そののちのこと(口頭試問)
ひとつめ
「暑い」
男は「暑い?」と鸚鵡返しした。
「光が、白い光に」
女はうめくように、呟いた。手を額にあて、日差しをさえぎるような格好をしていた。
「白い?」
「白い。太陽の光が固まって。暑い。夏のように暑い」
男はその言葉を聞きながら、女の手足を革のベルトで固定した。
「夏のように暑い?」
「夏?」
「夏だから、暑いのではないのかい?」
女は口許に笑みを浮かべた。そして今度は汗を拭うような格好をしようとした。
「夏だわ」
男は女の耳元に唇を寄せた。
「君は今、どこにいる?」
「ここ?」
女は首をぐるりと回した。時折、まぶしげに目を細めた。そしてもう一度上を向いた。
「突き当たりの無い一本道の真ん中に立っているの。とても暑いわ」
「突き当たりの無い一本道の真ん中に立っていると、何が見えるかい?」
白茶けた土手の上の一本道を黒い呂の着物を着た女が、ゆっくりと歩いている。
「下手がきらきら、きらきら幾千もの光の粒が光っているの。それはとてもまぶしくて。でもとても綺麗だわ」
男は頷いた。女は光の反射を楽しむように、わざとそちらを向いては目を細めている。安楽椅子に仰向けにされた身体は、革のベルトで固定されていて、首だけがぐるぐると動いている。そして口許には笑みが絶えない。
「さあ、用事があったはずだね」
男は先をうながす。
女は少し戸惑う。俯いて、草履でトントンと地面をつついている。
男はしばらく間を置いてから、再び促す。
「さあ、用事があったはずだね」
女はだんだん心細げな顔になる。熱にあてられたためか、息が荒くなっている。男は声の調子を変えて話し掛ける。
「喉がかわくかい?」
「喉が?」
女はきょろきょろと辺りを見回す。そして何かを見つけたかのように右前方をじっと見つめている。男は女が何を見つけたのか知っている。
「この夏、最後の西瓜かい?」
女の顔が再び明るくなる。頬が上気している。
「西瓜があるわ。あの八百屋に。西瓜が」
「お土産にするのかい?」
「ええ。ええ。お土産にちょうどいいから」
女は嬉しそうに八百屋に駆け寄る。簾の向こうに大きな西瓜がごろりと転がっている。
女の喉が上下に動いた。赤くて甘い汁の詰まった西瓜を見つけたのだ。
「お土産にするのだね」
「ええ。この西瓜を網にいれて持たせてくださいな」
女は八百屋にそう申し付ける。八百屋は下品な笑みを浮かべる。ランニングシャツに擦り切れたズボンをはいている。腰に下げた汚い手ぬぐいで、時折脇の下などを拭いながら、八百屋は女に近寄ってくる。
「それで?」
男は先を促す。
「お金はちゃんと払いますから、西瓜を網に入れてください」
女は苛立ったように命令する。しかし、八百屋はニタニタと笑いながら、女の目の前にやってくる。女はなるべく冷ややかに八百屋を見下ろす。
「最期の西瓜なのだね?」
男が尋ねる。すると八百屋は目を剥いて、腹を突き出すような格好をする。
「最後の西瓜だ。奥さん。間違えねえ。これほどのもんは、他じゃ手に入らねえ。どうだい。金を取ろうた思わねえから。なあ。奥さん よお。
女は眉を潜める。しかし、八百屋の手が女の裾を掴むと脅えを隠せなくなる。足が震える。こんな八百屋に入ってしまったことを後悔している。しかし、今更、この男の欲望を撥ね付けるだけの力が自分には無いと思う。
「奥さん。いい形だろ。こんなにでかいんだ。こうしてざっくりと割ると、ほら、こんなに汁が出てくるだろ。奥さんはこいつが欲しくてここに来たんだろう」
女はうずくまって両手で顔を覆う。八百屋は背後から女に覆い被さってくる。
男が強い口調で質問する。
「用事があったのではないのかい?」
女は、はっ、と顔を上げた。目の前に、八百屋の使い古した包丁と、金を入れるザルがある。
「包丁を握ったのだね」
男はそう尋ねる。女は首が折れそうな勢いで頷く。
背中に、のたりと汗ばんだ柔らかいものを感じた女は、全身に鳥肌を立てながら、振り向きざまに包丁を持った腕をぐるりと回す。八百屋は変な風に仰向けになって、腹の肉をぶるぶると震わせている。転がった西瓜から赤い汁が滲んでいる。女は網の中にそれを入れると、再び歩き始める。下げた西瓜が膝にごつごつと打ち当たる。
「さあ、どこで西瓜を割ろうか?」
男は優しく女の髪を撫でる。女は嬉しそうに顔を摺り寄せて、言う。
「私の大切な人のところへ」
「大切な人?」
「そう。私の全てを任せられる人の所へ」
「そう。君の全てを任せる人の所へ」
「私を助けてくれる人の所へ」
女は両手で重たい物を下げた格好で、歩き始める。男は部屋の棚から風鈴を取り出す。女は口を開けて喘ぎながらも、笑みを絶やさない。薄暗い部屋の中で、男と女はしばし、別の世界に思いを馳せている。
作品名:そののちのこと(口頭試問) 作家名:みやこたまち