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大坂暮らし日月抄

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 目の前にある天満橋を渡るとすぐ、青物市場がある。知った顔に行き合いたくないので、お城のそばの京橋を渡った。川が枝分かれしてその間に田地が広がっている。
 そこらあたりを半刻ばかり引きずり回された後、奉行所の門の前を通り過ぎ横手へ入って行くと、見張っていたのかと思える素早さで駆けつけてきた門番に、指示された場所へ赴いた。
 そこで執務していた若い男に、小さな部屋に案内された。
 ほとんど待つことなく現れた与力。晴之丞と同じ着流しで、格式ばったものはない。与力ともなると二百石取りと聞く。
「やぁ、すまんすまん、急用が入ってな。はようから出っぱってたんや。早速連れ出してくれたそうやな。人懐こいやろ。どや、犬のお守、やれそうか」
「はぁ」
「ああ、拙者、東組奉行所与力、瀬田藤四郎と申す」
「わたくしは、栗尾晴之丞にございます。よろしくお見知りおき願い奉ります」
 平伏した。
「うむ。てな堅苦しいのは抜きや。そない畏まらんでええ」
 瀬田藤四郎は、手をひらひらさせて胡坐をかいた。
「条件、言わなあかんかったな。木戸が開く時に出て来てくれたらええ。二刻ばかり、外歩きさしたってくれるか。何せな、この種類の犬は、鳥猟に連れて行くために調教するらしい。撃ち落とした鳥を咥えて戻ってくるんが、仕事なんやと。主に水鳥らしいけど、水中に落ちた鳥でも潜って取ってくるんが、得意なんやな。耳が垂れとるんは、その為や。冬でも潜るさかい毛は水をはじく、とゆうようなことを聞いた。阿蘭陀人から聞いたとゆう者からの、又聞きやがな。そんで毎日、十分に歩かせなあかんのやが、続かんのや」
 何が続かんのか、訝しげな表情をしてみせた。
「みんな、音ぇ上げよる。立派な男子が、犬にこかされたり引き摺り回されるんが、恥ずかしいらしいわ。金より面子なんやな。そうそう、報酬のことはまだやったな」
 よく喋る男である。
「一日、三百文。日払いやが、どうや、悪ぅないやろ。面子代も入っとる。雨の日には、色付けるよって」
「聞きますれば、何かがあれば、切腹、とか」
「ハハッ、その事かいな、気にせんといて」
 気にせんといて、と言われても気になる。
「実を言うとやな、知っての通り、南蛮品はご禁制になっとる。今年の春にな、大盗賊の一味を一網打尽にしたんやが、隠れ家から押収したそん中に、生きた犬が混じっとった、ちゅうわけや。被害届のあった店に問い合わせてもな、ご禁制品など元から所有していない、ゆうて、どっこも引き取り手がない。持ち主が現れんかった品物はじぇ〜んぶ、大坂城代に引き渡したんやが、犬だけは引き取れん、言われたんや。いずれは江戸の大将にお見せしたい、ゆうんで処分するわけにもいかん。その時の月当番やった東組奉行所でなんとかしよう、ちゅうことになったんやが。南蛮犬は、要領がよう分からん」
 浮かない顔の晴之丞を見て、続けた。
「まぁ、そない心配せんでもええ。南蛮犬でも犬は犬や。ほな、明日から頼んだで。ああ、今日の分も払うで、勝手方に立ち寄って受け取ってくれるか」
作品名:大坂暮らし日月抄 作家名:健忘真実