心を蔑ろにし、「競争力」を旗印に弱者を顧みず、「グローバル」を旗印に地方を切り捨てるこの国の政治のあり方を正し、誰もが自由に、自らの可能性を信じて生きていける国に再生させる戦いなのだ。社長ならこのことの意味を理解してくれるだろう。むしろ会長を説得してくれるかもしれない。いや、会長にしても一本気な人だから応援してくれるかもしれない。自分に都合の良いように想像を膨らませ勇気づける。
 妻はどうか?妻は反対しないだろう。妻は私が何をしても文句を言ったことがない。鈍感というより私には悪いことができるほどの度胸はないと高をくくっているのだろう。今回のことは私にとって相当思い切った決断ではあるが人様に恥じるようなことではない。問題ないだろう。

 いつの間にか青山通りの交差点まで昇って来た。体が少し温まり、心も少し軽くなってきた。この辺りのレストランやカフェもまだ賑わっていた。熱いエスプレッソでも飲んで帰ろうかと思い時計を見ると12時を少し回っていた。
 明日の予定を考えればこのまま原宿駅に戻った方が良さそうだ。今度は原宿駅に向かって緩やかな坂を下りていく。歩きながら木下の眼差し、保坂の拳の暖かさ、電話越しに聞いた久田の言葉を思いだし、そして先ほどの思いを反芻する。
 勇気が湧いてきて、それが身体の隅々に行きわたり、胸のあたりで強い塊になった。頭が冴え、魂の高ぶりを感じた。
 突然、身体がブルブルッと震えた。少し歩き過ぎて体が冷えたのか?いや、この国を再生する戦いへの武者震いに違いない。心が熱くなり、目が熱くなりケヤキ並木が少し滲んだ。

 
作品名:画-かく- 作家名:芳野 喬