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出雲古謡 ~少年王と小人神~  第四章 「諏訪の科津神」

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 いうと、御諸は志貴彦の手首を強引に掴んだ。
「お、おい!」
「……なあ。結局は、どーでもいい勢力争いにすぎなかったとしてもだ。俺達は、やるしかないんだ。すべて、選ばれてしまった駒なんだからよ!」
「勢力争い? 出雲の跡継ぎのこと?」
「もっとずっとでっかい事さ。--いくぜ!」
 叫ぶと、御諸は志貴彦をひっぱって翔け上がる。
 意識が吹き飛ぶのを感じ、志貴彦は思わず眼を閉じた。



 固く閉ざされていた志貴彦の瞼が、不意にばちっと開いた。
「あれ……?」
 倒れていた志貴彦は、頭を振りながら身を起こす。
 彼は、ふと己の胸元に目を落とした。白い上衣は赤く汚れていたが、血は既にとまり、斬られた傷口も半ば塞がっていた。
「志貴彦!」
 少彦名が駆け寄る。志貴彦は少彦名を手の平に乗せ、自分の右肩に置いてやった。
「やあ、少彦名。君がいるって事は、ここは地上だね。よかった、戻ってこれたんだ」
「志貴彦、生き返ったのか! ……よかった、さすがにもう駄目かと思ったぞ。……おお、我が母神は、わしの願いを聞き届けてくれたのじゃ……」
「母神? --いや、僕が地上に戻って来れたのは、多分御諸のおかげだと思うんだけど
……」
「御諸?」
「幸魂奇魂のことだよ。あいつが黄泉路に現れて、僕をひっぱりあげてくれたんだけど……あれ、いないな。あいつ、どこにいったんだろう……」
 志貴彦はきょときょとと周囲を見回す。だがそんな彼の目に入ったのは、襲を被った謎の少年ではなく、唖然として彼を見つめる土地神の姿だった。

「貴様……確かに斬り殺したはずなのに、なんで生き返ってきたんだ……」
 信じられぬものを見る思いで、立ち尽くしたままの土地神は呟いた。
「いやあ、なんか世の中には不思議なことがいろいろあるみたいで……」
 志貴彦は呑気に答える。だがそんな彼の姿を見つめる土地神の顔に、激しい嫌悪の表情が浮かんだ。
「貴様……貴様、なんだか気持ち悪いぞ……おまえなんか、おまえなんか……跡形もなくいなくなっちまえ!」
 自棄になったように叫び、土地神は志貴彦に向かって火球を投げつけた。
「うわっ!」
 咄嗟に横に跳ねた志貴彦は、間一髪で火球をかわす。だが火球は草々に引火し、折りからの風に煽られ、あっという間に志貴彦の周りに広がった。
「なんじゃ、今度は火攻めか!」
 ふりかかる火の粉を避けながら、少彦名が叫ぶ。炎の海は、意志を持ったように志貴彦に迫っていた。土地神が、風を操って炎を動かしているのだ。
「ははは、そのまま蒸し焼きになれ! 後で鮭と一緒に食ってやる!」
 荒ぶる炎を見下ろしながら、土地神は顔を歪めて哄笑した。
「忙しいなあ、もう! 一体どうすりゃいいのさ!」
 少彦名をかばいながら、志貴彦も叫んだ。
 --その時。
『俺に任せな』
 不意に、志貴彦の耳に御諸の声が響いた。
「御諸!?」
 志貴彦は慌てて周囲を見回す。だがそこに御諸の姿はなかった。
『品物比礼を振り、俺と一緒に叫べ。いいか--』
 声は志貴彦の頭の中で直接響く。志貴彦は迷いを捨て、品物比礼を握って口を開いた。

