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熾(おき)
熾(おき)
novelistID. 55931
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月のあなた 下(3/4)

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血のつながり



 日向は本棟の外に出ると、すぐ道を折れ、理研棟の方へと走った。
 
 校門に行けば助けを求められる。
 だがそこに至る並木道はほぼ一直線で距離も長く、後ろから矢で射てくれといっているようなものだったからだ。

 だが、たどり着いた理研棟の門は防災用のシャッターが下ろされ、固く閉ざされていた。

「…温室が、開いてたはずだ」

「祇居! 話せるんだ、良かった」

 背中の声を聞き、日向は元気づいた。
 
 祇居の言った通り、理研棟に並ぶ温室のドアは開いていた。
 日向は、見つけたシーツの上に祇居を寝かせ、彼の背中の傷を見る。
 虹色の矢は、既に崩れてどこかに消えていた。
 血はそこまで出ていない様だが、これ以上動かす訳にも行かなかった。

 自分のブレザーを脱ぎ、相手の背中から胸に、強く巻きつける様にした。

「いいから逃げて…僕は大丈夫だから…」

「何言ってんの? そんなはず無いじゃない」

「違う、聞いてくれ」

 祇居は、意外な程しっかりした力で、日向の肩を掴んだ。

「月待さん、君は特別な人なんだ。大和の保護を待って…こんな無茶をしちゃだめだ」

 日向は祇居を見つめ返すと、問い返した。
 あの場で外来のマレウドに対峙していたこと、そして今のこの落ち着き。
 この少年は、線の向こう側を知っている、いや、恐らく--。

 日向は祇居の顔に自らのそれを重ねるようにして、真っ直ぐ向き合った。

「なんで? ねえ、あなた何でそれが分かるの」

 祇居は、どこか自嘲的に微笑んだ。

「凛は、水子なんだ」

「え?」
「君が見た凛は、所謂幽霊だよ。精神体だけがこの世に居る。体は、もう無い」
 
 日向はそのまま、底が青く澄んだ祇居の瞳を覗き込む。

「兄弟が欲しかったんだ。だから母のお腹にいる妹がだめかもしれないって知った時、僕は全身全霊で祈った。土地の代々の神子である事の全てを懸けて、お願いだから、ほんの少しでいい、妹に会わせてくださいって。――結局流産だった。ところが、僕が十歳くらいになった時に、そのお墓の脇に母にそっくりな女の子が立ってるんだよ。名前を聴いたら、母が用意していた名前を答えた。僕は飛び上がって母に報告した。ところが母は泣き出した。母には、凛が見えなかったから」

「――」

「凛は母にも、誰にも見えないまま成長した。よく一緒に遊んだよ。周りの大人は陰で、僕が造りだした幻じゃないかって言ってた。母は、どうだったかな。信じてくれてたと思う。でもね、やっぱり不安だったんだ。だって、君の話をしたとき、母も一緒に泣いてくれたから」
「……そんな…」
「だから君の霊感は、凄いんだよ。わかったろ」

