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出雲古謡 ~少年王と小人神~  最終章 「国引きの御子」

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冷たい風の吹く、稲佐の浜辺。
 重症を負った建御名方は、それでもなお敵意を込めて建御雷を睨み上げていた。
 事代は、生気が抜けたように砂浜に座り込んで動かない。建御雷は上空に浮遊してそんな彼らの様子を見下げ、少彦名はただおろおろと志貴彦の顔を叩き続けていた。
 --その時。
 砂の上に転がっていた志貴彦が、不意にむくっと起き上がった。

「……ああ、ちょっと寝ちゃったなあ」
 思いっきり伸びをして、かつての少彦名の台詞を真似る。
「し、志貴彦!? お、お主、死んでしまったのでは……」
 涙にくれていた少彦名が、呆然と志貴彦を見やる。
「ああ、死んだよ。……でも、根の国の王が生き返らせてくれたんだ」
「須佐之緒が? ……あ奴は確か、奇矯で冷酷な女じゃ。そんなに親切ではなかったはずじゃが……」
 少彦名は怪訝そうに頭を捻る。
「うん。だから、条件つきでね」
 明るく言うと、志貴彦は立ち上がった。
「し、志貴彦。お前平気なのか?」
「志貴彦様……」
 建御名方と事代は、呆気にとられて志貴彦を見つめる。
「やあ、なんだかそっちも大変な事になってるなあ。でも、僕は大丈夫だから。安心してね」
 志貴彦は、二人を安心させるように笑顔を作って言った。
「さて、と……」
 志貴彦は上空の建御雷に目を向ける。
「……そんなわけで。再び、戻ってきたよ」
「--成程。流石に貴様は、ただものではない、ということか」
 建御雷は、蘇生した志貴彦を見てやや驚いた様子だったが、それでも威儀を乱すことなく告げた。

「そう。それでね、僕は思ったんだけど……もう、こんなバカバカしい喧嘩は止めにしない?」
「……なんだと?」
「だってさあ。結局僕ら、みんなして誰かに利用されてるだけなんだ。君だって、天照とかいう人の捨て駒なんでしょ?」
 志貴彦は、かわいい顔で残酷な事実をさらっと言ってのけた。
「……そんなことは分かっている。だが、だからといって、我は退く訳にはいかないのだ」
 建御雷は沈鬱な表情で呟く。その重い言葉の中に、初めて彼の心情がほの見えた。
「……うん。君の方の事情もなんとなく分かる気がするよ。どうしたって、地上の覇権を持ち帰らないと、他の神々に許してもらえないんでしょ? でもね、豊葦原には、すでにそこで生きているもの達もいるんだ。だから、僕は思ったんだけど……」
 そこで言葉を切り、志貴彦はにこっと笑った。
「結局、豊葦原が狭いのがいけないんだよね。……だから、新しく作って縫いつければいいんだ!!」
「なんだと!?」
 あまりにも意外な提案に、建御雷は目を剥いた。他の三人も、呆気にとられて志貴彦を見つめる。
「あのね、昔聞いたことがあるんだ。この海の向こうには、国の余ってる所があるんだって。そこからいらない所を貰ってくるから!」
 勢い良く言うと、志貴彦は品物比礼を掲げ、呆れる人々の前で振り回し始めた。

「……天神千五百万、地祇千五百万、並びに、この国に静まりいます三百九十九社、また、海神ら、大神の和魂は静まりて、荒魂はことごとに、八束志貴彦がこのむところに依りたまえ! --それ、『斎鋤(いつきのすき)』となす!」
 呪言がのりあげられると、品物比礼は強く発光し、巨大な『鋤』に変化した。
 志貴彦は鋤の端をしっかりと握り、大海の彼方へ向かって先端を投げる。鋤は長く長く伸び、大海を渡り、異国へ突き差さった。
「--国よ来い! 国よ来い!」
 志貴彦は叫ぶ。

