連載小説「六連星(むつらぼし)」第86話~第90話
「いつもながらの、30分一本勝負だ・・・・
座ることに慣れている清子はいいが、あとの5人は、正座するのさえきつい。
クソ坊主め、読経が長すぎるぜ、まったく。
次回からは椅子に座って供養しょうぜ。俺たちの足がもたねぇ」
あわてて足を崩しながら、岡本がぼやく。
黒ずくめの凸凹コンビは、立ちあがることすらできない。
足がしびれたまま、長々と畳の上に伸びている。
「そうだな。今度からは、分厚い座布団も用意してもらおう」
と俊彦も苦笑する。
足をマッサージしていた岡本が、颯爽と立つ清子を見上げる。
「そうだ清子。舞いをひとつ披露してくれ。
山本の供養も含めて、みんなに18番の『黒髪』を見せてやってくれないか。
すこしばかり艶めかしい舞のような気もするが、山本だって男のはしくれだ。
最後を艶っぽく送ってもらえれば、本人も往生を決めるだろう。
頼むぜ。ご祝儀なら後で、たんまりと払うから」
「野暮なことは言わないの。いらないわよ、ご祝儀なんか。
じぁサヨナラ代わりに山本さんへ、清子が供養の舞いをご披露しましょう」
すっと背筋を伸ばした清子が、そのまま本堂の中央へ進み出る。
襟を正した清子が、一度背中を一同に見せた後、静かにこちらへ振り返る。
ゆっくり顔を伏せ、しばらく下げ続けた後、再びせりあがりをみせた時、
そこには、にこやかな普段の清子の顔は無い。
これからはじまる自分の世界へ、浸りきっている清子がそこにいる。
切れ長の目が、一瞬だけ、妖艶な光を放つ。
シャンと手拍子が鳴ったあと、一瞬にして本堂が舞いの舞台に変っていく。
♪~黒髪の むすぼれたる 思ひをば とけてねた夜の 枕こそ
ひとり寝る夜の 仇枕 袖はかたしく つまじゃといふて
ぐちな女子の心としらず しんとふけたる 鐘のこえ ゆうべのゆめの
けささめて ゆかし 懐かし やるせなや
積もるとしらで つもる白雪
黒髪は、やるせない女の嫉妬心を描き出す。
伊藤祐親(いとうすけちか)の息女・辰姫が、源頼朝(みなもとのよりとも)を
北条政子に譲る。
2人を2階へ上げた後、ひとり自分の黒髪を梳きはじめる。
悲しみと、切ないまでの嫉妬の想いを、狂おしいまでに歌いあげる・・・・
女の哀しい情念の世界が、座敷舞の黒髪に込められている。
秘められた情念を舞い終えた清子が、ほっと短い吐息をついたあと、
最後に、にこりと小さな笑顔を見せる。
「お恥ずかしいものを、ご披露いたしました。
なぜ『黒髪』のリクエストなのかを考えもせずに、ただただ本能のままに、
踊り始めてしまいました。
今頃になって、急に恥ずかしさのあまり、汗が出てまいりました・・・・
岡本さんも、冗談は顔だけになさってくださいまし。
清子はおだてられると木に登ってしまう性質ゆえ、暴走が停まりません。
うっふっふ」
「いやいや、いつもながらの見事な舞いだ」と岡本が絶賛をみせる。
初めて清子の地唄舞を目にした響は、いつまでたっても胸の動悸が収まらない。
(女がやきもちを妬くほど、母の舞いは美しすぎる・・・・
女が嫉妬するほどの色気と美しさというものを、私は初めてこの目で見ました。
それほどまで、母の舞いは鮮烈で、強烈だ。
それにもかかわらず、舞っている姿はすがすがしいほど美しい。
心が洗われて、涙が出るほど美しかった・・・・)
雨雲を見上げながら、石畳の参道を歩き始めた響きが、ぽつりとつぶやく。
追いついてきた岡本が、「見たか、女の美しさを」と、響きの肩へ手を掛ける。
「お前も納得しただろう。清子の持っている美しさを。
あれがお前の母親、清子の本当の姿だ。
舞い姿は美しい。だが、それだけじゃない。
男たちを引きつけるのは、舞に込めた清子の心情だ。
清子の舞いには、特別なものがある。
愛した男といえども時と場合によれば、別の女に譲るくらいの覚悟と
甲斐性を、私はいつも持っていますと、宣言しているようなものだ。
そうなると男はもう、だれ一人として手も足も出せなくなる。
明快にそこまで表現されてしまったら、いくら惚れていようが、
やっぱり、諦めるしかないだろうな・・・・
舞いを通じて、清子は総長へ返事をした。
総長に恥をかかせず、清子は舞で簡単に引導を渡しちまった。
なんのためにそんなことをしたのか、わかるか。お前には」
傘をひろげた岡本が、響の頭上へ差しかける。
朝から降り始めた雨は、ひと時も止むことはなく、一日を通して降りしきる。
山門をくぐり、参道を行くと、雨脚がさらに強くなってきた。
先頭を行く凸凹コンビが、身を守るためにあわてて傘をひろげる。
その後を行く俊彦と清子の傘が、かばい合うような形で距離が狭まる。
2人の肩が、自然に寄り添う。
「私を育てるため。たったそれだけのためかしら。
母が言い寄ってきた男の人たちを、すべて、袖にしてきたのは・・・・」
「それだけじゃないさ。
自分がはじめて愛した男のために、清子はずっと純愛を貫き通した。
上州生まれの湯西川の芸者はお前さんを愛し、さらにたった一人の男を愛し、
湯西川で、ひたすら芸を磨いた。
湯西川の芸者は、粋でいなせで、情に篤い。
決めた男には生涯かけて尽くし抜くという、純真さを持ち合わせている。
いまでも立派に生きているんだ、純愛と純真と言う言葉が。
お前さんは・・・・働き者で、男をたてる甲斐性をもった上州女の血を
受けついで、生まれてきた女の子だ。
どこまでも胸を張って歩けよ、響。
清子もいい女だが、トシも、男が惚れこむほどのいい男だぞ」
「でも・・・・なんで一緒に暮らさないんだろう。あの2人は」
「さあ、なぁ。そればっかりは俺にもわからねぇ。
そう言う男女の組み合わせもあるんだろうな、この世の中には。
たぶん・・・・俺には理解できないが・・・・」
作品名:連載小説「六連星(むつらぼし)」第86話~第90話 作家名:落合順平