出雲古謡 ~少年王と小人神~ 第四章 「諏訪の科津神」
「……俺の神格は、基本的に科津神(しなつかみ)--風使いだが、国津の軍神でもある。武威に優れてる、っていう点では、結構重宝だぜ」
建御名方はぶっきらぼうに呟いた。
「友達」になったとはいえ、真名をとられた以上、実質的には主従関係だ。--だが、この少年の為に、自分の荒ぶる力を使ってみるのも、それほど嫌なことではない。--そう、建御名方は思い始めていた。
「ああ、それは嫌ってほどわかったよ」
「のう?」
志貴彦と少彦名は向かい合ってうなづいた。
「なあ……そういや、確かお前出雲の出だって言ってたな。何しに、ここまで来たんだ?」
ふと、建御名方は思い出したように聞いた。
「ああ、それか。だから、それはね……」
のんびりと湯に使ったまま、志貴彦はゆるゆると己の身の上を語った。
「--じゃあ、何か。お前は、その姑息な兄貴達から逃れて、ここまでやって来たってのか!?」
聞き終わると、建御名方は呆れたように叫んだ。
「まあ、そういうことになるかなあ。最初は、こんな端まで来るつもりはなかったんだけど、なんとなくぶらぶらしてるうちに……」
「やってきてしまったのう」
志貴彦と少彦名はうなづきあいながら、しみじみと呟いた。
「ばっかじゃないのか、お前!」
呆れたように叫び、建御名方はザバッと立ち上がった。
「お前ほどの力があれば、そんな兄貴たちなんか、簡単にやっつけられるだろうが!」
「力って……いや、別に僕一人の力ってわけでも……」
「大体、今となってはこの俺がついてるんだ。この建御名方の主……いや、『友達』を、流浪の身に貶めておくわけにはいかん! --よし決めたぞ、俺達は、出雲へ向かう!」
「--は? 出雲?」
突如熱弁を振るい始めた建御名方を、志貴彦と少彦名は唖然として見上げた。
出会ったばかりの彼らはまだあまりよく知らなかったのだが、建御名方は元来熱血しやすい男であり、しかも以外と身内びいきなのだった。
「出雲へ戻って、お前の兄達を討つのだ!」
「いや別に、討たなくてもいいんだけど……そうだなあ……」
ぶくぶくと湯に沈み、志貴彦は考えた。
「……まあ、豊葦原の端まで来ちゃったからなあ。後は、戻るしかないか。確かに、あの後どうなったかも、気にはなるし……それに……」
志貴彦は夜空を見上げた。
故郷の里を旅だってから、随分とたつ。郷愁を感じてないといえば、それは確かに嘘になった。
「……まあ、朝(あした)がきたら、考えよう」
※※※※
--天に、神々の国があるように。
深い地の底には、また別の異界がある。
闇に覆われた、時のない国。死者の御魂が、等しく最後に辿り着く所。
黄泉の路の果てにある--「根の堅州国」。
暗闇の中には、いくつかの弱い光の玉が浮いていた。玉は、時折不定期に増える。闇に新たな光が浮かぶ度--地上の国で、誰かの命が消えるのだ。
闇の国には、大きな池があった。その水面はけして波打つ事なく、死んだように静まりかえっている。
--池の岸辺に、一人の少女が立っていた。
まだ幼く見えるその少女は、烏扇色をした真黒の神御衣を纏い、ただじっと立ち尽くしている。
少女は大きな黒い瞳で、静かに水面を見つめていた。水は黒く、何も映さない。--だが少女の目には、ある一つの「光景」が視えていた。
……不意に、黒曜石の簪で飾られた、少女の長い黒髪が揺れる。彼女が笑いを漏らしたのだ。
「……面白い人たちだこと」
少女は可憐な声で呟いた。
「それにしても残念ですわ。折角ここまで来てくれると思っていたのに。……あの子。とても美しい。逢いたいわ、早く」
艶然とした笑みが、少女の真赤な唇に浮かぶ。
「壊すもの。結ぶもの。ああ本当に、多くの楽しいものたち。……『月』を堕としても、願いは叶いませんのよ、天照……。あなたの想いを砕くもの、ここにまた一人--」
闇の中に、少女の哄笑が響く。彼女は無数に揺らめく光の中から一つの玉を掴み--そして、それを、喰った。
『第四章終わり 第五章へ続く』
作品名:出雲古謡 ~少年王と小人神~ 第四章 「諏訪の科津神」 作家名:さくら