 日向は、ぶんぶんと首を振った。

「そんなんじゃない」
「え?」
「霊感とか神子とか…そんなんじゃない。わたしは」

 胸の奥に使えていたものが、頬まで達していた。日向は目を瞑った。

「と、友達の血が吸いたくなる妖魔なの。吸血鬼なの…! だから、りんちゃんのことも見えて当たり前だったの!」

 少女の涙が、ぽたぽたと少年の頬の上に零れた。

「あの鏡は正しかったんだよ。わたしが悪い物だから、映さなかった。それだけ」

 日向はブラウスの袖で涙をぬぐう。

「…分かったでしょ。わたしを気にしないで」

 立ち上がろうとしたが、更に強く肩が掴まれた。

「どこに行くんだ」
「助けを呼ぶ」

 日向はそっぽを向いて言った。

「うそだ」

 日向は祇居を振り返った。

「いや、そうかもしれないが、君はまず、大甘さんを助けに行こうとしてる。それにあの二羽の鳥も、君の友達なんだろう」

 轢かれたカラスを弔う君が、傷ついた友人をほうっておくわけがない。

「とめないで。わたし、自分でノートに書いたの。友達から逃げない。友達を見捨てないって」
「だったら――、僕の血を飲んで」

 そう聴いた瞬間に、どくん、と心臓が高鳴った。

「――え?」

 祇居は両手を伸ばすと、日向の肩を掴んできた。

「血を飲めば、君たちは本来の力が出せるんだろう」
「聞いてたの?」
「早く。だけど、無理だと思ったら逃げるんだ」

「だめだよ…血を吸うのには、その、いろいろあって…」

 言いながらも、日向の眼は祇居の瞳から唇を、唇から、顎の線を辿って、首の下に在る鎖骨の部分までを辿っていた。
 心臓が、自分のものとは思えないくらい強く脈打って暴れだした。

「そっか。傷の血じゃなくて、血管を流れている血が良いんだね」

「あ、う――」

 答えられない日向の目の前で、祇居は震えながらも、急いでネクタイを解くと、シャツのボタンをはずしていく。 

 滑らかで、白くて、中性的な首元。
 だけど鎖骨から腕に掛けてのラインは、自分が鏡で見ているものより強くぴんとしていて、それだけで胸の奥がざわついた。肌の下からから、勢いよく血の流れる赤い管が透けて見えるような錯覚を覚えてぞくりとする。

 肩をつかんできていた祇居の腕が一瞬力を失い、
「あっ」
 支えるように、日向はもう一度その背中に手を回していた。
 かくり、と頤が反って喉が差し出された。シャツを解いた祇居の胸から、甘い血の臭いが堪(こた)えきれないくらい立ち上ってきた。

「あの、祇居――、ほんとに、ダメ、なの」

 良いながら、走って来た時よりも遥かに息が切れている。

「僕が良いと言ってるんだ。早…く」

 祇居がもう一度頭を起こしたとき、その熱い息がブラウスの上から胸にかかった。たまらなくなって、相手の頭の後ろを抱きかかえた。
 もう片方の手では背中を抱きしめたまま。

 だれのものか分からない、乱れた呼吸の音だけが響く温室はオレンジ色の水晶の様で、夕陽はその中の二人以外のすべてを曖昧な影のように塗りつぶしていた。
 日向は恐る恐る、抱えた祇居の顔を見直した。
 その長い睫の瞳はもう、閉じている。自分でも知らぬ内に、その閉じている瞳に口づけをした。

(あれ、何やってるんだっけ。わたし。)

 時間が停まっている様だった。
 
 停まっているのだから、この眠っている王子様には、自分が何をしてもいいんだ。唇は勝手に、別の生き物のように、祇居のまぶたから、頬へ、頬から唇の端へ、唇の端から顎を滑ってその付け根へ、喉仏から鎖骨の間へと滑って行く。
 全て、さっき目線がなぞった通りに。

(何か、気を付けないといけないんだっけ)

 鎖骨に口づけた時、取り分け強い、殴られるような衝動がして、口が自然に開いた。今度は舌が勝手に動き出して、鎖骨の上に浮き出る血管に、押し当てられた。ぴちゃりと音がした。舌の外側に、濡れて尖った八重歯が触れた。

――答えは! ――

 頭のどこかで、白衣を着て遊んでいる母がいた。

「ん――」

 日向は目を閉じた。

(おかあさん――)

 ぷつり、という音がした。その後はもう、止まらなかった。
 頭が焼ける様な、突き抜けるような快感と共に、ごぶり、ごぶりと生命の水が流れ込んでくる。
 相手の頭を掻き抱いて、痛いくらい抱きしめて、身勝手に押し付け、溶け合おうとする。

 どうか、どうか。
 神様に許してもらえますように。