出雲古謡 ~少年王と小人神~ 第三章 「天からの落とし物」
だが志貴彦は、泣き言を漏らすでもなく、ただ黙々と作業を続けていった。
「す、すまぬのう……わしのために……」
「いいさ。だって、いつか僕が危なくなった時だって、少彦名に助けてもらうんだからね」
「うむ……」
小さく呟き、少彦名は目を潤ませた。
……やがて、どれくらいの時がたっただろうか。
陽が西に傾きかけた頃、やっと志貴彦は最後の石を運び終えた。
「やっと終わったよ! それでこの後どうするの?」
「おお。では、その土を掘ってくれい」
「承知」
言うと、志貴彦は、両手で剥き出しになった地面を掘り始めた。
そのまま、一心不乱に半刻ほど掘った時。
不意に、志貴彦の手に暖かいものが触れた。
「--あれ……わっ!」
驚愕の叫びをあげると同時に。
地下から出現した「温水」が、一気に地上に噴き出した。
呆気にとられる志貴彦の目の前で、温水は勢い良く次々と湧き出し、掘られた窪みを満たしていく。
志貴彦は、しばらく呆然と事の様を見つめていたが、すぐに我に返り、少彦名を置いてある所に戻った。
掘り出すまで時間がかかってしまったせいだろうか、少彦名は既にぐったりとしており、まるで死人のように目を閉じて動かなかった。
「しっかりしてよ、少彦名!」
絶望感に打ちのめされながら、志貴彦は悲愴な表情で叫んだ。彼は少彦名を両手で掴み上げ、急いで温水の泉まで運んだ。
「ほら、少彦名! 君の言ってた水だよ!」
言いながら、志貴彦は少彦名をそっと温水に浸す。
少彦名は、仰向けになったまま、ぷかぷかと温水に浮んだ。志貴彦は、そんな彼を心配そうに見守り……。
緊迫に満ちた、時が流れ。
--突如、少彦名はムクッと起き上がった。
「……ふう。ほんのちょっと、寝たわい」
いとものんびりと言うと、少彦名は何事もなかったかのように、大あくびをした。
「……おいおい」
力の抜けたように呟くと、志貴彦は泉の傍にへたり込んだ。
「あんなに心配させといて。もうそれなの?」
緊張の糸が切れたように、志貴彦は笑う。そこに浮かぶのは、安堵の表情だった。
「すまぬの。お主のおかげで助かったわい」
急に元気を取り戻した少彦名も、湯に浮いたまま、少しばつが悪そうに笑った。
「もう、ぜんぜん大丈夫なわけ?」
「うむ。やはり、玉水の力は絶大じゃ」
「玉水?」
志貴彦は不思議そうに泉の湯に指を浸した。
「温かいや。こんな水が土の下から湧いてくるなんて。初めてみたよ」
「またの名を、温泉、出湯などともいってな。『ひとたび浴びればかたちきらきらしく、再び湯浴みすれば、即ち万の病、ことごとくに除かれる』--常世の国では、よく知られた効果じゃ」
「へえ。川や泉で禊とかはするけどね。豊葦原じゃあ、温泉なんて、誰も知らないよ」
「豊葦原にも、少なからず温泉はあるのじゃぞい。ちなみにこれは、豊後の速見の湯を下樋によって海底を渡して持ってきておる」
「ふうん。そんな遠くから」
志貴彦は感心したように呟いた。
「そうじゃ、志貴彦。お主も入れ!」
湯に浮かんだまま、少彦名は思いついたように言った。
「お主も疲れたじゃろう。湯は気持ち良い。疲れが一気に吹き飛ぶぞ」
「え、本当? よーし、じゃ、僕も入ろう!」
言うと、志貴彦は衣を着たまま勢い良く温泉に飛び込んだ。
「うわ、あったかいなーー」
顔をほころばせながら、志貴彦は湯に沈む。
「肩までよーくつかるのじゃ」
「うん」
志貴彦は素直に先達に従った。肩まで湯につかり、手足を伸ばす。
冷えた体に温かさがじーんとしみ入る。確かに、全ての疲れや痛みが癒される感じだった。思わず「ふー」と声が出る。
「気持ち良いねえ」
折り畳んだ領巾を頭に乗せ、立ち上る湯気で顔を上気させた志貴彦は、機嫌よく呟いた。
「うむ。これに勝る至福はない」
二人はほのぼのと、なごやかに湯につかっていた。緊張はほぐれ、ゆったりとした時がたゆたう。
「……そうだ、橘の実でも食べようよ」
志貴彦は思い出し、湯につかったまま、泉の淵に置いた黄色い実を掴もうとした--その時。
急に冷たい突風が吹きつけ、志貴彦は思わず実を取り落とした。
遠くに、橘の実が転がっていく。
「あ、もったいない……」
拾いに行こうとした志貴彦に、凄まじい勢いの風柱がぶつかった。
「うわっ!」
風に巻かれて、少彦名共々温泉の中に叩き付けられる。
「--っ!」
荒れる水面から顔を出し、志貴彦はごほごほとむせた。
「もう、水飲んじゃったよ」
「安心せい。温泉は飲んでも体によいのじゃ」
「そーいう問題じゃないだろ」
顔をしかめながら志貴彦は周囲を見回す。
一瞬の間に、付近は嵐と化していた。荒れ狂う嵐の中心に、巨大な風柱がある。
「なんだ、あれ……!?」
水浸しになったまま、志貴彦は呟く。その時、風柱から、低く大きな声が発した。
「……俺を祀る磐座(いわくら)を壊したのは、貴様かぁ……!!」
声は無気味に太く、風柱は異様な気配に満ちていた。
「……磐座?」
風の中で、志貴彦は首をひねる。そんな彼の傍で、少彦名がチッと舌打ちした。
「あー、多分あれじゃ。さっき壊した石の山。あれ、注連縄が張ってあったじゃろう……」
「……ああ」
思い出したように呟くと、志貴彦は風柱に向かって素直に手をあげた。
「はい。僕です」
『第三章終わり 第四章へ続く』
作品名:出雲古謡 ~少年王と小人神~ 第三章 「天からの落とし物」 作家名:さくら