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出雲古謡 ~少年王と小人神~  第五章 「金色の烏」

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建御名方の半ば強引な提案により、志貴彦達一行は出雲を目指して再び旅を進めていた。
 以前に因幡を脱出した時志貴彦は、但馬から若狭、そして越前・加賀・越中という、韓国に面した海ぞいの国々を抜ける経路を辿って信濃へ入った。
 だが今度は、彼らはその反対側の海ぞいの道程--すなわち三河から尾張を通り、更に伊勢を抜けるという順を経て、紀伊の国へと辿り着いた。
 これは、「万一にもかけられているかも知れない追手を翻弄する」という建御名方の主張と、「行きと同じじゃつまらない」という志貴彦の意見が合致した結果によるものであった。
 紀伊の国は、別名「木の国」とも呼ばれる。
 その昔、この地を訪れた射楯神という地祇が、何を思ったか国中に持っていた木種を蒔きまり、それらが激しく繁殖した為、今では国内の殆どを山地が占める土地になってしまっていた。
 その為この国を通過する旅人は、必然的に山越えを強いられる。無論、志貴彦達も例外ではなかった。
 しかしこの一行は、海辺育ちの少年・常世住まいの長かった小人神・草原を護ってきた武神と、誰一人山歩きに慣れている者はいない。半ば当てずっぽうに山中を歩き続けるうち、案の定彼らは森の中で迷ってしまった。
 一行は皆、疲労と焦燥で苛立ちかけていたが、それでもなんとか先へ進もうと、懸命に獣道を突っ切っていた。
 --そんな最中。

「ぎゃあああっ」
 志貴彦の頭に捕まっていた少彦名が不意に大きな悲鳴を上げた。
「お、お、お、大蛇じゃっ!!」
 恐怖に顔を引きつらせた少彦名は、慌てて髪の毛の間に隠れ込む。
 思わず志貴彦が目を上げると、そこには木の枝に巨体を絡ませた緑色の大蛇の姿があった。
「うわっ……」
 志貴彦も思わず後ずさる。
 ゆっくりと身をくねらせながら幹をつたい降りてくる大蛇の横幅は志貴彦の身長よりも太く、彼ら三人など一口で丸呑みできそうな迫力だった。
 赤く揺らめく目で志貴彦を見据えた大蛇は、牙を向いてシャ--ッと威嚇した。その大きな口の中から、ざらついた長い舌が伸びる。大蛇の双眸には、明らかに志貴彦たちへの敵意が浮かんでいた。
「どうやら、奴らの領地へ踏みこんじまったみたいだな」
 志貴彦の後ろにいた建御名方が、何故か嬉しそうに呟いた。
「俺に任せな。--諏訪の武神の威力、とくと拝ませてやる」
 そう言いながら、建御名方は腰に帯びた剣に手をやった。
「こんなの、一太刀でかたずけられるぜ」
 ずっと不馴れな山越えでいいとこなしだった建御名方は、やっと自分の出番がきたとばかりに喜色を浮かべる。
「あ……ちょっと待って」
 しかし志貴彦は、そんな建御名方の機先を片手で制した。
「あれ見てよ」
 志貴彦は周囲の木々を指さす。いつのまに出現したのか、辺りの木々の枝には、数え切れぬ程の多くの蛇が絡みついてこちらを睨んでいた。