 鋤は、
『大魚のえらを突くように大地に突き刺さり、大魚の肉をほふりわけるように土地を切り放し、三本しぼりの太綱を打ちかけて、下つづらをたぐるように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引き上げるようにそろりそろりと引き』……。

 ……海は波立ち、水は動き、土や砂を動かして、陸地を造る。
 激しい鳴動を伴い、「国」はやってきた。
 「新羅の岬」と「北門の崎国・波良国」そして「高志の都都岬」が、志貴彦の力により豊葦原へ引き寄せられた。
 新しくつれてこられた大地は、「国の果て」であった信濃国の隣に辿り着く。
 --こうして、後の世に常陸や武蔵そして蝦夷と呼ばれる国々(即ち、関東・東北)が出来上がった。


 ……「国引き」を終えると、『斎鋤』は変化を解き、元の比礼に戻った。
「ふぅ……っ」
 大仕事を終えた志貴彦は、腕を降ろして息を吐く。
「……なんという子じゃ、お主は……」
 呆れたような、感動したような様子で、少彦名はため息をついた。
「新しく作った国を、君たちにあげるよ。出雲は譲ることは出来ないけどさ、天孫の治める大地があれば、高天原に帰った君の面目もたつだろ?」
 志貴彦は建御雷に向かって晴れやかに告げた。
 建御雷は、事代や建御名方と同じように、呆然として長い間海の彼方を見ていたが--やがて、苦笑しながら志貴彦に言った。
「どうも……我らの基準では、はかれぬ存在のようだな……。大器か、それともただの愚か者か……」
「大物なのさ」
 建御名方が言った。
「--なあ?」
 建御名方は事代に返事を促す。事代は、少し口元を緩めて、無言のまま頷いた。
「--確かに、我の役目はここまでのようだ。高天原へ帰り、天孫のお治めになる大地を得たと、復奏しよう」
「うん。天照さんによろしくね」
 志貴彦は無邪気に手を振る。
 「異端の星」の笑顔に見送られ、天の雷神は再び高天原へ戻っていった。



 --大晦日。
 志貴彦は、稲佐の浜に突き出した岬の上に座っていた。
 真暗だった空が、群青色に変わり始める。夜明けが近いのだ。
「……ねえ、少彦名」
 眼下に広がる海を見渡して、志貴彦は言った。
「死にかけたり、遠くへ行ったり、色々なことがあったけど……結局、国譲りを迫られた時に僕のやったことは、うまくいったって言えるのかな」
 あの時は、ただ思いつくままに行動してしまった。確かに、結果として雷神は去り、出雲は危機を免れたが……。
「--或いは成せり、或いは成さざり」
 志貴彦の頭の上に乗った少彦名は、厳かに呟いた。
「どういうこと?」
「うまくいったところも、うまくいかなかったところもある、ということじゃ」
「なるほどね」
 志貴彦は苦笑した。深遠な言葉のようだが……ごまかされたような気もする。
 志貴彦は左手の下方に目をやった。そこには、建築中の「宮殿」が鎮座している。
 冗談のように請け負ってしまった「出雲王」だったが……人々は出雲の危機を救った志貴彦を称え、彼を祀る壮麗な「宮」を造営しようとしている。

「結局名実共に、出雲の……地上の王となってしまったのう」
「なんか実感わかないよねえ。それに、宮なんて造られてもさあ。その中にじっとしてなんかいたくないよ」
「やつらの様子も見にゆきたいところじゃしのう」
 少彦名はしみじみといった。
 「やつら」とは、かつての旅仲間--建御名方と事代のことである。
 あの後、結局建御名方は故郷である信濃に帰ってしまった。まあ、彼はそもそも地主神であるのだから、長い間諏訪を離れている訳にも行かないのである。
 一方、天にも地にも行き場を無くした事代は、美保関にある岩屋に引きこもってしまった。