「--内はほらほら、外はすぶすぶ!すーぶすぶ」
 呪言の揚言(ことあげ)と共に、潮が引くように炎が志貴彦の周りから退いていった。
 逆凪の風が渦巻く。それに乗り、今度は炎が土地神に向かって突進した。
「うわぁっっ!」
 自らの送った炎に囲まれ、諏訪の荒神は窮地に陥った。
「どーだ。蒸し焼きにされる鮭の気持ちが分かったかい」
 品物比礼を振り回したまま、志貴彦は土地神に言った。
「僕は、どっちかっていうと、鮎のほうが好きだけどさ」
「……それはあまり関係あるまい」
 志貴彦の肩の上で、少彦名が冷静に呟いた。
「でも美味しいんだよ--ねえ、君、鮭の気持ちがわかったあ!?」
 志貴彦はあどけない表情で再度土地神に尋ねた。
「う……貴様……俺をなぶり殺しにするつもりか……」
 煙にむせながら、身を屈めた土地神は土気色の顔で呻いた。
「人聞きの悪いこというなあ。自分のほうが散々酷いことしておいて。僕は、黄泉路にまで行っちゃったんだよ?」
 ぶんぶんと品物比礼を振り回しながら、志貴彦は憮然とした面持ちで口を尖らせる。
「鮭の気持ちがわかったなら、君が自分で選びなよ。そのまま死ぬか……それとも、そうだな……」
 言いかけて、志貴彦は少し考える。
「僕の、友達になるか」
「--ともだち、だと……?」
 苦しそうに咳き込みつつ、土地神は驚いたように志貴彦を見上げた。
「そう。何でも僕の言うことを聞いて、困ったときには助けてくれるトモダチ」
「……それは、『友達』というのかの?」
 肩の上で少彦名が呟いた。
「なんでもいいじゃないか。--ねえ、長くは待たないよ? 十数える内に決めてね。ひ、ふ、み……」
「う……ま、ま……わかった。お前の友達になる!」
 土地神は悔しそうに呻いたが、志貴彦が数え終わらぬうちにはっきりと叫んだ。
「いいよ! ……じゃあ、証がいるね。君の『真名』を明かして」
 嬉しそうに勝利の笑みを浮かべ、志貴彦は命じた。
 神々が持つ『真名(まな)』には、そのものの霊魂が宿る。こうした勝敗の場で相手に真名を渡すことは、己の言霊の力を握られる事を意味した。
「……用心深い奴め。俺の名は、建御名方(たけみなかた)」
「--建御名方」
 言霊に力を込めて、志貴彦は呟いた。
 品物比礼を回していた手を止める。--その途端、荒れ狂っていた炎が建御名方の周りから消失した。
 炎が消えたのを確認すると、観念したように息を吐き、建御名方は立ち上がった。
 志貴彦は笑顔で新しい『友達』を迎える。
 --ここに、荒野の勝敗は決したのだった。



 戦いは終わり、陽は暮れる。
 満天の星空の下、少年と小人と青年は、そろって温泉につかっていた。
「……いやあ、星を見ながらっていうのも、またいいなあ」
 炎でほどよく焼けた橘の実を食べながら、志貴彦は上機嫌で呟いた。
 皆で入ろう、と提案したのは志貴彦だった。無駄な戦いで受けた、傷や疲れを癒そうと思いついたのだ。
 確かに、玉水は不思議な力を持っている。
 体が癒されるのはもちろんだが、気持ちまで、何だかなごやかで落ち着いたものになってくるのだ。
「--はい。ひとつあげる」
 むいた実の一つを、志貴彦は建御名方に渡した。建御名方は大人しく受け取り、無造作に口に放り込む。
「……しかし、変わった奴だな、お前は」
 実を噛みながら、建御名方はぼそっと呟いた。
「普通なら、こんなふうに俺を許しはしないぜ」
「うーん、でもまあ、殺しちゃっても、なんか、後味悪そうだしねえ」
「俺は一度お前を殺したのに?」
「いや、けど僕は生き返ったからね……」
 志貴彦は鷹揚に呟く。星空と橘の実と湯が揃って、彼はすこぶる機嫌がよいのだった。
「……」
 建御名方は腕を組み、顎まで湯に沈み込んだ。
 --この、志貴彦という少年。とてつもなく器がでかいのか、それとも単なる馬鹿なのか。
 どうにも判別がつきかねるが……とにかく、他者を引きつける、ある種の強い魅力を持っていることだけは確かだった。