「ちっ……こいつの子分か」
「多分、剣を抜いたら、奴らが一斉に襲いかかってくると思うよ」
「けっ」
 建御名方は忌ま忌ましそうに舌打ちした。
「じゃあ、どうするよ……!?」
「そうだなあ--僕が試してみるよ」
 あまり緊張感なく告げると、志貴彦は腰に巻いていた品物比礼をすっと解いた。両手で持ち、頭上に掲げる。
「--吾(あ)れ、品物比礼より出でし『蛇の比礼』なり。……とーろとろ。とろとろ」
 呪言を唱えながら、志貴彦は比礼を三度振り回す。
 ……すると、どうだろう。
 あれ程に猛っていた大蛇から、すっと敵意が消えた。大蛇はそのまま地面にとぐろを巻き、静かに眠りに落ちる。
 大蛇の動きが停止した途端、それと呼応するように、木々に絡みついていた小蛇達がぼたぼたと落下してきた。どれも、まるで金縛りにでもあったかのように硬直している。
「ふう……」
 両手を下ろすと、志貴彦は息を吐いて握り締めた比礼を見つめた。
 短い旅の間、御諸は気紛れに志貴彦の頭の中に現れては、これの使い方を教えた。その為に、志貴彦は急速にこの品物比礼を操れるようになってきていた。
 ようするにこの比礼は、「あらゆる物事に応じて」己を変化させる代物らしい。
 『蛇の比礼』もそのうちの一つだ。地を這う生き物を制する為のもの--つまり「禁厭(まじない)の法」の一種なのだ。

「……少彦名、もう大丈夫だよ」
「ほ、本当かの?」
 志貴彦の呼びかけをきいて、少彦名はおそるおそる髪の間から顔を出した。
「蛇ぐらいで怯えんなよな。お前、ほんとに神族かあ!?」
 少彦名が出てきた途端、建御名方が馬鹿にしたように指で彼の額をつついた。
「わしは、誇り高い神魂神の子じゃ!」
 むっとしたように少彦名は言い返した。
「……しかし、大蛇だけは別じゃ……。昔、うっかりあれに呑み込まれそうになってからというもの、どうも得意ではない……」
 忌まわしい記憶を思い出したのか、少彦名はぶるぶると身を震わす。
「なんだ、かわいいとこもあるじゃないか?」
 ほっとした志貴彦は、からかうように笑う。
 憮然とした少彦名を乗せたまま、志貴彦は眠った大蛇を起こさぬよう、そうっとその脇を擦り抜けようとした。
 --しかし、その時。
 第三の声が、彼らの頭上に振りかかった。
「……ぼうや、おもしろい力を持ってるじゃない」
「えっ……!?」
 驚いた志貴彦は、慌てて声のした方を見上げた。
 彼らの前方には、大きな樫の古木が立っている。そして、その一番高いところにある細い枝に、一人の若い女が座っていた。
 呆気にとられる志貴彦に向かって、女は軽く手を振り立ち上がる。

「……よっと」
 掛け声をかけながら、女は器用に地上に飛び降りた。
「こんにちは」
 志貴彦の前に立った女は、にっこりと笑った。
 見たところ、十七、八の妙齢だ。しかし乙女にしては紅一つさしておらず、彼女はしごくあっさりとした飾り気のない姿をしていた。
 長い髪は邪魔にならぬよう一つに結ばれ、痩せた体には男袴を履いている。
「--誰も行かないから、一人で行こうと思ってたんだけど。……思わぬ援軍見つけちゃったわ」
 嬉しそうに言うと、女は志貴彦の手首をぐいっと掴んだ。
「--さ、じゃあ行くわよ」
 勝手にそう言うと、女は志貴彦をひきずってずんずんと進む。
「……ちょ、ちょっと待ってよ! 一体君は誰なのさ!?」
 一方的に引き摺られる格好になった志貴彦は、慌てて叫んだ。           
「--あたし? あたしは、この森を治める度津族の首長(おびと)の妹。阿田津(あたつ)姫って呼ばれてるわ」
 前を向いて歩きながら、女は朗らかにそう名乗った。
「え、『阿田津姫』? 姫!? --君があ?」
 志貴彦は耳を疑うように呟いた。
 自分を引き摺っていくこの男装の女は、どう見ても「姫」と呼ばれるような優雅さとは程遠い。そもそもこんな簡素な装束で「姫」と名乗られたって、説得力に欠けるというものだ。

「うっとうしい格好嫌いなのよ。森の中飛び回れないじゃない」
 志貴彦の疑いの眼差しを受けた阿田津姫は、あっさり言い切った。
「おい--おい、お前、ちょっと待てよ!」
 その時、置いてきぼりにされていた建御名方が走りよって来て、阿田津姫の肩を掴んだ。