掌編とけいそう
薄暮の時間に電車に乗ってしまったのはまずかったな思いながらあとオレは車窓から暮れなずむ町を見ていた。やがて家々に灯りが点くのが目に入って嫌でも家族というものを意識してしまう。あの家には愛する人の帰るのを待つ人がいる。いやそれだけではあるまいと、オレは無理矢理不幸な想像の人をこしらえて気を紛らせている。しかし自分がしてきたような喧嘩をしている夫婦を思い浮かべても空しい。
電車は自分の生家のある北ではなく反対の南の方向に進んでいる。全く自由な選択肢のなかで、北へ行くか南に行くかを考えてみた。歌の世界では恋に破れた女が北へ向かったりする。男はどうだろう。男は町で酔いつぶれているのが似合うのだろうか。
少しずつ闇が濃くなっていく。町の灯りもまばらになってきては又密集したりを続けている。不思議だ、薄暮のあのもの悲しい気分が暗くなるにつれて薄れてきているように感じる。しかし、もの悲しさは薄れても何か重いものが身体の芯に残っているような気もしている。あるいは背負っていたもろもろのものを下ろして身体が軽くなっているのかもしれない。軽くなった身体と重い心か、その姿をマンガのように思い描いて笑ってしまいたい気がした。笑いたいのに笑うまでの気持ちにはなってはいない。自分を嗤うことならできる。自虐的にそう思った。
遠のいて行く町を眺める
けし粒のように見える家々に
いくつもの幸と不幸が漂う
それさえ持たぬ己の自由と孤独
恨むまい嘆くまい
とくに目指す町というものは無かった。悲しくても心が重くてもお腹が空くのも嗤えることだ。基幹の大きな駅でビール付きの遅い夕食をとった。そのせいかなんだか観光旅行の気分にもなってしまって、なんだオレって楽天家だったのかと、少し笑った。駅の案内を見ながら、最終の一番遠くまで行く列車に乗り換えた。しばらくすると次第に眠くなってきて、オレって楽天家などと思いながらいつしか寝てしまった。
何度か目を覚まし、ぼーっとした頭で電車の中ということを確認してまた眠った。
◇ ◇
新しい職場は男ばかりいて、何も仕事は与えられずオレは退屈さのあまりあちこちの部屋を覗いていた。ドアを開けるとなぜか色々な野草が咲いていて、名前を思いだそうとしたが出てこなかった。側にいた人が以前勤めていた会社の社長だったので、ああ元の会社に戻ったのだっけ? と、指示を待ったが黙って指を指すだけだった。社長の指さす先には土手があって、蔓性の植物がはびこっていた。
もう辺りには誰もいなくて、オレは咲いている花を見ていた。花は時計になっていて、長針短針がいっぱいあって何時だか分からない。周りの数字を読もうとするが、それはうごめいていて、読めない。何かしなければならなかった筈、ああ何をしようとしていたのだろう、と焦りながら、いつしかああどうしよう時間が分からない。と時間を気にしていた。その時計を見ているうちに文字盤の数字が絡み合い融合していく。長針も短針も勝手な動きをしながら溶けて文字盤に融合していく。なぜかほっとしたオレは時計に手を伸ばした。時計が光を放っている。オレは畏怖の思いを抱きながら、これが待っていたものだと思うと涙が出てきた。心地良い涙だった。光は次第に明るくなり、今まで気づいていなかった音が聞こえてきた。
何の音? そして感じる明るさに次第に覚醒していく。駅のアナウンスが聞こえてきた。終点の駅に着いたのだ。オレは自分が泣いていたことの関連のある夢、次第に記憶から離れて行こうとする時計のような光る物体を思いだそうとしていた。
時計が柔らかく崩れる
険悪も倦怠も剣呑も溶けて
いま何かを生もうとしている
遭難者のように今は生きるだけ
失うものの無い清らかさ