からっ風と、繭の郷の子守唄 11話~15話
春の花たちが消えたあとには、夏を象徴する花として、
黄色い花のニッコウキスゲや、紫色でリンドウに似た花を咲かせる
ヤマホタルブクロが、可憐な花を開花する。
清廉な水が常に流れる岸辺では、ミズゴケやツルコケモモが、色鮮やかな
緑の絨毯を敷き詰める。
木道には、木陰を利用したベンチがあちこちにある。
そのひとつにさしかかったところで、康平が立ち止まる。
熊笹の斜面ごしに立つ大木へ、指を向ける。
斜面に覆われた斜面に一本だけ、大空に向かってそそり立つ大木が見える。
四方へ広がる枝が、まるで巨大な千手観音のようだ。
すべての枝が大空に向かって、舞い上げるように伸びていく。
濃い緑のコケが、幹にこびりついている。
濃い緑の葉が、稜線の風にあおられて、さわさわと揺れていく。
覚満淵の水辺に立つ、ミズナラの古木だ。
ミズナラは、ブナ科に属する落葉の広葉樹。
温帯の山岳部を中心に、落葉広葉樹林帯などを構成する代表的な樹木のひとつ。
別名を、「オオナラ」と呼ばれている。
平坦地に分布する、コナラやクヌギよりも寒冷な気候を好み、鹿児島県の
高隈山を南限に、北海道から、樺太・南千島まで広い範囲で生育している。
保水能力が高いブナとともに、水源の森には欠かすことができない
大切な樹木の一つだ。
ブナに比べ、やや明るい場所を好む。
樹高は、高いものでは35m以上に達するという。
葉は、つやのない緑色。
コナラの葉よりも、はっきりとした鋸状の輪郭を持っている。
5月から6月にかけて5 cmほどの花を咲かせ、秋には大量のドングリが熟す。
「ほら見えるだろう。はるかな枝の先・・・・あそこに、ヤドリギが」
貞園が、澄み切った青空を見上げていく。
古木の枝の先に、もうひとつの別の緑のかたまりが見える。
稜線からの風を受けて、同じように気持ちよく、さわさわとそよいでいる。
だがあきらかにミズナラの葉と異なる、やわらかい緑の枝のかたまりだ。
周りにひろがったミズナラの枝が、強い風からヤドリギを守っているように
さえ見える。
「へぇぇ・・・・あの小さな緑のかたまりが、幸運をもたらしてくれるという、
恋人たちのヤドリギなの?」
夏の日差しを受けてキラキラと輝く若い葉を、貞園がまぶしそうに見上げる。
見上げている貞園の瞳が、いつの間にか潤んできた。
「ミズナラの古木が、ヤドリギを優しい気持ちで守っている・・・
そんな雰囲気が漂っていますねぇ。
支えあって生きて行こうという、命の集まりです。
こんなふうにいたわりあいながら、身体を寄って生きていく生き方も
地球上には、あるんだわ・・・・
まるで年老いたおばあちゃんが、孫をいたわっているような雰囲気です。
スケールの大きな優しさを、私は初めて目撃した。
嬉しすぎて・・・・このまま感動で、泣いてしまいそうです、私ったら」
(そうか。この古木は、おばあちゃんの優しさか・・・・
言われてみればそんな気がする。
この子は、どうにも正体不明の不思議な雰囲気を持っているけど、どこかに
優しくて素敵な感性を持っている子だなぁ。)
なるほど。この木は、母親じゃなくておばあちゃんか・・・・
康平が、貞園の肩へそっと手を置く。
驚いた顔を見せた貞園が、つぎの瞬間、フフフと笑って康平の肩へ
やわらかく自分の頭をかたむける。
(16)へつづく
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 11話~15話 作家名:落合順平