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みやこたまち
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そののちのこと(無間奈落)

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 信夫は煙草に火をつけた。女は焦点の無い眼差しで天井の羽目板を見つめている。その天蓋の中心には古風なランプが灯っていた。再び長い沈黙が部屋を覆った。時計さえ音を止めていた。戸外はもうこれ以上無いというほど暗かった。ランプの明かりが、強くなったり弱くなったりしていた。その度に、穂積信夫の表情は、険しくなったり、沈鬱になったりした。女には何の変化も見られない。煙草が三本ほど灰になった。女の匂いが、強い煙草の匂いに消された。女は膝の上にいた。女の手はまだしっかりと信夫の首の後ろで組まれていた。女の膝が腿に突き立っていた。しかしその痛みとは別の痛みが胸を襲い、信夫は激しく咳き込んだ。身体を屈めると女の薄い肩が頬に当たり、冷たい髪が唇を撫でた。火照った身体に、女の肌は気持ちがよかった。全身を総毛立たせながら、信夫は女から肌を離すことができなくなっていた。不意に耳元に息がかかった。女が唇を濡らして、囁きかけているのだった。しかし、何を囁いているのかは、分からなかった。声が小さすぎるのか、無意味な言葉を羅列しているのかの判断すらつかなかった。唇をぴたりと耳に寄せているので、女の表情は見えなかったが、耳にかかる生暖かい息は、相当な真剣さを感じさせた。息には艶かしい胎動があり、それが一定の間隔で繰り返されていた。内耳が湿り、頭が重くなった。女の呪言が信夫の脳内で確実に膨らんでいくようだった。信夫は女の身体を掻き抱いた。女の身体は、ぐるりと一回りさせた信夫の肘が背中で交差するほど細く、指先がそのまま女の胸に触れた。女は初めて狼狽したように身体をがくがくと震わせ、唇が耳から離れていった。冷たい部屋の空気が信夫の耳たぶを痺れさせた。女は無闇と身体を揺さぶり、そのたびに女の膝が信夫の腿に食い込んでいく。信夫は女の骨が自分の皮膚を破り肉を裂いて、互いの骨と骨とが直接こすれ合う音を恍惚として聞いていた。まるで女が自分の中に入ってくるような気がした。全身を弛緩させた信夫の目の前で、女の顔が奇妙に滲んで目鼻の区別をなくしていった。顔を無くした女の身体が信夫に向かって倒れてきた。信夫は胸を反らせた。女の額が信夫の胸にあたった。渇いた音が響き、信夫は再び胸に痛みを感じ始めていた。女の冷たい額は信夫の胸骨の中心で円弧を描いた。女の頭が滲み始め、胸の中に没していくようだった。いつしか腿の痛みはなくなっており、女が自分の中に入ろうとしているのか、それとも出て行こうとしているのか、分からなくなっていった。
 身体の内側をかき回されているような感覚の中で、信夫は一つの気配が自分を取り巻いていることを知った。それは意識した途端に全身に重くのしかかる圧力となった。気配は自分とは隔たった遥かな所から、あらゆるものを歪め、押し潰そうとしていた。この屋敷の全てがその影響下にあった。信夫の胸に顔を押し当ててむずかるような仕草をしていた女が、はじかれるように顔を上げた。信夫は心臓に穴が開いてしまったような気がした。女の顔から霧が晴れ、まったく知らない顔が露わになった。信夫は焦っていた。信夫はただ女を求めていた。
 しかし、女は信夫の手をするりと逃れるとソファーから立ち上がり、信夫を見下ろした。その眼は信夫の全身をくまなく支配していた。女の着衣は乱れており、細い膝小僧と薄い肩が露わになっていた。長い髪は所々で跳ね上がり、身体に巻きついていた。女の唇は少し開かれていて、白い歯がのぞいている。息遣いは先ほどまでの運動など無かったかのように平静だった。白目勝ちな女の眼差しを真正面から浴びて、信夫は自分の痴態に気づいた。カラーは曲がり、ネクタイは肩口にまで回っている。ベストの下からは内臓のようにシャツがはみ出し、ズボンの裾はソックスの境目を越えて捲れ上がっている。尻はソファーからずり落ちかけていて、うなじが背もたれのカーブに嵌っている。
 藪睨みの目、ところどころ赤い痣ができた顔で、信夫は半開きの口から涎をたらして、女の姿を貪っていた。胸は時折強く痛んだ。息は上がっていた。ベルトのバックルが驚くほどの起伏を繰り返している。両足をだらしなく開いたその間に、女は涼しげに立っていた。
 背後のテラスを誰かが横切ったような気がした。風が窓ガラスを揺らしたが、音は聞こえなかった。目の前の女がだんだんぼやけて、ランプの光に溶けながら広がっていく。もはや頭を支え続けることもできなくなった信夫の、がっくりと仰向いた両頬を冷たい物が挟んだ。周囲の壁が回転し、あとは真っ暗になった。最後に、何かとても熱く柔らかなものが、信夫の唇を割り開いて、雪崩れ込んでくるような感覚が、残っていた。