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大坂暮らし日月抄

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 店の前の目抜き通りを、大きな風呂敷包みを背負って通りゆく人の姿が、最近とみに増えた。
「お前ら、大坂の米、よそに持ってくんか」
 遠くから来たらしい男が背負っている風呂敷を後ろからつかんで、小汚い男が尋ねた。
「へぇ、高いお金出して、こうたんどす。もう都では、買いとうてもどこも売っておへんのどす」
「そんなことされたら、困るがな。ワイらの食い分が減りよる。お前らが買い付けに来るさかい、ますますたこなりよって、手に入らんようなっとるがなぁ」
「そんなこと言わはっても、あてら、生きてくんに仕方おへんやろ。そこ、どいとくなはれ」
「米、置いてってもらおやないかぁっ」
「これ、こうたんや。無茶ぁ、言わんとってほしおす」
 小汚い男が、風呂敷包みを背負った男の胸元をつかんでいる姿を捉えた晴之丞は、腰に差している刀を手に持ち替えて、近づいて行った。
「通りの真ん中で、なんぞ事件でも起こされたら商いに差し支えるよって、何事か起こりそうやったら、すぐに鎮めとおくれや」と、番頭から指示されている。
「チッ」
 唾を吐きかけるようにして、突っかかっていた男は走り去った。
「おおきに、助かりました」
「わざわざ京から、米を買い出しに?」
「へぇ、都では一升三百文出そうにも、売ってる米自体が無いんどす」
「気を付けてお帰りなさい」
 晴之丞には、それ以外に掛ける言葉がなかった。
 
 午飯を食べながら、同役にこのことを話した。
 すると、下働きの女が口を挟んで来た。
「あんたらぁ、知らんのんかいな。東町に新しぃ来はった、跡部ってゆう人なぁ、近隣から米、買い集めさして、ぜぇ〜んぶ江戸に回してるって話。なんや、江戸におべっかつこてるらしい、って噂になってるんやわ。大坂のことは、なんもしはらへん。ちゅうか、大坂に来るはずの米が、入らんようなってしもてなぁ、京に回す分まであらへんのやわ。もうわややで。この先どうなるもんやら、うちら、お先真ぁっ暗。このおまんま、いつ食べれんようなるか、分かりませんよってになぁ」
 晴之丞は、雑穀混じりの飯椀をしみじみと眺め、箸で取って口に運んだ。


 天保七年七月二十七日に着任した跡部山城守良弼(よしすけ)は、時の老中水野越前守忠邦の弟であり、出世をして将軍のお膝元で役を得ることに汲々としていた。己の権勢を誇示するばかりで行政的には無策の上、大塩平八郎の進言はすべて退けて、蔑視し遠ざけてしまった。
 この年、全国的に四割程度の収穫しか得られず、奥州・山陰地方では、三割ほどにしかならなかった。
 町奉行所は八月末に、将棊島の囲米四百石(約千俵)のうち三百俵(籾米百二十石、玄米にして六十石)を安売りした。
 九月中旬には、川崎籾蔵を開いて一人当たり白米五合を四十二文で売ったが、貧民にはそれさえも手にできない価格だった。
 十日後には安売りを中止し無料払い下げをしたが、行き渡らなかった窮民の為に、豪商に施行を求めた。
 九月二十四日、高津五右衛門の雑穀屋が、打ち毀しをかけられている。
 十月、84軒が応じた施行額は、金五両、銀十枚、銭千五百四十八万五千三百四十八文となっている。
 しかし十一月になると、乞食の行き倒れが日に40人、多い日には170人にもなっている。
 この頃、悪疫が流行し始めていた。
 壁土を喰らい、野草・木の葉を口に入れ、少しでも腹の足しにしようとした人々に蔓延していったのである。
 高熱を出しおこりのように身を震わせる者、下痢による糞尿を垂れ流して全身から悪臭を放つ者が路傍を彷徨っていた。
 路上、神社仏閣の境内の死体は、奉行所同心が四ヶ所(天満・千日前・天王寺・鳶田)の役人を指図して、千日前・小橋・梅田の墓地に深い穴を掘って投げ込んだ。
 木枯らしが集めてきた落ち葉は、穴の中に入れられた身体を覆いつくし、何層にもなっていった。
 
 質流れ品には買い手がつかず、質屋の倒産が相次いだ。
 百姓たちは小作料が払えずに、逃散する者が続いた。
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実