大坂暮らし日月抄
天満炎上、そして復興へ
「大橋にござります。栗尾晴之丞を連れました」
元の部署である勘定方に配された晴之丞は、上役大橋三郎兵衛に伴われて、国家老塩見宅共の執務室を訪れた。
「む。入れ、待っちょった」
晴之丞は、大橋三郎兵衛の背後、障子際で平伏し、先日の婚礼仲人の礼を述べた。
文机に乗っている書状に目を落としていた塩見宅共は、
「嫁ごには、申し分けねぇが」
と思案顔をふたり交互に送り、再び書状に目をやった。
「晴之丞、大坂に行っては、ござらんか・・・」
「はっ、かしこまりました。して、お役目は?」
「産物掛取締・・・実はのぉ、大坂で、戦があったらしこ」
「戦? この太平の世に」
「戦! やはり」
大橋三郎兵衛と晴之丞は、同時に言葉を発した。大橋三郎兵衛は振り返って、訝しげな表情で晴之丞を見つめた。
「心当たりでもござったか・・・だげん、晴之丞、そげな事、知っちょうても、決して口外するでぇない。どげなとばっちりが来ようか、分からんちょぅてな・・・戦は、無論、幕府が勝ったげな。だげん、大坂は、焼け野原になった、と書いたある」
「どのあたりで戦闘があったか、書いてござりましょうや」
「大坂屋敷からの早飛脚じゃけぇ、詳しいは書いてござらん。ただ、我が藩の蔵と屋敷、のある一帯は、火を免れたが、近辺の後始末をせねばならん。ついては、采配でける人を寄越せと、抜かしてきよった」
晴之丞は、すぐに意を決し、姿勢を正して瞳を光らせた。大坂で出会った人々、慣れ親しんだ町がどうなったのか、気にかかる。
「行ってくれちょうか。大坂人の人となりを知っちょるそこもとが、適任じゃ思うで。早々でわりぃが」
「心して、お受けいたします」
「む」
そして塩見宅共は、小さくつぶやいた。
「智恵が、なんちゅう、ゆうとかや」
大坂町奉行所東組元筆頭与力、大塩平八郎がかねてから計画していた「救民のための武装蜂起」を挙行したのは、晴之丞が謹慎中の、二月十九日のことであった。大坂から急ぎ送られて来た飛脚便の一報だけでは、詳細は分からない。
もどかしい気持ちは、晴之丞だけではなかった。事件を知った誰もが、幕府直轄地の大坂で、一体何があったのか、どうなったのか、詳細を知りたいと思っていたが、現状、藩内の窮状に手を尽くすことが先決である。
続く第二便では、
《今しばらく、大坂城代土井大炊頭利位(としつら)殿の指示を待ってから改めて乞う》
ということとなり、晴之丞の出立は延期された。
遅れて届いた江戸屋敷からの書状には、
《大坂屋敷の要望あればそれに従うように、くれぐれも出過ぎた事はせぬよう》
と書き送ってきていた。また、
《領内の庶民の動きに気を配り、一揆に発展させぬよう、くれぐれも》と念を押していた。
領民の食料事情が、ようやく一息つけるようになった初夏、四月初旬に、同僚からはねぎらいの言葉、祖母と妻小雪からは溜息混じりの、無事を念じる言葉を背に受けて、大坂へ旅立った。